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反射鏡③

やっと書けた。

ずっと、ずっと、彼に憧れていたし、彼になりたかった。
それは勿論、九重さんに振り向いてもらえない、悔しさと屈辱を含んだものではあったけれど、それ以上に、その博愛主義が、羨ましかった。

高校三年生、担任の希望で(今振り返ってもどうかしてる)、私と、彼と、九重さんは、同じクラスになった。
控えめに言って、地獄。

結局、あのクラスでは、一人の友人も作らなかったし、一度も教室でお昼ご飯を食べていない。
同窓会には二度と参加しないし、関わることもないだろう。

大学入試を経て、九重さんは一橋に、彼は早稲田に、私は同志社に進学した。
私と彼は、第一志望の大学に落ちた。

その後の、九重さん、彼の動向は、一切知らない。
間接的な接点は多い分、情報が入ってくることもあるけれど、それだけだ。

でもそれは、興味が無かったからではない。
何もかも嫌になって逃げだした自分が、本当に悔しかったし、情けなかった。その上で、これ以上「差」がついている事実を認識するのが、嫌だった。

大学では、勿論、遊びも楽しんだけれど、かなり真面目に勉強した。
彼らに、せめて対等でいられる、地位が欲しくて、それだけがモチベーションだった。

弁護士になれば、その過程として国立大(阪大・京大)のロースクールに入れば、と考え、受験し、全部に落ちた。

勝てないんだな、と思った。

彼らの視界に私は入っていないし、こんなにも引きずっているのも私だけだろう。
純粋に関西を楽しめず、挑んだ勉強でも簡単に阻まれ、コンプレックスだけで生きているのが、ただただ惨めだな、と感じた。

客観的に見れば、私はたぶん、上手くやっていた。
誰も知り合いのいない土地で、一から人間関係を作り直した。友人も、恋人も、学校の成績も、教授からの信頼も。

自分の中で、理想像に近づける努力は怠らなかったし、結果としてもそうなれたとは思う。

けれど、名前がなければ、学歴が、彼らに明らかに示せる、何かがなければ、全然ダメ、という想いが消えなかった。

続く


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