【岡本太郎】「芸術と青春」の読書感想文
レビューを書いた人:Ryo Lion
職業:音楽家
趣味:筋肉
「あ。そういえば”芸術家”の著書を読んだコトがないぞ」と
ふと気づいたので、今回は芸術家・岡本太郎「芸術と青春」の感想文です。
レビューというよりは雑感ですね。熱の冷めないうちにとりとめもなく感じたコトを書き留めておこうかなと。
全体的な印象
著名な芸術一家で育った岡本太郎少年。
両親ともに芸術家という奇特な家庭環境で育った経緯や、陰惨な母の面影。それとは対照的な激しく甘いパリでの色恋話などが印象的だった。どちらも「青春の一コマ」として綴られており、若い芸術家らしい繊細な感受性と、痛々しいほど鬱屈とした心情が描かれており
「これほどの巨匠も、若いころは無力で陰鬱な日々を送っていたんだな」という事実には新鮮な感動を覚えたし、なんだか励まされるような思いもする。
小説家・司馬遼太郎も「青春というものは概ね陰鬱で暗いものである」といった一節を書いていたが、
なるほど”暗い青春”というのはどの時代でも普遍的なテーマなのかもしれない。
こころに残った一節
芸術が常に虚無との対決においてあるものだということを識らなかった私は、その拒否にあって周章し、いたずらに他を責め己をしいたげたのである
芸術には、経緯や、技巧の蓄積は問題ではない。
選ばれた立場に置かれたという責任感はかえって未熟な私には大きな負い目となった。ひどい自己不信と誇大妄想的な自負心がからみあう。 ~中略~ 今こそ本当に孤独で、日本から西欧文化へ、子供から大人の世界へ、未知数の学生から画描きの枠の中へ、私は絶望的に自分自身を導き入れなければならなかった。 - 青春回想:97Pより抜粋 -
というように、太郎少年はかなりひっ迫した精神で青春時代を送っていたようである。
こういった”何かを志す若者”であれば誰しも持っているような鬱屈(もちろん私も大いにあった)が、なんだか、強烈なシンパシーを感じさせる。
この後も回想がつづいていくのだが、なんとも創作家としての自身の境遇と照らし合わせて、励みになるような話である。
痛烈な一節
今日一般に通用している「処女」という観念は日本に昔からあるものではなく、西洋文化キリスト教思想に影響された明治以来のものです。
しかし、このような処女の観念も、大正期に入ると、ようやく大企業化されはじめたジャーナリズムの商業主義に利用されて、一般化されると同時に極めて卑俗になってきます。 ~中略~ 「わたしは浄い処女なのよ」というような、それこそ不潔でおセンチな思い上がりが時代病のように広がりました。
何でもない、単なる生理的段階であるにすぎない処女性が、何か自分の本質的な価値ででもあるかのように錯覚する―――この無意味な自己陶酔は、弱者や無内容な人間が虚飾で自分をえらそうに見せつけようとあせる、一種のヒステリックな擬態といってもよいでしょう。 - 女のモラル・性のモラル・179Pより抜粋 -
全編にわたって、こういった痛烈に物事を見抜く視点がちりばめられていて、「なるほど、社会に対する芸術家の態度はこういうモノか」というのがありありと感じられて面白い。
とまあ、とりとめもなく書いてみましたが
他にも幼いころの特殊な家庭環境や、芸術家として純粋すぎた母であったり、日本兵として徴集されひどい仕打ちを受けた話など、見どころはたくさんあります。
また、名著といわれる「今日の芸術」のほうも現在読んでいるので、そちらの感想文も読後に上げてみたいなと。
webサイト:http://ryolion.net/
Twitter:@ryolion_music
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?