底無しバケツ
じょじむらさんのうつ猫シリーズが好きで、忙しい時や理由不明のしんどさがあるときに読むことが多い。
最近のうつ猫作品で、バケツの底に穴があいている比喩表現が出てきた。この感覚は結構馴染みがあるなぁと思った。たいてい精神的に沈んで自分でどうしようもない状態になっているときは、蟻地獄のようにバケツの穴が自分の心の健康な部分をすべて吸い取ってしまう感じがしていた。この状態のきつさは誰にもわかってもらえない気がするけど、私以外の人もそこそこ経験している可能性があるキツさなのだろうと思う。
バケツの穴の前では「ちょっと美味しいアイスクリーム屋さん」とか「読んでみたらめっちゃ面白かった漫画」とか「週一で顔を出す定食屋さんで顔馴染みになった店員のおばちゃんが味噌汁サービスしてくれた」とか・・・そういった慎ましいけど明るくて元気になるような事象は全く歯が立たない。全て砂粒となってバケツの底に吸い込まれていく。からっぽのバケツを自覚すると苦しくて苦しくて、消えたさと心がギュッとちぎられるような、どうしようもない孤独とキツさだけが自分の世界を覆い尽くしてしまう。
この苦しさの原因がどうしても掴めなかったのだけど、カウンセリングで認知行動療法をすすめられ試し、バケツの底に穴があいているような感覚というものが何なのかうすぼんやりわかってきた(ような気分になっている)。それは「自分が心が揺さぶられる感情を知覚するとき、ネガティブなものだけしか見ていない」という自分の認知特性があると思われることだった。
言葉にすると単純だし、心というバケツに穴があいたような”苦しさ”の原因なのだから、ネガティブな感情が影響していそうだということは冷静に考えればすぐわかりそうなものだけど。このことを見つけたときに「あ、このキツさを捉えたぞ」と思って少しホッとした。少なくとも、言葉で客観的に事象を把握できれば、原因をみつめて対策を立てることができる。
呼吸がしづらいような、どうしようもなく悲しくて自分でも困ってしまうような時も「自分はネガティブな感情だけ拾っちゃうタイプだから、意識して楽しいことを見つけていこう」と思えれば今までより少し気が紛れるし、自分で自分の人生を少しずつ良くしていってるような気になれる。そうすると「よし、人生ちょっとだけいいものにしていくぞ」と一瞬だけ明るい自分がニョキッと顔を出してくれて、以前のように果てしない精神的な沈みが発生しないので、とにかく存在していることがキツい時間が減ったのがありがたい。
カウンセリング、しみじみ受けてよかったなぁと思う。認知行動療法が今のところ自分に発見をもたらしてくれるし、カウンセラーは守秘義務ありきで話を聞いてくれるので「言わなきゃよかった」「別の人に飲み会の面白ネタとしてばらされないだろうか…」といったモヤモヤを持たずに済む。