無職がおわって

さいきん就職した。半年くらいだらだらと続けた無職はあっという間に終わった。決まった時間に電車に揺られて会社へ行く生活が戻ってきた。テレワークしている人が多いのか、電車はそこまでぎゅうぎゅうではないので、通勤しやすい。

無職期間はあっという間だった。このnoteをはじめたのも、無職だと時間があくからせっかくなら何か書こうとおもってはじめたものだった。noteというサービスもよく知らないまま、文章を書いたらスキが貰えて「自分の書いた文章が誰かに読まれるって、こんなに嬉しいんだな」と思って夢中になっていた。

そもそも、メンタル面がやられてスススーッと逃げるように仕事を辞めていたこともあり、心がずたぼろな状態だった。心は目に見えないから自分のことを把握し辛かった、さんざん殴られてもう立ち上がれないですっていう状態に近かったことを覚えている。罪悪感と、みっともなさ、情けなさ、いろいろ混じって誰とも会いたくなかった。

それでも、何も抱えずにぼーっと過ごした日に見上げた空はすごく綺麗だったし、パソコンを通じてスキをもらうことでちょっとした承認欲求も満たされ、仕事でガリガリに削れていた自尊心がちょっとだけ回復した。本当はしかるべき機関にかかってとっとと回復したほうが良かったのだろうが、幸いにも時間があったので、時間を味方にしてどうにか心を回復した。

そして、だんだんメンタルが回復するにつれて、かつて仕事をしていた頃に「やりたいな」と思っていた勉強へ手を出したりして充実した無職ライフを過ごせるようになっていた。コロナがたまたま同時に流行ったせいもあり、無職だけどお金を使う誘惑(外食とか)がないまま過ごせたので、無職期間を思ったより長く過ごすことができた。

お金をためておいてよかったなと思う。かつて自分の身を削って貯めたお金で、「こんな場所もういやだ」と勢いで飛び出してもどうにか生き延びることができた。あのときお金がなかったらすぐに就職していただろうが、メンタルがどうしようもなくボロボロなまま、今でも病みながら働いていたのではないかと思う。

今回の無職での一番の学びは、「時間があってもやりたいと思ったことを永遠に行わない」ということだった。「時間があったらxxしたいんだけどなぁ…」と思っていたことを無職になる前に全て書き出して「よし!やるぞ!」と思ったけど、全然手をつけなかったことのほうが多かった。

無職になる前は「時間が空いたらxxしたいんだけどなぁ、今はできない。この環境が悪いんだ」と思っていたことが多かったけど、果てしなく贅沢に時間を使える環境にいてもyoutubeも英語の勉強もデザインの勉強もなーーーんにもしなかった。自分は自己管理能力が弱くて、誰かにお尻を叩かれないと動けないタイプなんだなぁということをしみじみ痛感した。

あとは、時間が空いたのでかつて自分が抱えていた学生時代のコンプレックスをわーっとここに書けたのは、自分にとっては良かった。何かをする時に、学生時代の嫌な思い出がちくちくと自分の記憶を邪魔してつついてくることが多かった。でも、ここでわーっと書いたせいか、無職前よりもあの頃へのこだわりが薄くなっている。友達? あぁ少なかったね。楽しい学生生活を過ごせた人はうらやましいし、自分と仲良くしてくれなかった人は恨めしいけど、そんなことはもう昔の話だからどうでもいいなぁ…といった感じ。

飲み会とかで、こういう話を自己憐憫と共にわーっと話すような感じで、noteにわーっとかけたのが良かったのだと思う。この手の話を人にしても相手がかわいそうだし、自分もあとで「あんなこと話さなきゃよかったわー」と思ってしまうだろうから。誰かに話を聞いて欲しいけど、不特定多数のゆるやかな承認がもらえればそれでよかった。

カウンセリングを受けるのが一番良いのだろうけど、お金をかけずに過去を振り返って執着を手放すならば、文章にして吐き出してしまうのも良いと思う。恥ずかしいなと思っても、書いてみて誰かに読んでもらえたと思えば、少し胸の支えが取れてスッキリすると思う。そして、過去に囚われず、人生の”いまこのとき”に集中できる。

30歳になる前にその手の感情のがんじがらめを弱めることができたことも、自分にとってはポジティブな変化だったと思える。よかった。noteありがとう。

いまのところ久しぶりの労働を気遣ってもらっているのか、そこまで負担が高くない状態で働けているので、久々の就労も順調でひと安心だ。これからきっと働いていて色々と大変なこととかあると思うけど、自分の人生の中で不意に訪れた夏休みのような半年間がきっと自分を救ってくれる…はず。

しばらく労働者をがんばる。

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