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23年前、テレホーダイ時代に思ったこと。~"おうち時間"は時空を超えて~ 後編

(前編からの続き)

1997年。原因不明(というか忘れた)の体調不良で花の高校一年生の1ヶ月間を自宅療養で費やすことになった自分は、今で言うところの"おうち時間"を楽しむべく、電脳空間(死語)に足を踏み入れた。毎晩23時に行きつけのチャットに顔を出し、明け方までそこに入り浸っては、朝食を済ませて午後まで睡眠をとる。そんな日々。そのうち自分でホームページを作ろうと、当時流行っていた”Front Page”というサイト作成ソフトを使って自作サイトを開設したのが1997年11月3日。ウンナンの人気番組”ウンナンの気分は上々”を文字って、「気分は下克城」というサイト名でのサイトオーナーデビューだ。今思い出しても酷いセンス。しかもドアページ(サイトロゴと"enter”ボタンしかないページ。昔はよくあった)にはなぜかドリフの「8時だよ全員集合」のgif。今回探したらネットに落ちてた。

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正にこのgifが、23年前に開設した自分のホームページの入り口だった。当時はmidiファイルをBGMに設定していたので、音楽もドリフ。そしてこのgifをクリックして中に入ると、日本史やバスケット、自作エッセイなどのコンテンツが入っていた。

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※Internet Archiveで保管されている最も古いTOPページ(1998/12/1)

これぞ黒歴史という部分だけれど、一周回って清々しい気もする。1997年11月3日に開設したこのサイトは、当時はメインの集客源であったYahoo! JAPANのディレクトリ登録を行った。今や検索エンジンはGoogleの一強だけれど、Googleがサービスを開始したのは1998年。その前はYahoo!のような「ディレクトリ型」が主流。サイトオーナーが自ら登録申請し、そのサイトをYahoo!側が審査して登録する、というもの。当時はそのYahoo!ディレクトリに登録されることがサイトオーナーのステータスであり、無事に掲載された時の喜びはひとしおであった。

こうしてサイトオーナーデビューを果たした後、日々真面目にせっせとコンテンツをアップしていた。当時はまだブログというシステムは無く、"Web日記"という形式のものばかりで、”さるさる日記”というレンタル日記サービスを使う人が多かったような気がする。それらを統べる”日記猿人”という日記のランキング形式のリンク集が流行っていた。自分は日記猿人には参加していなかったが、自分のサイトにせっせと日記を書いていて、それを大学進学で上京後の2002年くらいまで続けていたので、考えてみると5年くらいは(毎日ではないものの)日記をネットに書き続けていたことになる。
今のブログのように「いいね」や「コメント」などの機能も無ければ、SNSでのシェア等も無い。言わば正々堂々の勝負。こんな硬派の時代もあったんですな、懐かしい。(まあそれと同時に”相互リンク”という忖度の世界もあったのだけど)

そんな古く良き”インターネッツ”の世界で自分はというと、日記は日記で細々と続けていて、趣味の一環として立ち上げていたコーナー”OKINAWAN BASKETBALL WORLD”、つまり沖縄の高校バスケット事情をレポートしたサイトがなぜか注目されることになる。
サイト開設から1年程経った頃に、バスケット業界では唯一の雑誌であった”月刊バスケット”の記者の方から急にコンタクトを貰い直接お会いして、紙面でサイトを紹介してもらったり、ちょうど沖縄で代表合宿を行っていた男子日本代表の取材に連れて行って貰ったりという、物凄く恵まれた機会を得た。
この流れはそのままスポーツ記者になるストーリーを連想しそうなものだが、そのフラグは気付かぬまま折ってしまっていたようで、大学進学で上京した後はそのコーナーの更新が滞り、同時に自身のバスケへの興味が薄れ、いつの間にか忘れ去られた。

それにしても当時はホームページ自体が珍しいものだったので、ちょっとニッチなコンテンツを作るとすぐに注目された気がする。自分でもYahoo!検索から自分の興味を持ったサイトを訪れては、ほとんどのサイトで設置されているBBS(掲示板)に足あと替わりに「初来訪です」的なコメントを残し、そこから交流が生まれて"インスタントチャット(icqなど)"でやり取りするようになったり、相互リンクをしたりという流れだった。インターネットという世界自体がまだまだ小さなコミュニティであり、そのインターネットで出会った時点で”仲間”であり、かつ趣味が同じであればもはや”同志”なのだ。だからこそ、その時に出会った人たちとの色々な思い出(歴史チャットでの全国オフ会in関ヶ原とか)は今でも大切な記憶なのかもしれない。

話を”おうち時間”に戻そう。

2020年の現在。3月下旬から完全リモートワークになり、電車に乗る機会は月に1回あるかないかのレベルで、ほとんどの時間を自宅で過ごすようになった。家で過ごす時間は好きだし、今の家は6年住んでいるので自分流に過ごしやすい環境にはなっているものの、まさかこれほどの時間を自宅で過ごすようになるとは思っていなかったのでまだまだ改善の余地はあるものの、それなりに不自由なく生活できている。ネットを使う時間もこれまで以上に増えたし、ZOOM飲みも色んな人としたし、何よりラジオを聴く時間も増えた。そんなことをしているうちに、1997年のあの1ヶ月の”おうち時間”を思い出して懐かしく思い、こうしてnoteを書くに至ったのだ。

家にこもると、色んなことを考える。これまでのこと、これからのこと。自分のこと、家族のこと、知人のこと・・・。そして家に居たら居たで無数の選択肢があることに気付く。
やりたいゲームも沢山あるし、読みたい小説や漫画もある。聴きたい音楽に見たい映画やアニメ。23年前なら1曲ダウンロードするのに数分掛かっていたのに、今はストリーミングでリアルタイムにて何万曲という曲が聴けるし、サブスクで何千作品もの映像作品も楽しめる。それにYoutubeもあるし。あとはRettyに下書きのままで残っているお店は1000軒も超えたし、2年前に収録だけした会社のイベントの動画制作や、仲間と続けているゲームブログの更新もある。そして昨日から始めたこのnote。
自宅に居るのに時間がいくらあっても足りない。こうして過ごせていること自体、幸せな立場なのかもしれないが。

今回のきっかけはコロナ。前回のきっかけは病気。でもまあこうしてせっかく始めたのだから、以前のように出来るだけ毎日、日記のような雑感を書き続けていこうと思う。

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