最初で最後の武道館は1番面白かったのか。

人生がもう一度あったとして、また実況者のオタクになりたいかと聞かれたら、迷いなく頷くことができるだろうか。

白昼夢のようだ。8日に入った居酒屋で、隣に座る友人にそう話した。
元々食わず嫌いしていたジャンルだった。もう1つのグループを好きになった頃から数えたら3年ちょい、たった3年なのに、喜怒哀楽全方位、大小問わず色々あった。泣いて怒って笑って、摩耗して死んで、招かれざる客だったと結論付けた。私が好きになるべきものじゃなかった。気の迷い、三夏のアバンチュール。すごく長い夢を見ていた気分だった。

活動休止の発表があった後、つい、「こんな風にはっきり宣告されるのと、何も言わずにフェードアウトされるの、どっちのが辛いんですかね」とぼやいたことがあった。実際、発表されていたことで辛くなってしまった時間もたくさんあった。普段ならただの心配で流せた小言が、活動休止という結論が見えてしまっているせいで、全てそこに帰結していった。方便になった。答え合わせが活休なのが本当に辛かった。

武道館行くのも悩んだ。ただでさえ「人生で初めて武道館に行く」「初の大規模イベント参加」みたいな人が一定数いて知識差がある中で、動画や配信というバラバラのプラットフォームで曖昧な定義のまま発信される要望。(HPに書いてないものをルールと呼びたくはない)気を揉むのも嫌だし、家で配信を見るにとどめた方が、綺麗な気持ちで終われるんじゃないかと思った。でももし配信を見て、生で見たかったと思ったら。もう二度と、本当に二度と手に入らないものを望み続けることになったら。それが怖くて、上司に頭を下げいろんなものを犠牲にしなんとか都合をつけた。
あの動画が上がった日、泣きながら駆け込んだトイレで電話先の友達に伝えた「私にできることはなにかな、8ヶ月で何を残してあげられるかな」って気持ちを、最後まで強くて待てなかった自分が残念だった。
私はそんな強くなかったってことだ。とにかく1月まで生きること。当日なんとか辿り着くこと。それだけを目標に逃げる様に息だけしてた。

悲しかった。こんな風に失いたくなかった。1年でいろんなものを失いすぎた。こんな思いするくらいなら好きにならなければ、と、少しでも頭を掠めたことに罪悪感を覚えてまた苦しくなる。何より今まで手元にあった、大切だと思ってたものたちが、私の信じていたものではないかもしれないという疑いが生まれたことが耐え難かった。

3日間、楽しかったよ。見知った赤い看板の下にタイトルロゴがあるの見て興奮して、会場入ったら垂れ幕あってまたテンション上がって、ようやく会えて嬉しくて、背中見せて真剣に謎解いてる様子がいい意味で素人っぽくて楽しかった。アンケートフォームから伏線張って日常の延長みたいに始まって、等身に近い姿で準備の空気を共有できて、新鮮で面白かった。それぞれの進路へ踏み出す瞬間を見届けられて嬉しかった。3日ともチケットとってよかった、時間確保できてよかったと思った。

でも、これだけははっきり書いておきたい。私がこの3日を良かったと思えるのは、私が楽しく過ごすことより、あなたたちが楽しく過ごすことを優先したいと思えたからだ。
3年掛けてジャンル全体に対して1つずつ期待を下げた。悪いことじゃない。別にプロじゃないもんね。いい表現が見当たらないが、あくまで会社でも芸能人でもない素人ができる範囲でやりたいことをやって、こっちが取捨選択をするものだという認識に至った。(プロの方はごめんなさい)
特にこの8ヶ月は納得いかないこともたくさんあったけど、好きだったから、やりたいようにやればいいと最後には思った。おこがましい言い方かもしれないけど、私が彼らのためにできる最後のことかなと思って、今までの感謝を込めて、彼らが楽しむ場をあげられたらいいな、という方向に気持ちを切り替えていた。だから満足しているし、貴重な時間を過ごせて幸せだ。私自身も楽しんだ。
でもそれは、企画が完璧だったからじゃない。完璧じゃなくても愛しいと思えるくらい愛してたから。ぐだぐだしてても微笑ましくて、スタッフと呼ばれるのも貴重な経験と喜べる、ファンたちの愛で成り立っているんだよ。
そして、悲しいと思っているのは、怒っている人たちは、私と違って、演出や構成にちゃんと期待を持っていた人たちだということを、どうかわかっていてほしい。全ての理由がそうじゃないだろうし、私には代弁できないから、私のやるせなさでしかないんだけど。1万円の価値を、時間を、後悔させないという言葉を、信じていた人たちだ。私の様に投げやりに、なんだっていいよと自暴自棄にならず、イベントをイベントとして楽しみにしてた人たちだ。全ての人が大好きって叫びながら帰れるって、最後まで懸命に夢を見て、愛して、信頼してお金払って時間作って席に座ってた人たちなんだ。それは愛が成せることだよ。

非難はしない。というより、私にはできない。なぜなら私は楽しかったから。スムーズじゃなかったし盛り上がりに欠ける時間はあったかもしれないけど、生を実感できたし、火や煙にはしゃぐ姿や、紙吹雪カットを楽しもうと画策する様子が、素っぽくて等身大に見えて、微笑ましかった。銀テープの中尻餅ついて曲に合わせて振る手のひらがカラフルで、そういう光景の一つ一つを刻んでる。制作過程を現場の空気感合わせて体感できることなんてないし、「グループを一緒に形作ってきた」「一緒に公演を完成させる」的な意思も受け取った。繰り返しになるけど、私はやりたいことをやってくれたらそれでいいと思っていたから。
モヤモヤがなかったわけではない。全く姿が見えないのは寂しいからと最後まで指定と注釈で粘ったのに、全然背中向けられるし自分より安い席にばかり接近してファンサしてるの凹んだけど、花道歩いてみたかったんだね。私たちには平等に愛する姿勢でくることをお願いしたのに、私たちのことは平等に扱ってくれなかったけど、やりたい企画構成があったんだね、銀テ舞ってる景色見たいよね、客降りもしたかったんだね。自分の寂しさ、希望、疑問を、自分で踏みつけて「6人が楽しんでるなら」と納得させた。唯一明確に残念なのはバンド演奏6人でやってくれなかったことかな。ボーカル3人じゃダメだったんかね。でも最後迎えに来てステージで飛び跳ねさせてくれたから、2人がいいならいいことにした。

そしてなにより、ちゃんとお別れさせてくれた。次に進む餞別をくれた。これは何にも代えられない。うっすら話は聞いていたけど、これからは作る側で業界を支えたいと宣言した推し。2人で意志を継ぐと、変わらない動画をあげ、活動を続けていくと宣言してくれた2人。自作ゲームを持ち込んで、実況席じゃなくて一歩後ろの椅子に座って、後ろから操作の補助する推しと、2つになった椅子に座って、武道館でもゲーム実況してくれた2人を見て、止まらなかった涙は嬉しかったからなのか、寂しかったからなのか、わからなかった。わからないけど、ひとつだけ、明確に言葉になったのは、「ああ、あの人たちもこうやって見送れたらどれだけよかっただろう」だった。こんな風に名前が残って欲しかった、だった。そこでやっと気付いた。私は時間が必要だった。フェードアウトされるより、宣言される方が、私にはよかったんだと。

何かを追いかける人生を、もう10年はやってきて、悲しいお別れを何度も体験してきたし見てきた。不仲で解散したコンビ、刑事事件でメンバーが減ったバンド、コロナで代理キャストのまま千秋楽を迎えた舞台、理由も状況もはっきりしないまま解体になった実況グループ、その影響で打ち切りになった漫画。
大好きな人がもう表舞台には立たないだろうこと、分かってたけどやっぱ辛くて、本当にもう会えないのかと実感してタオルを握りしめて漏れそうな声を必死に抑えた。でも、自作ゲームという意思表示が本当に嬉しかった。かっこよかったし誇らしかった。これからもゲームと生きてくんだなって思って眩しかった。目かっぴらいて涙振り切ってさ、オペラグラスも外して肉眼で焼き付けるんだって、名前と意思を残してくれる2人の決意も見届けるんだって、情熱が返ってきたのを感じた。
里芋も前日は半分ボケだと思って笑ってたのに、あまりの覚悟と誠実さに泣いてしまった。
コントは本当に驚いた。カッコつけたがりだから伏線回収系の、コメディ劇テイストのネタが来ると思ったらシンプルにボケの面白さが光ってて悔しいくらい笑った。同じお笑い好きとして、プライドを感じたし素直に感心した。
6色のレーザーライトが私の座る1階席を通る。それだけで嬉しかった。尋常じゃない量の紙吹雪に前日の前振り思い出して笑いながら手を振れた。賛否あるけど私は紙吹雪カット好きだった。フォークカット、本当にアホで、めっちゃ楽しかった。どんなこともエンタメに、楽しく変えようという、これまでの活動を支えた精神性を強く感じて、印象に残ってる。大喜利も最高だった。福笑いも発想めっちゃいいなって思った。観客を巻き込むアイディアを6人らしさと両立したいい企画だった。

だから本当は胸張って言いたかったよ。やっぱり企画力最強だねって。「これより面白いものが出てきたらまたやりたくなるかも」ってビッグマウスを、弄りながらも確かにすごかったねって笑い合いたかった。
8日に招待した同業者たちに見せたのが「リハーサル」だった以上、このイベントが1番面白いとは口が裂けても言えなくなってしまった。発想は面白いよ。私たちと一緒に作る、というコンセプトも素敵だと思う。でも、これ肯定しちゃったら、あの人たちがくれた「全力の本番」の価値を下げることになっちゃうから。楽しい、面白いって、心が決める。あっと驚く発想も、心がついてこなければ楽しいに辿り着けないんだよ。置いてけぼりになった心があること、伝わっててほしいな。伝わらないのかな。信じたいな。

2024年が終わったら、中指立ててやろうと思ってたけど、明けてみたら酷いことは言えなかった。ボロボロでも、大切なことも孕んでいて、全てを否定できるほど憎んでもなかったんだと初めて知った。

二度と実況者なんか好きにならないと思ってた。8日まで思ってた。またファンになりたいかと聞かれたら、やっぱり頷けない。でも、「二度と」は取り消そうと思えた。そしてだからこそ悔しい。8日まで思えなかったことを9日に取り返したことは、やっぱり9日が特別だったことの証明だから。8日、もう二度と会わないかもしれないから、と言いながら、集まって写真を撮って、今まで誰にも言えなかったやりきれなさをわかるよって聞いてくれた人たちが、どんな思いで今過ごしてるのかと思うと本当にやるせ無い。「笑ってお別れしたいから8日にした」という人が泣いている事実があまりに痛い。
それでも私にとってはいい時間だった。終わった時心からありがとうと思った。ワイテルくんクッション買えばよかったなとか、バンド動画しっかり追っておけばよかったなとか、後悔がポツポツ浮かんできて、それが嬉しかった。後悔を抱けないほど心が死んでたから、武道館の中で、蘇ったことは奇跡だった。この喜びが、誰かの悲しみを踏み台にして成り立っていることが悲しい。

白昼夢は白昼夢じゃなかった。気の迷いではなく、確かに3年使った。私が選んで、私の意思で好きだった。3年が現実に戻ってきた。私にはそれだけで十分だ。
最高だったとは言えない。それでも、私にとっては大切な3日間だった。


.

7日、ただひとり、客席に頭を下げてから退場したあなた。照明を覆う手で隠れる人がいないように、ずっと自分の目元にひさしを作っていたあなた。8日が大切なたった1日の本番である人に言葉をかけてくれたあなた。これからもゲームと生きてくれるあなた。大好きだった理由の全てが詰まってました。全ての日程で、ただその一つの仕草、一言で、その場にいる価値をくれました。
あなたのコラムが大好きです。昨日、読み返して声を上げて泣きました。2020年に別れの詩をお守りにくれたあなたが、別れじゃないというお守りを持たせてくれた。この言葉だけできっと、一生を生きていけます。箱推しだった。かたまりとして好きだった。それでも擦り切れたこの8ヶ月の最後、愛を思い出せたのは、あなたのおかげです。あなたが好きでよかった。あなたのいる人生でよかった。だからそんなあなたが、これからはすぐそばにいない生活が本当に怖いけど、必ず会えるから、おんなじ地球にいれば大丈夫だから、火星とかに移住する場合はご報告いただけると助かります。笑
最初とか最後とかこれまでとかこれからとか関係なく、あなたはあなたで、あなただから好きです。これからも、眠れない夜はsomewherを聞くよ。どこかにはあなたがいるから。

いいなと思ったら応援しよう!