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「努力って意味あるの?」Z世代が抱く漠然とした違和感と日本社会の壁
序章:違和感から生まれた疑問
「Z世代は“求めすぎない”とか“無理に出世しない”とか言っているけれど、それってただの現状維持志向ではないか?」
僕は最近、こう感じることが増えた。実際、僕が周囲の若者と話していると(かくいう僕も25歳だが)、
「そこまで頑張らなくても生活はできるし、QOL(生活の質)を上げるほうが大事だよね。」
という声をよく聞く。
もちろん、経済的にも文化的にも豊かになり、娯楽が溢れているこの時代だからこそ、人生を全力で“仕事”に注がなくても生きていける現実はある。
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だが、僕はどうしても “違和感” を拭えない。
なぜなら、今の日本には大きなチャンスが眠っているにもかかわらず、あえてそこに挑戦しようとしない風潮があるように思えるからだ。
まるで「挑戦することがバカらしい」「どうせ報われない」という諦めムードさえ感じる。
僕はそこに危機感を覚える。
そこで突き止めた仮説が、「既得権益」という壁である。
既得権益とは、文字通り「既に得ている権益」のことだが、ここでは「権利やポジションそのものが資産化してしまう状況」を指す。
持っている人にとっては大きな価値だが、それを持たない人にとっては極めて参入障壁の高い壁となる。
この構造が「新参者を排除する」「挑戦者が報われにくい」社会を生み出し、ひいては若者の無気力化を招いている可能性が高い。
この問題に行き当たったとき、僕はどうしても黙っていられなくなった。
「努力は大事だ」と知っていても、「どうせ報われないならやらなくていいや」と思ってしまう人たちが多いのは、はたして本人の甘えだけだろうか。
それとも、社会そのものが若者を失望させる構造を内包しているのだろうか。
本稿では、こうした違和感を出発点に、日本の既得権益とZ世代の無気力化を結びつけて論じる。
そして、その先にある「それでもなお、この社会は攻略するに値するゲームなのだ」という僕自身の考えを提案したい。
僕自身、周囲が遊びや飲み会に興じている時間を使って、読書や自己研鑽に励んできた。
その結果、友人から「意識高いな(笑)」「変わったな(笑)」と嘲笑されることもあった。
しかし、それを経てもなお僕は強く思う。
「いや、やっぱり挑戦しよう。だって、そのほうが面白い。」
と。だからこそ、この体験を交えながら社会を“攻略”する面白さを一緒に考えたい。
✍️ ポイント
若者が「頑張らない」風潮に対する違和感
既得権益の存在がもたらす社会的閉塞感
それでもなお、挑戦することの意義
第1章:Z世代の“無気力”はなぜ生まれたのか?
1-1. 豊かさが生む“頑張る理由の希薄化”
Z世代の価値観を語る際に、まず注目したいのは豊かな環境である。国内総生産(GDP)で見れば、日本は世界トップクラスの経済規模を長期間維持してきた。
*ドイツとインドに抜かれてもなおまだ世界5位。
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物質的にはかつての高度経済成長期と比べても格段に恵まれている。たとえば、高度経済成長期(1955〜1973年)に「三種の神器」と呼ばれた家電(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が現在では当たり前に行き渡っているどころか、スマートフォンやインターネットなど、さらに高度な娯楽や通信ツールが個人レベルで活用できるようになった[1]。
こうした環境の中で、「頑張らなくても生きていける」選択肢が増えたことは事実である。
厚生労働省が公表している国民生活基礎調査(令和元年)でも、若年層(20代)のうち「将来への強い不安」を持つ人は確かに存在するが、一方で「生活への満足度」は比較的高い水準にあるというデータがある[2]。
これは、社会に対する漠然とした不安と、個人レベルの生活充実感が同居していることを示唆している。
たとえるなら、「なんか社会は不安定そうだけど、自分の暮らしはそこそこ満足しているし、別にムリしなくていいや」という心理だ。
これは一見すると平和な状態だが、その裏で生まれているのが挑戦に対する意欲の低下である。
1-2. “どうせ報われない”という諦めの正体
「日本にはもう成長の余地がない」「上が詰まっているから努力が報われない」などのフレーズを、SNSや若者の会話でよく耳にする。
実際、Twitter(現X)をはじめとするSNS上で、「副業を始めてみた」「起業してみた」と勢いのあったアカウントが、いつの間にか消えているケースは珍しくない。
この“諦め”の背後にあるのが、既得権益をめぐる構造だと僕は考える。既得権益のある世界では、
既存の権利を持つ者が新規参入者を阻む
挑戦が失敗した際のリスクが大きい割に、成功しても利益が限られる
そもそも既存の秩序を壊す必要があるため、“空気を読まない人”として叩かれる
という図式が成り立ちやすい。
つまり、リスク・リターンのバランスが極端に悪化するのだ。それならば、最初から「頑張らないほうがマシだ」と思う人が増えても不思議ではない。
また、社会心理学の観点から言えば、学習性無力感(learned helplessness)という概念がこれに近い[3]。
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つまり「何をしても自分では状況を変えられない」という経験を繰り返すと、人はやがて行動を起こさなくなる。
この無力感が社会全体に広がると、国全体で挑戦が生まれにくくなる。僕はまさに、既得権益がその学習性無力感を誘発する一因だと感じている。
✍️ ポイント
豊かな環境ゆえに“頑張る理由”が希薄化
既得権益構造が若者に「どうせ報われない」という学習性無力感を与える
挑戦が叩かれる空気が無気力を助長する
第2章:既得権益と経団連──日本が突き抜けないメカニズム
2-1. 戦後日本と経団連の成り立ち
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日本の大企業が集まる経団連(日本経済団体連合会)は、1946年に設立され、戦後の日本経済を牽引してきた団体である。戦後、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は、日本の財閥を解体する一方で、経済をコントロールするための新たな仕組みとして経団連を活用した[4]。
これにより、一人の圧倒的リーダーが生まれにくい“集団指導”のスタイルが定着したとされている。
その結果、日本の大企業のトップには、社内政治を勝ち抜いたサラリーマン出身の経営者が据えられる傾向が強まった。
もちろん、すべての経営者が無能というわけではない。
しかし、ゼロから事業を興してリスクを取って成長してきた“創業経営者”とは大きく異なるマインドを持つことが多い。
「自分が創業者ではない以上、組織を守ることが優先」という意識になりがちなのだ。
ここで言う“組織を守る”とは、新しい挑戦よりも既存事業や既得権益を死守する姿勢を指す。
2-2. 突き抜ける個人を排除する構造
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日本から“ガーファ”(Google, Apple, Facebook, Amazon)のような世界的IT企業がなかなか生まれない理由について、経済評論家などがしばしば「日本人の挑戦意欲が低いから」と指摘している。しかし、僕はそれだけではなく、「体制側が個人を警戒する構造」が大きく影響していると考える。
例えば、ライブドア事件での堀江貴文氏の逮捕は、その象徴的事例だと多くの論者が指摘している[5]。
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当時、フジテレビ買収を試みた堀江氏は、「ITベンチャーがマスメディアを手中に収める」と世間を大きく騒がせた。
これは、既存の経営体制やメディア構造にとって“危険”な動きと受け止められ、最終的には逮捕という形で失脚を余儀なくされた。もちろん法的に問題があったかどうかは別として、突出した個人の台頭を許さない空気が当時強かったのは事実である。
同様に、ソフトバンクの孫正義氏は経団連に対して批判的な立場を取り続け、電力事業(再生可能エネルギー)での参入時に経団連と対立した経緯がある。
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結果としてソフトバンクは経団連を一時期退会した。これは、経団連という既存の秩序から見れば“異端”な動きだった。しかし孫氏は強引な手腕と外交力で粘り、現在に至っている。
要するに、日本には「個人が突出しすぎると潰される」「既存の枠組みの中で動くように調整される」という空気が根強い。
こうした空気は、そのまま若者の挑戦意欲を削いでいる。彼らは大学や就職活動の段階で、実際に破天荒な挑戦をする人たちが社会的に叩かれる様子をSNSやニュースで目にする。結果、「結局、目立つと潰されるんだ。だったら最初から普通にしていればいい」と思うようになるのだ。
✍️ ポイント
経団連は「集団指導体制」でリスク回避を優先
個人が急激に台頭すると警戒される
この構造が若者に「どうせ報われない」と感じさせる
第3章:“リーダー不在”と“肩書き主義”──政治にも垣間見える問題
3-1. 政治家に見る“結果より肩書き”の構造
日本では、政治の世界でも“リーダー不在”が叫ばれて久しい。実際、「大臣や要職経験者の何割が世襲なのか?」を調べると、驚くほど高い割合になっているという指摘がある[6]。
これが必ずしも悪いことばかりではないが、「肩書き(家柄や学歴)がある人」が要職を占め、実際に実績を出した“真のリーダー” が必ずしも政治家にならないという構図がある。例として、小泉進次郎氏が挙げられることも多い。
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こうした世襲政治の問題点は、実績よりも“名門”という肩書きに注目が集まり、政治がパフォーマンスや人気取りの場になりがちなことだ。
若者世代からすれば、「ああ、政治家って結局、家柄がいいとか親が政治家だとか、そういう人しかなれないんだね。つまり努力しても無理じゃん」と考えてしまう。
3-2. 失われる夢と学習性無力感
政治の世界でさえ、既得権益の塊のようなイメージが広がっていると、「自分が政治に参加しても意味がない。投票しても何も変わらない」と感じる若者が増える。
一方、政治家が若者を取り込むために“映え”重視のSNS戦略を行っても、それが形だけなら逆効果だ。「本当に行動で示してほしいのに、結局は人気取りか」と白けさせる結果になる。
こうした状況は、まさに 「努力しても報われない」という学習性無力感 を増幅させる。自分自身の選挙活動や政治参加で社会を変えられる可能性が見えなければ、人はやがて行動を諦める。
✍️ ポイント
政治家にも既得権益構造が存在し、世襲や肩書き重視が蔓延
若者は「結果より肩書き」に失望し、政治への興味を失う
無力感が全体に広がると、挑戦意欲がさらに下がる
第4章:それでもこのゲームは面白い──攻略のカギは何か?
4-1. 「既得権益」への逆張り思考
既得権益が硬直化している社会は、一見すると“参入障壁”が高く挑戦しにくい。しかし、逆に言えば、それを突破したときのインパクトは大きい。僕自身、「どうせ努力しても報われない」と嘆くよりも、「だからこそ突破できたら面白い」と思いたい派だ。
この発想を“逆張り思考”と呼ぶことにしよう。多くの人が諦めている市場や分野こそ、やり方次第で大きな成果を得られる。たとえばSNSの世界でも、みんなが「Instagramが主流」と言っているときに、あえてX(旧Twitter)やTikTokを極めた人が成功するケースは少なくない。人が諦めている場所ほど、競合が少なくなるのだ。
学術的には、経営学者のマイケル・ポーターが提唱した「差別化戦略」や「集中戦略」[7]の文脈でも、強力な競合がいるレッドオーシャンよりも、未開拓のブルーオーシャンを狙うほうが成功の確率は高い。日本においては既得権益が厚い分野は既にレッドオーシャン化しているが、視点を変えれば新しい技術やサービスが生まれる可能性は十分ある。
4-2. “意識高い”と笑われても挑戦すべき理由
僕自身、友人から「意識高い系だな(笑)」「お前変わったな(笑)」と揶揄された経験がある。
しかし、そこで屈しない理由は単純だ。「挑戦しないほうが退屈だし、挑戦したほうが結果的に楽しい」からだ。
挑戦する過程で得られるスキルや人脈は、たとえ失敗しても次に活きる
同じ志を持つ人と繋がりやすい(既得権益側の人とは違うコミュニティが生まれる)
何より“自己効力感”が得られる(学習性無力感の克服)
確かに、既得権益がはびこる社会では、一度の挑戦で成功する保証はない。失敗する確率だって高い。
しかし、それでも僕は「成功するまで挑戦を続ければ失敗はない」と考えている。多くの人が途中で諦めるからこそ、最後まで走り続けた者にだけチャンスが巡ってくる。
また、近年ではクラウドファンディングやSNSによる情報発信など、既存の組織に属さなくても資金や支持を得られる手段が増えている。これは既得権益の外側から突破を狙う人々にとって、大きな追い風である。
✍️ ポイント
既得権益構造は確かに厚い壁だが、逆に突破すれば大きな報酬がある
“意識高い系”と笑われるのは一種のエネルギー
諦める人が多いからこそ、諦めない人にチャンスが巡ってくる
第5章:日本が生まれ変わる未来──僕が信じるシナリオ
5-1. 戦後の復興とバブル崩壊を経て
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日本はかつて、戦後の焼け野原から急激に復興し、高度経済成長を達成した。その原動力となったのは、まさに創業経営者たちのリスクテイクである。松下幸之助(パナソニック)、本田宗一郎(ホンダ)、盛田昭夫(ソニー)などは、ゼロからグローバル企業を築き上げ、日本を世界有数の経済大国へと押し上げた。
しかし、バブル崩壊後は大企業のトップがサラリーマン経営者へと移行し、守りの姿勢が強まったと指摘されている[8]。
ここからの約30年間、日本は停滞とデフレに苦しんできた。ただし、裏を返せば、これだけ長く停滞しているからこそ大きな変革が待たれているとも言える。
5-2. 新時代の“創業者精神”
僕は、これからの日本で必要なのは再び「創業者精神」を取り戻すことだと断定する。政治家・官僚の肩書きだけでなく、個人がそれぞれに“自分の人生の創業者”として動き始めれば、社会の風通しは変わるはずだ。
個々人が自分で稼げるスキルを磨く
(プログラミング、動画編集、AIリテラシー、語学など)SNS等の個人メディアを最大限に活用して、自分だけのブランドやファンを築く
既得権益に縛られない“個の時代”を追求する
これらはすでに多くの人が実践しているが、“普通でいいや”と思っている人たちがさらに参入してくれば、日本全体の活力は劇的に変わる。
たとえば、YouTubeやTikTokで個人が世界的な発信力を持つケースが増えていることが、それを証明している。
結論:このゲームは“楽しんだ者勝ち”である
既得権益がある社会は、正直なところ不公平感が強い。しかし、その不公平さを嘆くだけでは何も変わらない。むしろ「不公平なゲームをどうやって攻略しようか?」と考え、ワクワクして行動した者だけが次のステージに進める。
僕自身、「日本は再び生まれ変わる」と信じている。戦後の奇跡の復興を成し遂げた国が、現代の変化に対応できないわけがない。問題は、どれだけ多くの人が「このゲームを楽しむ」マインドを持てるかだ。
「自分の成功は確約されている。なぜなら、このゲームを楽しんでいるからだ。」
これは一種のセルフエフィカシー(自己効力感)の表明でもある[9]。
人間は自分が「絶対にできる」と信じ続けることで、困難や失敗を乗り越えるエネルギーを得る。そして、そのポジティブなエネルギーは、周囲にも伝染していく。
だからこそ僕は声を大にして言いたい。「既得権益の壁は高いが、登れないわけではない。そこを乗り越えようとする過程そのものが人生を面白くするのだ。」と。むしろ、高い壁に価値がある。低い壁ばかりの社会では、そもそも挑戦のモチベーションすら得られない。
最後に、僕が読者に伝えたいのはシンプルなメッセージである。
「どうせ努力しても報われない」と思うのは、社会構造が一因かもしれないが、それを変えられるのもまた我々の行動にかかっている。
そして、その行動に踏み出すかどうかを決めるのは、結局のところ自分自身だ。僕は信じている。日本は復活する。いや、必ず生まれ変わる。そのキーマンは、「このゲームを楽しもう」と思っている僕たち一人ひとりなのだ。
「意識高いね(笑)」と言われてもいいではないか。
何なら、その言葉を「誉め言葉」と捉えるくらいの心意気で、共に挑戦の舞台に飛び込んでいこう。そうすれば、日本の未来は案外明るいはずだ。
【参考文献・資料】 [1] 総務省「情報通信白書」(2021) [2] 厚生労働省「国民生活基礎調査」(令和元年) [3] Seligman, M. E. P. (1975). *Helplessness: On Depression, Development, and Death.* San Francisco: W.H. Freeman. [4] 経団連ウェブサイト「経団連のあゆみ」 [5] 三橋貴明 (2009) 『堀江貴文の功罪』扶桑社 [6] 朝日新聞デジタル (2020) 「世襲議員の実態」 [7] Porter, M. E. (1980). *Competitive Strategy.* Free Press. [8] 竹中平蔵 (2002) 『構造改革の真実』PHP研究所 [9] Bandura, A. (1997). *Self-Efficacy: The Exercise of Control.* W.H. Freeman. </div>
おわりに
以上が、僕の抱く“違和感”を出発点に、既得権益とZ世代の無気力、そして「このゲームをどう攻略するか」を考えた記事である。断定口調を用いたのは、それだけ強い思いがあるからだ。もし読者の中に「何か動いてみたい」「でも無理かも…」と迷っている人がいるなら、この文章が背中を押す一助になればと願ってやまない。
そして何より、僕自身がこのゲームを全力で楽しむことをここに宣言する。世の中がどう言おうと、自分が「面白い」と思うことに突き進む。その先には、きっとこれまでにない景色が広がっているはずだ。
一緒に、日本を生まれ変わらせよう。いや、必ず生まれ変わると断言する。誰かが見ていなくても、自分が信じ続ければ、その物語は必ず実現するからだ。