”共感性羞恥”で「結婚できない男」を見てられない問題に悩む
いつからだろうか。気付いた頃にはそうだった。そしてその感情というか症状が”共感性羞恥”と名付けらているのは、正に今日この記事を書こうとしたときに初めて知った。
”共感性羞恥”とは、ドラマや映画で他人のミスや恥をかくシーンを見ると居たたまれなくなる感情のことのようだ。(現在は”観察者羞恥”と呼ばれているようだが)
自分は映画もドラマもアニメも漫画も好きで色々な作品を見てきたが、この”共感性羞恥”が発動されるのは、やはり実写の時が多い。アニメなどでは記憶の限りでは発動せず、ゲームでも同じ。ということはやはり実写の相手に自分を投影しているんだろうか。実際に2012年に日本の大学で行われた実験では、家族や友人など心理的距離が近い場合に起こりやすくなるという。
というわけで、このnoteを書こうとしたことで長年疑問に思っていた自分の感情の正体を知ることができたわけだけど、そもそもなぜ書こうと思ったかというと、Netflixで久し振りに見かけたドラマ「結婚できない男」を見始めたものの、阿部寛演じる主人公の言動が居たたまれなくて見てられず、途中で見るのを止めてしまったからだった。
元々このドラマがリアルタイムで放映されていた頃、自分は妹や父親と住んでいたのだけれど、その時に父と妹から「主人公そっくり」と言われ続けていた。その時は苦々しく思いつつチラ見していたくらい。それで今回、まだ自粛期間で自宅に居なきゃいけないし、Netflixで何かないかを物色していた時に発見して見直してみようと思ったら、気付いてしまった。これは見てられないと。
もちろんドラマとしてはとても面白いと思うし、阿部寛は大好きだ。助演の国仲涼子も同じ沖縄出身として”ちゅらさん”の時からずっと応援している。だから本来であれば大好きなドラマになってしかるべきなのだけれど、どうにも見ていられない。主人公の言動が色々と”イタい”のだけれど、それによって周りから煙たがられたり、ヒロイン役の夏川結衣にブチギレられたりするシーンの度に目を背けたくなり、ストリーミングということをいいことに少し時間を進めたりしていたのだけれど、その行為自体がどんどん馬鹿馬鹿しくなってしまって、終いには視聴を止めてしまった・・・。
同じような状況に陥ったのが、今年の1月に見た舞台「罪のない嘘~毎日がエイプリルフール~」だった。三谷幸喜が佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーのために書き下ろした原作を更にリメイクした作品なのだけど、主人公が嘘に嘘を重ねて窮地に追い込まれるのが笑いを誘うコメディーで、もうこれが本当に見てられなかった。大好きな三谷幸喜作品、そして役者も佐藤B作に片岡鶴太郎、鈴木杏樹に小林麻耶まで揃っているので、楽しめるはずの作品なのに、どうしても見ていられず、だから会場で目を瞑っていた。この舞台自体は後半に入って話が展開し始めて主人公がピンチになることがなくなってようやく楽しめるようになり、最終的には大満足だったのだけれど、「どうしてここまで見てられない気になるんだろう」と気が重くなったのを今でも覚えている。
それが今回ようやく原因のようなものが分かったので、そういった意味では少しスッキリした気がする。とはいえ結局はそれを解消できるわけではないのだけど、ひとまず自己認識できただけでも楽になった。
というわけで、今後もこういった作品・ストーリーとうまく付き合っていくしかないんだなあと覚悟をして、このnoteを終えたいと思う。ま、しょうがないですな。
【参考】
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