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「八戸にて酒で繋がる絆」”ソロの細道”Vol.2「青森」~47都道府県一人旅エッセイ~

18歳の頃に大学への進学で沖縄から上京してきた私は、ほとんど知識もないままに千葉県柏市に住むことになった。当時は「千葉の渋谷」とテレビで持てはやされ、街には”チーマー”と呼ばれる若者たちが溢れていた。

私はそんな文化が苦手で、柏から最も行きやすい都内のスポットである上野でよく遊ぶようになっていた。
基本的に柏から都内に出るには、当時はJR常磐線しか無いわけで、上野か日暮里で乗り換えないと何処にも行けなかったのだ。
必然的に上野は最も良く行く駅になった。

そんな上野だが、上野駅を眺める度に頭の中で流れるのが「上野発の夜行列車降りた時から」という歌い出し。
そう、演歌の名曲「津軽海峡冬景色」である。

当時はまだ一度も東北地方には行ったことが無く、そもそも雪を見たのも小学生の頃に家族旅行で行った北陸と、高校生の修学旅行で行った北海道だけ。

雪とは無縁の沖縄で生まれ育った私にとって、今だ雪は憧れの存在で、そんな身による「津軽海峡」のイメージは、ゴウゴウと雪が降り積もり、凍えるような寒さの中で海を眺めるという光景。

おそらくテレビかどこかで流れたシーンからの影響だろうか。以来、僕にとってはそれが「青森」に対するイメージだった。

そうそう、あとは映画「刑事物語」の第二作「りんごの詩」も幼心に大きなインパクトを残していて、「青森=りんご=素朴な人柄」という図式が出来上がっていた気がする。


八戸で飲み文化に触れる


そんな青森に初めて訪れたのは5年ほど前だっただろうか。秋田から五能線で北上し、弘前駅と青森駅に立ち寄った。その時は最終の新幹線の直前まで駅前の居酒屋で飲むくらいしか楽しめなかったのだけれど、それから三年後、つまり2019年の夏に、青森で数日を過ごした。

その時に訪れた青森県内のスポットとしては、大間埼や尻屋崎、恐山といった下北半島や、竜飛崎や階段国道などの津軽半島の北の端も回ったし、五所川原や弘前、青森市の”ねぶた文化”にも触れ、また奥入瀬渓流や十和田湖にも足を伸ばした。

そしてそんな中で最も思い出に残っているのが、八戸での夜だった。


古くから城下町として栄えてきた八戸には、戦後の復興の中で育まれてきた「横丁文化」がある。

戦後まもなくから営業してきた「れんさ街」や、札幌の”狸小路”のような賑わいを目指して名付けられた「たぬき小路」、青森新幹線の開業に合わせてオープンした「みろく横丁」など、合わせて8つの横丁が八戸の夜を彩っている。

私はそんな八戸の夜の灯りに吸い寄せられるように、ふらふらとお店へと入って行った。



まず最初に訪れたのは、この看板が目印のお店。呑兵衛の大先輩が出演している某テレビ番組でも取り上げられたお店で、名物の「イワシ梅サンド」や、八戸の新鮮な海の幸が評判。

カウンターの前にいくつも並べられた大皿から注文するという提供方法は、こうした趣ある酒場で時折見かけるけれど、呑兵衛にとってはそれだけで何だか気持ちが昂ってしまう。

「これぞ古く良き酒場だ」なんて思い込みがそうさせるのかもしれない。

お店に入ったのは17時過ぎ。開店すぐというのに店内は地元の呑兵衛たちで賑わっていた。

そりゃそうだ、ここは”飲み文化”のある街、八戸なのだから。
皆この街の横丁にある馴染みの店に「大将、やってる?」とばかりにのれんをくぐり、陽気に会話をしてからお店の中に入るのだ。

こうして一軒目では美味しい魚と青森の誇る日本酒の数々をいただき、1時間ちょっとでお店を後にした。

そう、八戸の夜は長い。だからこそ何軒もハシゴするのだ。


二軒目を挟んだ三軒目は、一軒目とは全く違う方向性のお店へと足を運ぶ。
八戸にこのバーあり、と界隈では有名なカクテルバー。お店の入り口には電話と本棚。そう、ここから秘密の入り口が開くのだ。

こうした洒落た仕掛けは六本木などではたまに見るけれど、本州最北端に近い八戸でもこの趣向を楽しめるとは。それだけで期待は高まる。

果たして、その高い期待に十分に応えてくれるお店だった。光るバラの氷にカクテルを注ぐと甘美なカクテルが出来上がり、またマスターがカクテルグラスに液体を注ぐと、シュワっと泡が盛り上がってくる。

海外や東京で持て囃されているミクソロジーカクテル。それがこのバーの真骨頂。

私はそこまでミクソロジー系のカクテルに詳しいわけではないけれど、それでも見た目も味も、この店のクオリティが高いということくらいは分かる。

昔ながらの酒場から、前衛的なミクソロジーバーまで。八戸の飲み文化の懐の深さを実感した瞬間だった。


すっかりと美酒に目も舌も心も魅了され、さあホテルに帰るかと思った私の目に入ってきたのは、八戸の鯖が様々な形で提供されるという、大人気の鯖専門店だった。

三軒回ったものの早い時間から飲んでいることもあって、まだ時間は21時過ぎ。八戸の最後の〆に鯖、というのも一興だと飛び込んだ。

鯖の専門店のこのお店のために、地元の銘酒”陸奥八仙”が作ったオリジナルの日本酒「酔鯖」と共に、絶品の鯖をいただく。

八戸の鯖は「八戸 前沖さば」。ブランド鯖として全国的に知られている。本州最北端の漁場の八戸で獲れる鯖は、海水温が低いことで通常の鯖よりも脂肪分が高くなり、その分脂の乗った美味しさを味わうことが出来るのだ。

鯖×鯖。

港町八戸の飲み文化に触れる夜。その〆にふさわしい。呑兵衛人生においても大満足で記憶に残る夜だった。


今も昔も変わらない店が、親子を迎え入れる夜


そんな素晴らしい八戸の夜で最も記憶に残っているのが、二軒目のバーだった。

バー、と一言で片づけて良いのか迷うお店。それがこのお店の個性なのかもしれない。看板の「DEEP八戸」と書かれたフレーズが何とも魅力的だ。

創業が1957年。60年以上もこの地で癒しを提供してきたお店。

店内の壁には隙間の無いくらいに名刺が貼られていて、中には何十年も前の名刺だろうと感じさせる古い名刺もちらほら。
いかにこの店が長年愛されているかがわかる。

お店を訪れたのは19時前だったけれど、お店は既に大入り。一人で訪れた私は、カウンターの一番端の席を案内された。


名物の一つとして人気のマスターと色々話していたら、いつしか隣の席の二人組と会話を交わすようになっていた。

それが、素敵な親子との出会いだったのだ。


その二人は、母親と息子の関係性だった。八戸出身のお母さんは、若い頃よくこのお店で飲んでいたらしい。マスターとも長い付き合いのようだ。

八戸を出た後は東京で働きつつ結婚し、息子は東京で生まれ育ったらしい。

そんな息子が二十歳を迎え、今回の帰省で初めてこのお店に連れてきたのだ。
若い頃に自分が通っていたお店に、自分の息子を連れて来る。マスターもさぞや嬉しかったに違いない。

「このお店はね、ある意味昔の私をいつも支えてくれたようなものなんですよ」

お母さんは、しみじみと、嬉しそうに私に語ってくれた。

「今回こうして息子をマスターやママに合わせることが出来て、ほんと嬉しいの」

隣の息子がはにかむ。

息子はまだお酒に慣れていないのか、二杯目からはコーラベースの低アルコールのカクテルに切り替えている。

そんな二人の姿を見て、マスターも満足そうだ。

「〇〇さんはね、八戸の誇りなんですよ。たまにテレビや新聞で見かけるとね、私も鼻が高くてね。常連さんにも良く話してるんです」

そう、お母さんはとある業界で活躍していて、その手掛けた商品は私も知っているくらいだったのだ。

「故郷に錦を飾る」という言葉があるけれど、〇〇さんにとって、このバーに息子を連れて来るというのが、正にそれに当たるのだろう。


最後に是非これを飲んで、と請われて飲んだオリジナルカクテルは「蕪島」。料金の一部が蕪島の保存のための募金にあてられるという。

そのカクテルを頼んだ客だけが名前を書けるという「募金者ノート」に自分の名前を書き込み、もう少し長居しそうな親子に軽く別れの挨拶をした後、心が温かくなるような素敵なバーを後にした。

親子の縁と酒が繋ぐ絆。

次に私がこの店に来るとき、果たして誰と一緒に訪れるだろうか。

そう考えて、再訪がとても待ち遠しくなった。


八戸の魅力はまだまだ続く


八戸の魅力は飲み文化だけではないので、写真のみで最後に少しご紹介。

四枚目の写真が、僕がカクテルを飲んで募金した「蕪島神社」です。

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