100日後に年越すオレ 87日目「あ:アメリカ」
”いろは順”エッセイの三十六日目、本日は”あ”です。
"あ”で選んだ題材は、「アメリカ」。アメリカに対しての感情が日本で一番複雑なのは、沖縄県民だと思います。18歳で沖縄を出た僕でさえ、いまだにそうなのです。
大前提の話です。日本においてアメリカは戦勝国。「ギブ三―チョコレート」でも分かるように、日本は第二次世界大戦後暫くは米軍の統治下に置かれていたわけです。日本はサンフランシスコ講和条約により主権を回復するわけですが、沖縄については1972年の本土復帰の年まで、シンプルに言えば日本ではなくアメリカだったわけです。実に27年間ですね。
僕らの代はもちろん日本に復帰後に生まれているので、日本国民だというのが当然なんですが、僕らの親の世代は正にアメリカ統治下のオキナワで生まれ育ったわけです。そういう経験をしていた人たちが、今の沖縄の中心になっていると言えると思います。何せ現在の県知事である玉城デニー知事が、米軍の父と沖縄県民の母の間に生まれたハーフなのですから。
そういった歴史もあり、沖縄で「アメリカ」に対しての感情は非常に複雑だと言えると思います。実際に米軍基地で働くなどで恩恵を受けている人たちが一定数居るにもかかわらず、特に1995年の沖縄米兵少女暴行事件が起きた後は、島は「反アメリカ(米軍)」に一気に染まりました。本当は反対できる立場じゃないような、米軍で生計を立てている人たちも言い出せない雰囲気になったわけですね。
その辺りの雰囲気というのは、まさに辺野古の米軍基地移設問題でも再燃したわけですが、どうしても沖縄が一本化出来ない理由、分断してしまっている理由がここにあると思います。米軍から(及び米軍があることによっての日本政府から)恩恵を受けているかそうじゃないか、ですね。
僕自身は正直全くもって米軍からの恩恵を受けている身ではないので、そういう意味ではしがらみなく米軍基地反対!県内移設反対!と言えそうなものですが、そうも簡単ではないというのも理解しています。米軍基地があることでの様々な特権があるということを理解しているからですね。なのでそうした部分を見ずに、または気付かずにただただ「米軍反対!」と言っている人には、心からの賛同は残念ながら出来ない気がします。
何事もトレードオフ。現状では米軍基地を受け入れ続けることでのメリットとデメリットをしっかりと見定められていない気がしますし、見定められたら見定められたでたぶん半々になって県が分断されそうな気もします。これは悩ましいですね・・・。そういう意味では沖縄の二大メディアである琉球新報と沖縄タイムスの両紙のバランスが少し心配だったりします。
話は逸れました。このように沖縄では良くも悪くもアメリカの存在は身近なんですね。そりゃそうです、フェンスを隔てて向こう側はアメリカなんですから。そして北谷町だったり沖縄市、金武町辺りのお店に行けば普通に米軍関係者は居るし、街の道路でもアメリカナンバーの車が走っているし。北谷などのバスケットコートでは普通に対戦してたりもしたし、アメリカの建国記念日などで開催される基地のカーニバルには友達と出掛けることもあったし、何より沖縄で開催される音楽フェスや大型のライブイベントでは、会場のスタッフとして筋骨隆々の兵士がバイト?なのかわかりませんが派遣されていて、モッシュとかで宙に舞うとガッチリを受け止めてくれるんですよね。物凄く頼もしいスタッフだったりします。最前列に居るとちょっと怖いけど。
というわけで米軍の人達はかなり身近に感じていたわけですね。それと並行して"アメ女"なんて言葉も生まれました。アメ女とは"アメリカじょーぐー"とも言われてます。要はアメリカ人(米軍兵士)を交際相手(結婚相手)として狙う沖縄人の女性のことです。これは昔から多くいたようで、様々な本も出ていたりします。僕の身近には居なかったんですけどね・・・。
そう考えると、やはり沖縄はまだまだアメリカの影響力をもろに喰らってしまう地域だと言えるんでしょうね。今回の大統領選もしかり、日米関係もしかり。
と同時に、既に「オキナワ」文化においては、もうアメリカの影響がぬぐえないということでもあるわけです。沖縄名物となっているタコライスにポークランチョンミート、ハンバーガー、ステーキなどは完全にアメリカ統治下による影響のものです。余談ですが僕の母は定年前は沖縄の成人病について研究していたんですが、そんな母の口癖は「沖縄人は食文化がアメリカナイズされて寿命が何年も縮まった」でした。
食文化だけではなく、音楽もそうです。オキナワンロックと呼ばれていた往年のバンドたち、紫やコンディション・グリーンなども、米軍相手に経験を積んだバンド達であり、日本ではフォークロック全盛の時にゴリゴリのハードロックを展開していたわけですね。そういう流れが合って、モンゴル800やHY、ORANGE RANGEといったバンドだったり、安室奈美恵やスピード、MAXといった沖縄アクターズスクールへの影響もあったわけです。
ここからは完全に僕の好みですが、僕はそんな”チャンプルー文化”が好きですし、沖縄ならではだと感じています。街に普通にアメリカ人が歩いているのも、違和感はありません。もちろんその歴史を見れば復帰前の米軍からの被害だったり、復帰後も日米地位協定の問題など色々あるわけですが、それよりも手を取り合ってより良いオキナワのために建設的に話せるところがあるんじゃないかと。人によっては綺麗ごとだと言われてしまうかもしれませんが。
ただ事実として、僕らが誇りに思い愛する「沖縄」はもう「オキナワ」であり、純粋な沖縄文化はもう存在しないということです。その過去を踏まえて、新たなオキナワの未来を考えるべきなんじゃないかなと思います。
来年はそんなオキナワでの仕事、増やしたいなと思います。