出会いと分かれ、そして再会。【3月31日】
怒涛の3月が終わりました。
本当に濃い時間を過ごさせてもらいました。紡ぎたい言葉が溜まっています。多分、長い文章になっていると思いますが、お付き合いいただける範囲で、受け取ってもらえると嬉しいです。
何より、いつかの僕へ。これからの僕へ。
まとめるなら、生きてきてよかったよ。本当にありがとう。
何かを選ぶことは、何かを手放すこと
「いいちゃんは覚悟が足りないと思う。」
これまでの僕は、何かに一生懸命になることを避けてきました。
親にやってみたら?と言われて始めた空手。
仲の良いともだちがやっていたから始めたサッカー。
ともだちと仲良くなりたくて始めたゲーム。
どれも"自分"で選んだのかと言われれば、そうではない気がします。
だから、振り返るとどれも中途半端にしか取り組めなかった。
なんとなく上手くできるから、これをやると人が喜ぶから、これをやっていないと孤立するから。
自分の本当ではないと気づいていた気もします。
それでも、僕の頭の中に辞めるという選択はほとんど浮かんでこなくて、どうかにこうにか続けられないかなって。辞めるとしても、"うまく辞める"ためにはどうしたらいいかを常に考えていた気がします。
それなのに、何かに一生懸命打ち込んで、自分が否定されたような気持ちになるのも怖かった。
弱い人間です。本当に。
だから基本的に、人から誘われたことも大体のことは"Yes"と脳死で答えるようになっていた気もします。
それは間違っていないかもしれないけど、同時に自分で"選んだ"という覚悟が薄れてしまう感覚もあります。何か問題が起きた時に、「これ俺は選んでないもん」って逃げられる道を常に用意していました。
その代表例が"大学に行くこと"でした。
なんとなく、親に言われたから、周りが進学するから、就活で有利だから。
都合の良い言い訳を作ることで、大学に行くことを選ぶという行為から逃げてきました。
僕は難病を発症しています。
難病は、ものによってはいのちを落とすものだってある。
僕は運良く生きることができている。
経済的に豊かで大学に行かせてもらえている。
それなのに、「大学はつまらん」なんていう自分は、今思うとクソほどダサかったと思います。
お前、自分で楽しくする努力をしたのかよ。自分で価値を見出そうと本気になったのかよ。そもそもちゃんと行けよ。行ってもいないのに、わかったように語るんじゃねーよ。
本当にダサい生き方をしていました。
でも、わからないというのも正直な気持ちです。
だから、今一度立ち止まって、大学に行くを自分の選択として握り直す時間が欲しいと思うようになりました。
休学することで、同級生と同じように卒業する未来を手放しました。
みんなと同じタイミングで就活する未来を手放しました。
大好きなともだちと過ごす未来を1年だけ手放しました。
休学を選ぶことで、休学をしなかった未来を僕は手放しました。
その未来の景色がどんなものかはわからないけど、選んだことと同じくらい、手放した未来を意識していきたいです。
覚悟っていうのは、選んだことの重みを想像することだと思います。
選ばなかった未来があること、選びたくても選べない人たちもいること、選べている自分が恵まれていること。そういうことに想像力を働かせること。
そして、その覚悟を意識できた時に、一生懸命になれる気がしています。
自分が選び取っていきたいもの
休学をしようと思った理由はもうひとつありました。
それでもなお、人生は選べる
「人生は選べる」
・・・そんなわけないじゃないか。
どこで生まれるのか、どこで育つのか、誰と出会うのか。
自分で選べないことが、自分の人生を決めている。
この世界は不平等だ、そう思っていた。
だけど僕たちは、今を、未来を、どう生きるかは、
いつだって自分で選ぶことができると知った。
もちろん人生には、自分で選べないこともたくさんある。
事実はひとつでも、解釈は無限大。
僕たちは、自分の人生を、自分で選んでいく。
だから今、僕たちはこう言える。
「それでもなお、人生は選べる」
ここから先の未来のことはわからないけど、最終的には自分で何かをしたいという気持ちは常に持ち続けています。
だから、いつかは独立して、独り立ちしたい。
そう考えた時に、自分のキャリアは、今この瞬間「ハッシャダイソーシャル」からスタートさせたいと思っています。
人との縁を繋がせてもらえている
僕がメインで関わらせてもらっているものは二つあります。
【project:ZENKAI】
ここで僕がやらせてもらっていることは、参加してくれる中高生世代の一人ひとりと可能な限り多く「人との縁を紡ぐこと」のような気がしています。
人との縁は凄まじいパワーを持っている。この話は後ほどさせてください。
だからこそ、人との縁を繋いで、紡いでいきたい。
でも、僕たちの人生には限りがある。
人生の締め切りはちゃんと等しく訪れる。
それなのに、人との縁は等しく訪れない。
生まれる家庭や、生まれる場所を自分で選ぶことはできないし、人との出会いも必然にすることはできない。
それでも、可能な限りその偶発生を高めたい。
誰でも参加できる場所を作り続けたい。
こんな場所もあるよって、伝え続けたい。
あなたと出会えますようにと、祈り続けたい、願い続けたい。
そして出会うことができたことに心から感謝したい。
出会えているということは、少なくともあなたがこの場を選んできてくれたということ。そして大前提、今日まで生きてくれていたということ。
とんでもない奇跡で、あなたの人生に関わらせてもらうことができる。
その尊さをただひたすらに感じ続けさせてもらっています。
CHOOSE YOUR LIFE FES'24 #18歳の成人式
人との縁が凄まじいエネルギーを持つのは、人との出会いが自分が"想われる体験"になる可能性があるからだと思います。
自分を自分で許すのは思っている以上に難しい。
自分のこれまでの人生が良かったかどうかなんてわからない。
でもごく稀に、この人と"いっしょにいる"ことを尊く思える瞬間がある。
もし仮に、ほんの少しでも違う選択をしていたら?
ほんの少し違う人生を歩んでいたら?
その人とは出会えていなかったかもしれない。
その人と出会うことで、これまでの人生をまるっと肯定できる瞬間がある。
だから、人との縁が人生の全てなんじゃないかとすら思います。
人との分かれも同時に経験している
project:ZENKAIは3ヶ月。
18歳の成人式は1日。
明確な終わり、ピリオドが存在します。
出会いを紡ぎ続ける場所はたくさんあるけど、終わりまでちゃんと意識できる機会に携われているのは本当に幸せなことだと思います。
僕たちが作っているのは日常ではないと思います。
その日がくれば、それぞれの人生に戻っていく。
でもそれは悲しいことなんかじゃないと思います。
ピリオドがあるから、その瞬間に価値が生まれる。ピリオドなんかなくても思いたいけど、それはなかなか難しい。
永遠に続くものだと思ってしまうし、そう思ったら、気を抜いてしまう。
だから、その瞬間が大切であるのは、終わりがあるからだと思います。
そして、そうやって積み重ねた地道な一日の連なりのおかげで、今僕たちはここにいることができているんです。
だから、きっと大切なのは日常の方です。そっちに戻らなくちゃいけない。
だから、それぞれの人生で握り締められる、お守りになるような瞬間や、言葉を届けられるように頑張っているんじゃないかなと思います。
またね
最近ハマっている「葬送のフリーレン」というアニメでも、人との別れについての描写があります。
それぞれの人生は、それぞれ続いていきます。
そして、それが続いていく以上、どこかで再会はあります。
そして再会する以上は、バイバイじゃないくて「またね」って言いたいなって思います。
これも4期のproject:ZENKAIの参加者の言葉でした。
また再会できるんだから、また会おうっていう気持ちも込めて、またね。
過去を振り返れば、project:ZENKAIという一点で、18歳の成人式という一点で、間違いなく重なり合っている。
それを言い訳に再会することもできる。
だからこそ、別に悲しいことではない。分かれるから再会できる。
出会いと分かれ、そして再会の記録
終わりに
ここまで読み進めてくれているあなたは、僕のとっても大切な人たちだと思います。
なんせ、めちゃくちゃに長いので笑。そうやって時間を作ってくれているあなたに、心から感謝しています。
そうじゃなくても、この場に足を運んでもらえていること、そしてそれだけの関係性をここまで繋げていることを本当に幸せに思います。
文章にもあるように、僕は人との出会い、人との縁に救われてきました。
人との出会いは奇跡的だから。あなたと会えることで、ここまで生きて来れてよかった。この人生を選びとってきて、選び取れないものもある中で生きられて、よかった。そう心から想うことができます。
それは間違いなくあなたがいたからで、あなたが積み重ねてきた、日々の積み重ねがあったからです。辛い日も、苦しい日も、楽しい日も、嬉しい日も、なんでもない日も、生き抜いてきたあなたがいたからです。
本当にありがとうございます。まじで感謝しています。長く時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと顔を合わせてお礼を伝えにいきます。伝え続けにいく人生を歩みたいです。
一年後に、やり切れたって言えるように、僕は僕の人生を選んで全うしていきます。それをあなたとの約束にさせてください。
あなたの話もいつでも聴かせてください。
"聴く"ということは、相手に関心を持って、自分自身は謙虚でいて、何より話してくれてありがとうという感謝の気持ちを持つ行為だと思います。
だから、あなたを大切にするために、あなたの話を聴かせてくださいと本気で思っています。
最後になりますが、大切な音楽を、あなたにお届けして、このnoteを締めさせてください。
改めて、本当にありがとう!!