何度も生まれ変わる
金の話ばかりするクソ共とおさらばしてきた。
給料は減ったけどそれでいい。
地下鉄の窓は真っ暗でこの先の僕の人生を暗示している様。
でも何故だろう、すごく晴れやか。
地上に出たら、スカイツリーはいつも通り鮮やかに点滅している。
「眠りから覚めて」
あれ。おかしい。誰かにそう言われた気が。
さっき通り過ぎていった人だろうか。
いや違う。普段通りイヤホンは爆音だ。
耳から外すと、真夜中の静寂がそこに広がっている。
でも何か違和感を感じた。
これがデジャヴ?
街灯には蛾たちが群がっている。
帰ったら本でも読もう。いや、コーヒーでも飲みながらゲームもいいな。
早く帰りたい。早く帰りたい。早く帰りたい。
朝の電車からずっとそう思っていたし、住み慣れた部屋にいても早く帰りたいと思うことがある。
仕事は仕事でしかないし、睡眠は明日の仕事の為のものでしかない。食事も自分のために作るものはただの餌だ。
最近は本もほとんど読まなくなったし、文章も書いてない。言い訳をすれば、資本主義に塗れていた。文化的とは言い難い生活をしていた気がする。
そんな人間になりたくなかったはずなのに、そうなってる自分がそこにはいた。
東京の生活にはすっかり辟易してしまった。
でも、ある時目覚めた。
心が自然指向になっていることに気づいた。
今思えば、地元は田園ばかりで、遊びに行くとしたら山や川ばかりだ。
故郷が恋しいというわけではなく、魂が豊かな自然を求めている感覚。
朝露、カエルの鳴き声、橋の下の学生たち、焼き芋屋のトラック、雪降る日の無音、祖母が野菜を洗う手、エトセトラ。
只々、24/7 人々の生きる為の営みが恋しい。
スリッパと生命体
家に着き、扉を開け、気がつけばPinterestで色んな写真を見ていた。本当に地球上に存在するのか分からない写真をスワイプしていく。
このアプリで画像を探す時、思考盗聴されている感覚に陥る。スマートフォンを覗く時、深淵もまたこちらを見ている。過剰かつ異常だ。
怖くなって、スマホを閉じた。下に目を向けるとそこには紺色のスリッパが。そんなスリッパがある種、生命体の様に思える。恐る恐る履いてみる。
ふかふかと柔らかく生温かい。化学繊維で構成されているはずなのに、その生命体は蠢いてる。
ソワソワと部屋中を歩いたりした。
文字が書きたい。
気づけば、ペンを取っていた。
僕は昔から色んな所にメモをする癖がある。
いつも持ち歩くエリクサのメモ帳。iPhoneのメモ。カレンダーの裏紙。手の甲。Twitter。
そのほとんどが何処かに行ってしまうし、ミミズの入った字だから何て書いてあるか、自分でも分からないことがある。
忘れないように。忘れませんように。
そうお願いしながらペンを走らせる。大抵のことは寝たら忘れてしまうが…
確か、陰陽道について哲学していた気がする。
天があれば地がある。男もいれば女もいる。光もあれば闇もある。
そんなニルヴァーナに一瞬だけ足を踏み入れていた。
意味のない様な文字や記号を羅列していく。
それらは次第に浮遊していくみたい。
メモ帳はこの世界のどこにでもある。
メモを残すということは爪痕を残すこと。
どうか、忘れないように。
絨毯、明らかに動いている。部屋の中は無風のはずなのにまるで草原。
寝転がってみた。冷たい。
次第に生温かくなっていく。僕はゆっくりと目を閉じた。
目を閉じてから何秒、いや何分、何時間が経っただろうか。時間の感覚が無い。その瞬間、時間とは己の概念でしかないことに気がついた。
1分が60秒だとしてもそれは決められた事象でしかない。全ては自分自身の知覚でしか無いことを悟る。
タイムゲイザー。そこには僕の宇宙が広がる。
「おうちキングダム!」
僕はそう独りごちて、再び耳にイヤホンを当てた。
閑話休題
この日、聞いていた音楽を何曲か紹介します。
まずはコチラ、D.A.N.の「Anthem」彼らの3rd Albumの一曲目。
Revolution for Changes というリリックが耳から脳内を突き刺します。
まるで第三の目が開眼しそう。
アナログシンセサイザーとかマリンバとか、兎にも角にも音の作り込みがすごい。
“Anthem”ってWikipediaによるとそういう意味があるらしい。
僕らの与えられたこのライフを謳歌しようぜ。
テームインパラです。名アルバム「Currents」より“Nangs”
先日、元バンドメンバーたちとレコードバーで酒を飲みながら聴いていました。久々に会っても音楽や服、昔の話ばかり。
類は友を呼ぶ。ありがとね。
うたたねの「うつくしいもの」
大好きな先輩のお店で聴いたことを思い出します。
あの日、みんなで見た朝焼けは忘れられない。23度目の生誕祭でした。
この曲はそんな優しさに包まれる歌です。
NINJA PUBLICより「 Soleil 」
フランス語で太陽という意味。
マジで僕の中の太陽になってます。
U-zhaan & Ryuichi Sakamoto feat. 環ROY × 鎮座DOPENESSより「エナジー風呂」です。
水を温めるとお湯になる。
湯船に浸かれるって贅沢な事だと気付かせてくれました。
ありがとう風呂!
大人
「お前やっぱおかしいよ(笑)」
ふとクソ上司のことを思い出した。
気が滅入る。グレーの背広で常に胸を張っているソレはいつも自身の「普通」を僕に押し付けていた。
「普通」ってなんだろう。
そう思いながら天井を見上げる。ペンダントライト、電球が笑っている。
己の価値観を押し付ける人が嫌いだ。
それが「普通」と断定する人が嫌いだ。
自由を制限されて監視されることが嫌いだ。
あとは、マクドナルドの紙ストローとか。
それくらい。
そんな“大人”になりたくなくて仕事を辞めたんだと思う。自分でも早かったと思う。
親父の背中を見てきたつもりだった。でも僕には出来なかった。本当にごめん。情けない。悔しい。
親父にはスナックで酒を飲みながら、そんなことを打ち明けた。「そうか。」とだけしか言わなかったけれど、そこには愛を感じた。今頃になって親の愛を知った。
何度も生まれ変わる
いつかお前らのバビロニアをぶっ壊して、誰かの居場所を作りたい。自由には制限が伴うと思うけど、規制と制限は全くの別物だと思う。
そんな僕の「村キングダム」に誰が賛同してくれるのだろう。
僕の人生はキャンプだと思う。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、人と人の繋がりが、Homeになって、共同体となっていく。
先述した自然指向の思考もそういった処に起因する。
金よりも愛を。崇高な自由を。
人間も生き物である以上、明日が来る保証なんて何処にもない。
当たり前は当たり前じゃない。
水道水が飲めること。電気があること。今日帰れる家があること。ありがとうと言ってもらえること。どういたしましてと言えること。あなたの愛する人がご飯を作ってくれること。
愛を粗末にする奴は一生負け組。
そんなこと言える僕では無いことは分かっている。まだまだ未熟だし、成長できてないことの方が多い。
先日、ネパール料理店にカレーを食べに行った時、ほとんど残してしまった。料理はすごく美味しかったのに体調が悪いのか、食事が喉を通らない。お会計時、ネパールの人が「美味しくなかった?」と不安そうな顔をしていた。
「すごく美味しかったけど、お腹が痛くて…」なんて呟いてペイして店を出た。
すごく悲しくて、泣いてしまった。
料金はあのネパールの人たちの給料になって店の経営に関わってくるとは思うけど、お金じゃない。
食事を残してしまった自分が只々、情けない。そう感じた。
絶対にまたあの店にはもう一度行くし、残してしまったことをちゃんと謝る。
それが僕にできる唯一の贖罪だ。
食材の贖罪はすごく重いぞ!!
そんなことを繰り返して何度も生まれ変わる。
過ちは繰り返すし、また喜びもどこかできっと生まれる。「当たり前」の喜びを忘れていた。
日常をセッティングしてみて思ったことはこの世界は陰もあれば陽もあるし、お金よりももっと大切なものがあること。
僕は愛を唄いたいし、叫びたい。
芸術や音楽は無力じゃないということ。
想像することは現実となる。
アイデアを。アイデアを。
この日は僕の芸術が爆発しそうだった。
全ての死んでほしいやつに、呪いをかけてやる。
でも、そんな人たちにも愛する人がいることは少し考えさせられる。
そうやって何度も物思いに耽っては、いつもの天井を見上げる。決して鬱なんかじゃない。
愛すべき人たちには愛で返したい。
憎むべき人たちにも愛で返せたら。
些細な日常に目を向けて、そこに現実の新鮮味を見出す。
そうすることができたら誰だって負のループ、悪夢の輪廻から抜け出せると思う。
自分の物語の主人公は自分でしかない。
でも、そのストーリーには愛すべき人たちがいることを忘れるな。
11月某日。愛すべき貴方たちへ。