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身近なもの【12月31日】
「それは遼馬の本音だとは思えない。」
今年の3月にお父さんから告げられた言葉です。
休学を選ぶことで、休学をしなかった未来を僕は手放しました。
その未来の景色がどんなものかはわからないけど、選んだことと同じくらい、手放した未来を意識していきたいです。
僕は今年大学を休学するという選択をしています。
両親のおかげで通えている大学なので、両親を説得するために、100枚を超えるスライドを用意して、時間をもらって想いを込めてプレゼンをしました。
気がつくと時間は30分を超えていました。
「いいプレゼンができたな」そう思いながら、「だから休学をしたいです」という言葉でプレゼンを締めくくりました。
ゆっくりとお父さんが口を開いて、「ありがとう」と伝えてくれました。
よかった。納得してもらえた。そう思った次の瞬間でした。
「今のプレゼンが遼馬の本音だとは思えない。」
僕の100枚を超えるプレゼンは、お父さんのたった一言で終わりました。
絶望している僕に、父はこう言葉を続けました。
「きっと、遼馬の本音は大学に行きたくないってことなんじゃないか。」
さらに追い打ちをかけるように言葉を続けます。
「大学に行きたくない理由に、ハッシャダイソーシャルを使うな。」
その言葉に僕はぶっ飛ばされました。図星だったからです。
もちろん、僕なりの本音だったし、その瞬間悩んで考えたことを詰め込んだつもりでした。
難病も発症して、孤独な時間も多くて、自分と向き合う時間が多かったからこそ、自分の気持ちや本音がここまでわかっていないとは思っていませんでした。
ほんの少しだけ、自分の気持ちをわかった気になって、甘えていたんだと思います。
親だとはいえ、お父さんは忙しなく働いていて、顔を合わせる機会は少ない。僕が関西に行ってから、ハッシャダイソーシャルに打ち込むようになってからは、ゆっくり話す時間もなかなかなかった。
それにも関わらず、見透かされた。言い当てられた。
自分の本音なのか、本気で思っていることなのか、それをどうしてここまで見極められるのか、見つめられたのか、それが不思議でしょうがなかった。
ありがたいことにたくさんの人に出会ってきているからこそ、その凄さや難しさが人よりもほんの少しだけわかる気がするから、少し恐怖すら覚えていました。
それくらい僕にとって衝撃的な一夜になりました。
その後、改めて考えて、プレゼンをして、無事に休学しました。
あれから8ヶ月。
年末、家に帰ってきて久々にお父さんとゆっくり話す時間がありました。
今僕は、キャリアや生き方に悩んでいます。
そんな時に、一番身近なお父さんの生き方を知りたいと思いました。
なんだか少し照れくさい気持ちもあって、お酒の力を存分に借りて、勇気を持って聞いてみました。
お父さんのキャリアの話
ここからは、僕のお父さんのキャリアの話。
誰かのためにではなく、自分が忘れないように、自分のお守りにできるように書き綴ります。
とは言っても、悩む誰かの力になるような話でもあるかもしれない。
そんな希望もほんの少し込めて書き残します。
「人生で最も高いものを売ってみたかった」
僕のお父さんは、中堅大学の法学部出身です。
とは言っても司法試験は受けていないようで、学歴でいうとそこまで高いというわけではありません。
そんなお父さんが、新卒で入社した会社は、住宅を販売する会社だったようです。そこで営業の仕事をしていた。
ここまでは知ってるんだよなと思いつつ、なんで住宅業界に決めたの?と聞いてみました。
「人生で最も高いものを売ってみたかった。そしたら、その先なんでも売れるんじゃないかって思ったんだよね。」
この時点で僕は大笑いしていました笑。
一番高いものを売ってみたい?!考えたことなかったという想いと同時に、もっと聞きたいという気持ちが湧き上がってきました。
そこから1年半して、お父さんはその会社を辞めてしまいます。
ありがたいことに、最初の1年で東日本で3位の成績を収めるくらいに、住宅が売れてしまったようです。
でも、売れば売れるほどに辛くなった。
契約は売った時点で決まるけど、住宅は家が建つまでがお仕事です。
自分のスキルが追いつくよりも先に結果が出てしまった。
契約数は多いのに、お客様満足度が低い状態った。
確かにそれは苦しいなと思います。
そうしてお父さんは別の企業へと転職します。
その後は、知人に誘われてホテルなどにあるパーテーションの会社で営業の仕事をしていたそうです。
でもこれもすぐに違うなと思って、その次に法律事務所で働き始めます。
「お父さんの人生だからね。遼馬には関係ないもん笑。」
法律事務所で数年働いたのち、もう少し別のことに挑戦しようと思い、今度は日本でも有名なコンサル会社で働き始めたそうです。
この時にちょうど僕が生まれたらしいです。
ふと気になって、僕が生まれるタイミングでよく転職したねと聞いてみました。
すると、お父さんは少しニヤニヤしながら。
「お父さんの人生だからね。遼馬には関係ないもん笑。」
と言い放ちました笑。
子供ができても、自分の人生を大切にする。言葉にするほど簡単じゃないと思いました。
だからこそ、自分の選択をすることと、養うことを両立させるにはどうしたらいいのか。そんなことを思いながら、僕は質問を続けました。
僕:「でも、養わなくちゃいけない。その自信はあったの?」
父:「あったね。」
僕:「その根拠はどこにあったの?」
父:「根拠はないよ。思ってただけ。」
僕:「ん?!?!笑。でも実際、転職しても給与は減らなかったんだね。」
父:「そうだね。」
僕:「なんで、そんなことを実現させ続けられたの?」
父:「自分のこれまでを信じていたから。」
僕:「もし実現できていかなったらどうしてたの?」
父:「まあ極論、働けばいいからね。決めた額をちゃんとお母さんに手渡すということさえできればいい。副業でもなんでもして、それだけは守るつもりでいたよ。」
その後の言葉を僕はすぐには紡げませんでした。
根拠はないと言いながらも、お父さんには"覚悟"があった。
母:「実際、困ったことは一度もなかったね。」
お母さんの言葉が僕に追い打ちをかけます。
それを実現させることは、どれほどに難しいんだろうと。
どれほどの覚悟を背負えばいいのだろうと。
やっぱり親は偉大だ。そんなことを噛み締めながら話を聞き続けます。
その後、お父さんは法律事務所に戻ります笑。
コンサルは性に合わなかったらしいです。
「顔面蒼白事件」
そんなお父さんが顔面蒼白になったのを、僕は人生で一度だけ見たことがあります。それは僕が小学4年生の時でした。
当時の法律事務所が何か悪いことをしていたらしく、警察の差し押さえにあって、お父さんは一瞬で無職になってしまったのです笑。
今は笑い話ですが、当時のお父さんの表情は今でも鮮明に覚えています。
ことの顛末を聞いたのはもっと後のことでしたが、何か大変なことが起きたのだろう。厳しい生活になるかもしれない。子供ながらに、その覚悟をしたことを今でも覚えています。
結果的には一度もそんなことをすることはなく、お父さんは1ヶ月も経たずに、知人に声をかけてもらってまた別の法律事務所で働き始めます。
これもきっと覚悟の話。
家族を大変にはさせないために、一人で色々なものと闘っていたんだろうと思います。
でも、家に帰ったらいつものように遊んでくれたし、"いつも通り"のお父さんでいてくれていました。
「まだまだ、自由に生きるお父さん」
そして、その後はなぜかわかりませんが、探偵事務所を始めます笑。
ただそれも少ししてうまくいかなくなって、当時の取引先に譲渡する形で手放します。
父:「そしたら、その探偵事務所今ではめっちゃ有名になったのよ!」
僕:「そうなん?!どれくらい?!」
父:「全国で5都市とかに進出してるらしい」
弟:「今調べたら、17店舗らしいよ」
父:「え!もっと大きくなってるやん笑。名前お父さんつけたんだよ笑。」
そんなこともありながら、そのあとはクリニックを作ろうとするらしいのですが、相方が急に捕まってしまいお金ごと持っていかれるという、ほぼ詐欺みたいな被害に遭い、そのあとはカイロプラクティックという資格を取得するための勉強を始めます。
カイロプラクティック(英: chiropractic)は、1895年にアメリカのダニエル・デヴィッド・パーマーによって創始された手技療法であり、アメリカの資格の一つです笑。
当時から筋トレ大好きなお父さんは、筋トレ好きすぎて体の勉強をしたくなってしまったみたいです笑。
その後は、その店舗を構えて順調でしたが、コロナで大打撃を喰らい、廃業して、法律事務所に戻ってきます。
色々見て回った結果、十数年をかけて、自分はやっぱり法律事務所での仕事が向いていると考えて、今は法律事務所の方々と一緒に仕事をする形で起業をし、自営業で働いています。
従業員はほぼ一人だから、家になかなか帰って来れないんだよね。とニヤニヤしながら話すお父さん。
「それでもなお、人生は選べる」
22年間生きてきて、初めて聞いたお父さんの人生の話。
生き方の話。働き方の話。
もっと早く聞いておけばよかったと思いました。
僕は今、人生や働き方に迷っています。そんな時に、一番先に相談するべき相手、人生を聴かせてもらうべき相手がこんなに身近にいるとは思いもしませんでした。
ありがたいことにこれまでたくさんの大人に出会ってきました。
同世代の人よりも、多くの人生や生き方を知っていると思います。
にも関わらず、圧倒されたし、腹を抱えて笑いながら話を聞きました。
「人生、なんとかなる。」
それを体現していると思いました。そして。
「それでもなお、人生は選べる。」
ってこうやって生きることだと思いました。
僕のお父さんには、何度か危機が訪れています。
急に会社が潰れたり、詐欺に遭ったり、コロナで大打撃を受けたり。
それでも、お父さんは「自分のやりたい」を諦めることはなかった。
自分の人生を選ぶことを諦めなかった。
人生には選べないことがたくさんある。どうしようもないことも起きる。
まあ、詐欺には這わないでくれって感じですが笑。
それでも、そういうことに悲観的になって、絶望するんじゃなくて、前を向いて自分がやりたいことを選び続けること。
そしてそれを間違いないものにするための覚悟を持つこと。
お父さんは最後に僕にこう伝えました。
「だから、別に遼馬に偉そうに言えることはない。好きに生きていきな。」
こういう大人になりたいって心の底から思いました。
こういうお父さんになりたいって心の底から思いました。
こんなに誰かのキャリアに興味を持てたこと。
こんなに誰かの人生に興味を持てたこと。
こんなに誰かの働き方に興味を持てたこと。
それはきっと、22年間積み上げてきた毎日があったからだと思います。
もっというと、この1年休学をして、働くことを体験できたこと。
社会人の厳しさとか、難しさとか、仕事をすることとか。
まだまだだけど、辛いことも辞めたいと思う時も確かにあった。
でも、楽しい瞬間、嬉しい瞬間、頑張ろうともう一度立ちあがろうと思えた瞬間があったこと。
そういうひとつひとつの経験を積み上げた1年があったからこそ、リアリティを持って聴くことができた。
間違いなく、僕にとって必要な1年だった。大切な1年だったと思います。
この22年間、生きてこれてよかった。そう思えた大切な一日でした。
次は自分がその背中を見せていく番だと思います。
はやく親孝行がしたいです。
笑顔で毎日過ごせる。そんな人生を、キャリアを、働き方を、思う存分見せていきたいです。
「生まれてきてよかった!!!!!!!!!!」
今日書きたかったのは、極論これだけ。
いつか苦しくなった自分へ
こうやって想えた日があったこと。忘れるなよ!!!!!
最後に
ここまで読んでくれたあなたへ。
2024年もたくさんお世話になりました!!
この1年は、ハッシャダイソーシャルの活動を通して、本当にたくさんの人たちに巡り会えた1年だったと思います。
人と出会う度に、自分が生きる意味を握り直す日々です。
あなたに出会えてよかった。それが僕の生きる原動力です。
こんなにも素敵な人に出会えるのだから、僕も悪くない人生を歩んできているはずだ。そうやって思わせてもらっています。
2025年も、自分に驕らず、目の前のことを一生懸命に積み上げていきます。
一人ひとりとの出会いを大切にしていきます。
そして僕自身の生き方で、キャリアで、「それでもなお、人生は選べる」ことを体現していきたいです。そのための人生だと思っています。
僕がお父さんの生き方に救われたように、人の生き様は誰かにきっと力を与えるものであると思います。
だからこそ、僕たちはたくさんの人に出会う必要があるし、人との出会いが人生において最も重要なのだと思います。
その一方で、人生で出会える人の数はたかが知れています。
だから、僕が出会う人には、僕と出会えてよかったと思って欲しいです。
「こんな生き方があるなら、僕も少し頑張ってみようかな。」
とか
「これでも大丈夫なら、自分も自分で選んでみようかな。」
って、勇気を与えるような意味で出会えてよかったと思って欲しいと思っています。
まだまだ、そんな生き方をできているかどうかはわからないけど、それを自分の軸に生きていきたい。とこの1年で思うようになりました。
自分の人生の大きなテーマが決まった。
道に迷いそうな時はここに戻ってこようと思います。
そう思えるだけの人の人生に触れられた1年でした。
この1年で出会えたあなたへ。
今年は出会えなかったあなたへ。
いつか出会うあなたへ。
あなたの人生のおかげで僕は生きていくことができそうです。
ここまで生きてきてくれて本当にありがとうございます。
来年も元気な顔でお会いできることを、心から楽しみにしています。
良いお年をお迎えください!!