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かなえたい夢「和の星地球」。私と想い、志。日本発で世界を良くしたい。


後世に素敵な世界観を残したい

「和の実学」の中の「和道」の考えをベースに、ここから先もずっと「今」を生きる人々が幸福に生きる確率があがるレガシーを後世に残したい。

単純に例えると、「和道」世界観がコンビニで出会えるレベルで一般化させたい。

「覇道」
「異質排除的な天下の支配を勝ち取るために、武力と権謀を駆使して自盛他衰を計り、<敵>を制圧・征服して席巻する秩序づくりのあり方」

「和道」
「異質共存的な安定平和を確立するために、和力と和略をもって、互恵共存の関係を自身の周りから築き、拡大して全体に及ぼす秩序づくりのあり方」

「和の実学」著者:大和信春 出版:博進堂 はる研究院


社会人生活をそこそこ送ってきた年末、何のための人生にしたいか、という問いを自分に対して念入りに向けたとき、「和の星地球」がでてきた。出来上がったというのが感覚としてはあっている。とにかく要素を箇条書きして何に関心があって、感動したか、これば残せたら面白い人生だなと感じるものを抽出していった。

原体験をふりかえると、小学生のときの「おそすぎないうちに」という歌がずっと心に残っていた。今あるものは全然なくなるよなとという直感。例えば、誕生日も素晴らしいけど、他の日ももう一回はないよなという感覚がずっとあった。

子供ながら、TVや映画でよくみる、同情とか悲しみとかプライドから勝利したいというより、慈悲や愛、明晰さ、真・善・美のような、日常的にはうさんくさく、身近にないレアな感覚に関心があった。

周囲の価値感とのずれに恐れながら、模範的一般人っぽく生きてきてしまった。それでも、真善美や愛、慈悲といった、実生活においてはよくわからない概念や精神世界にずっと関心があった。

そして、科学的じゃないような概念も実際は使えるはずではと感じていた。感覚や言葉としてあるならば、実生活にも影響をもたらすものであろうということ。経験量や印象量が十分世の中にないだけなのではということを考えた。小説や漫画も実在しないが、感動と影響を与えて人の人生や意思決定を十分変える。概念だって変え得るはず。

ネットサーフィンの偶然で「和の実学」に出会い、読んだ。著者の大和信春氏のオフィスがまだ都内にあった頃、話を聞いたり、ウイスキーを飲んだりして、「和道」概念群をベースにした仕組みをこの世に形として残したいと思うようになった。シンプルに世に広がってないのはもったいないと。

実学というだけあって、ビジネスや日常生活に非常に役立つ概念が多い。知って意識すると、各々の意思決定の質が変わると確信している。


認識変更にはインパクトがある

特に効果が顕著な認識は

「今日自分があるのは、競争に勝ち残っているからだ」
という認識から

「今日自分があるのは、互恵関係が成り立っているからだ」
という認識を持って、自分の仕事、ビジネス、行動を見てみること。

見えるものは同じままで、認識が変わることのインパクトは大きい。
追加予算やリソースは不要で、打ち手を変えてよりよい結果をもたらすことが可能となるからである。例えば、今ここからの3分をつかって人を脅すことも、褒めて愛することもできる。縁や関係がつながるのは後者の意思決定。

ビジネスでの差別化は競合他社との競争での勝利を想定している。
そうしないと売上があがらず、利益が出ないと考えられているから。

この理屈を極端に考えると、大企業以外が存在することを説明しづらい。広くあたり前に考えられているが、直感的に違和感がある。

実際に存続する小さな会社の財務諸表等をみれば、顧客がいて、売上が立って、利益がでている。より小さい同様企業との競争に勝っているとみることもできるがどこまで小さくすれば止まるのか。「顧客に役立っている分売り上げている」とみた方が、規模を問わず存続理由が腑に落ちやすい。最小企業でも成立する理論の方が実際にあっていると感じる。

事業当事者にとっても、他社を目の敵に熱い視線を送る必要はなく、自分達がどういう役立ちをしているのか、真に見るべき顧客の方を明確に見る事ができる。そして、コアコンピタンス、自社の特異な貢献はなにかをより明晰に認識できる。ゆえに特異な部分を強化し、さらに提供することができる。認識できるものはコントローラブルになる。ダイエットの数値管理や業績KPIも同じようなもの。操作可能になってから創意工夫が生まれる。

この認識転換は天動説から地動説への転換に近い。
競争の原理・秩序が現に見えても、競争世界観は脱却が可能である。
競争世界観を脱却することは、世界といわず、身近な人間関係や業務に対しても大いに意味がある。なぜなら、自分がどう役立っていて生きているのかに焦点があたり、なすべきことがわかりやすくなるからだ。
そして、それが当たり前の世の中にしたい。愛や調和といった概念をお話や美談の中に存在するという特権的な立ち位置から落としたい。互恵なんて当然だよねーという社会は生きてて非常に気分が良いと思う。


日本発で良くできるはず。日本悲観論に逆張りしたい

日本文化に基づいたものを扱って人の役立つことはうれしい。
生まれた縁もあるのか、日本的なものが単純に好きだし、日本も好き。
日本の人がよくなれば、日本の状態がよくなることにも寄与できる。きっと。

少子高齢化、円安、治安悪化などなど、日本の衰退を示すような事柄が多く、また悲観論も多い中、逆を張るのも面白いと思う。楽観でもなく、今こうある状況に対して打ち手を打てる可能性を明晰に見たい。
人は主観かつ環境でもある。個人が変われば環境としての社会、国も変わる。

例えば、日本という場所では人間環境が非常に心地よくて、どこの人間でも調和的にふるまえる、なら必ず日本は盛り上がると思う。そして、日本発世界で人々が内面から豊かになったらとても良い。どこの生まれの人が来たって日本という場所はこうだでいい。どこの国もそれでいい。異質共存、相互恵。どれが一番○○とか、同じじゃないと怖いとかじゃなくていい。

世界中まで和道的概念が広がれば、地球が和の星になる。いつか他の惑星との関係ができるようなことがあれば、調和的な星であることは価値があると思う。

概念や認識といった見えないものである以上、当然の注意点がある。各々の生活がうまく機能しないのならばそれは思い込みや妄想、盲信の類で害になる。自分だけに都合がよくないかなぁとすがって妄想し、他人に押し付けたりしているうちに死んでしまう可能性がある。意思決定につかって、行動と結果に変化が必要。

生活上、人間生活上に有益であるというのが役立ちとして必須と考える。何かしら現象として効果が期待できる、そして結果も評価できるものが良い。例えば、店舗に来店した顧客の表情ををAIカメラで測定して、表情スコアリングで笑顔の度合いがあがったとか、顧客アンケートの結果が明確によくなったとか、売上や利益があがり、従業員満足度も上がったなどなど。

形がないものが実際は先にある。設計や要件、戦略、イメージ、欲望、妄想。見えないものが先にあり、行動など触媒があって、形に現れる。よって、概念や判断基準が調和的であれば調和的な現象になる

情、意、知の順で人間は動く。計画などの知の利益より、まず欲望や志の味わいを期待するところ、情・快楽の部分と概念は紐づく必要がある。

究極、あらゆる生活の場面で和道的な概念をすべての人が持っていれば、意思決定と現れる現象は和道的になる。
和の実学の概念群をその辺で見かけるように一般化したいというのがまずかなえたいこと。押し付けたり理由なく採用されるものではなく、「シンプル有益だから選択する」くらい浸透させたい。


理念、志という概念の有益さ

理念・志の普及は人の生活によい影響を持つと考えている。
一部の活躍している人が設定するもの、という現状の認識だが、当たり前だよなというレベルにしたい。決定はせずとも、中学・高校あたりで考えたらいい。大谷選手の曼陀羅はこの類。

理念・志は生きるエネルギーや道を作る。名称は願だったり、人生に何を求められているかだったりと違いはあれど同じ効能がある。

ただ、生まれながらあるのかというとないと思う。設定が可能で、そして設定すると価値があるもの。ゲームでも目標あっての道中やクリアだったりする。人生で意思決定し、創造する際に人生理念があった方が良い。企業であれば企業理念、家庭であれば家庭理念。

人生を意義あらしめるには、ぜひとも願がなければならんのです。願のない人生は無意義です。夢遊病者の旅です。ヒュードロ、ヒュードロと出てくる幽霊です。その幽霊に足を生やすのが願です。人生において我々をして、本当にはっきり生きさせるのが願であります。

だから、願を起こす前に我々は自分を省みなければいかん。「お前さんは、何のために人間界に生まれてきたか」と自分によく問うてみるがよい。
願のない者は「はい、糞を製造いたします」ということになる。「口から餌を通します。食道から胃袋、腸を通って便所まで運搬いたします。ただいままで大分運搬いたしました」。そのほかには何にも勤めておらんのです。もし願がなければ、金さえもらえればどんなことでもするのです。

「禅談【改訂新版】」澤木興道 大法輪閣

志があると人も企業も力づよくなる。
もし志がなければ10中8、9利益本位の状態、非常にわかりやすい指針だから。でもそうやって利益が幸福なのではとクンクン探し回っているうちに死んでしまう。次年度数値10%Upを無限に繰り返すことはできない。疲弊して崩壊するのが落ちである。

「金さえもらえれば」の利益本位は、利己主義、背信体質と進捗し、長期的はいないで欲しい存在となってしまう。ほっとけば滅びるからいいという観点より、同じ時間を生きる人同士として、非常に寂しいと感じる。

知らなかっただけではないかと思う。人生の流れとして、後天的に善と苦、悪と快の経験が紐づきやすい。いたずらが面白かったり、目立つから。あるいは子供ながらにやりたいことがたまたま悪(非社会的)だったり。善と快、悪と苦の紐づけも可能だという概念と経験量の増加があれば修正可能。その前提として、何かのための志があると、強い。理念本位になりやすい。

誰の中にも徹底的に引っ張り出せば、志・理念がない人はいない

自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

「夜と霧」新版 ヴィクトール・E・フランクル みすず書房

欲の努力には限界があり、本当の志の努力は無際限に近い心のエネルギーが湧く。

利益はお金だけじゃない。衝動的な欲望全般とリンクする。例えば、③自己重要感を満たすために高層ビルに上って落ちるような人もいる。エスカレートしつづけてしまう。お金はわかりやすく、①、③が強い。

①生存本能:飢えを恐れる気持ち
②群居衝動:群れを成して生きようという衝動。孤独を恐れる気持ち。
③自己重要感:「私は人よりえらい」と思いたがる衝動。
④性欲:子孫を残そうとする本能。人間の場合は動物と違って、他の欲望と絡み合っている。
⑤好奇心:精神の方は情報をもって栄養補給に似たことを必要とする。

「欲」と「志」の源の違い
「欲」、限度や最適を知る基準がなく、暴走すると歯止めがきかない「志」、満たされると喜びが伴うのは、動物的・生理的欲求と同じだが、出どころも性質も違う、原動力や意志の類。あきらかに味わいが違う

味わいが違うということころがポイントで、種類の違う気分のよさ、幸福感はある。欲、利益じゃないからといってよい気分を我慢するような話ではない。

事業活動においても、理念本位>利益本位であるほうが永く人の中で愛され、潰れては困るということでうまく行く。
ただし、あくまで見えない部分の話で財務会計面での利益、健全性は別で重要である。チェックして現実の対処は常に必要である。

欲・利益本意の本位性に問題があるのであって、欲の満足自体は必要。欲については足るを知り、志本意でエネルギッシュにイキイキと生きれることも気持ちよいと知る。


個人の影響力はAIなどの技術発展で増加する。初めの意思決定が調和的、志的であることは大事

人の内面に愛や調和、慈悲を増やすのはここからの世界にとって大いに意味があると感じている。AIの発展が進み、個人の影響力は増大する。AIエージェントの集団の使役を想定すると、個人の初期の意思決定の影響は大きい。

毫釐も差あれば、天地懸かに隔たる。
「初めのごくわずかの違いが、終わりには大きな違いを生む」

「信心銘」鑑智禅師

意思決定やアクションを恐れや怒り、利己一辺倒から始めるのか、愛や調和、慈悲、志から始めるのかは、世界に与える影響に大きく開きがある。

できるだけ多くの人々が和道的対処や和の原則を理解し、広く実践・応用できる仕組みができれば、例えばAIを超える何かがいずれ発明されても、人が意思決定する限り、明るい展望の未来が実現できると期待している。

人対人、人対その他、動物など意思決定が入るものに良い影響を与えていきたい。我々は主観でありながら、他者にとっては環境である。環境でもある意識を持ちつつ、お互いが良い環境の中で自分自身を最大に生きられる世界に寄与したい。なぜ生きているのかは他者にとっての環境という観点からも生まれる。「何かのための自分」として世の中に役立とうとすることが、志に生きることである。


夢を実現するために挑戦すること。目の前の打ち手から、まだ夢物語なものまで

ほぼすべての職業やアウトプットに和道的概念は適用できる。この職業だから、企業だからというのはない。ほぼすべての意思決定に適用余地がある。

目の前の打ち手として、文章でのアウトプットをする。内面が豊かになる、気分がよくなる、意思決定が暖かく実益も伴う方向に動くことを期待した文章を出す。見た人に変化があれば万々歳。利益があればなおよし。小さな与欣から始めるのが互恵圏拡大の最初。ネット上の文章はレバレッジが効いていて、一度かけば多くの人に喜びを与えうる。そして、noteというプラットフォームはブログほど孤島でなく、往来があるのが非常にありがたい。

アウトプットは、見た人の事業、生活の意思決定が1つでもよい結果につながることを目的とする。「脅威とならず必要となれ」というシンプルな発想を持つだけでも解決する問題があると思う。

たとえば、職場・学校の中で誰かが強く、目立ち、圧を加える覇道的な存在であるより、必要で大事にされる存在である方が、自己重要感や群居衝動が満たされるんだという実感につながると、攻撃者と被害者の構図は1つこの世から消える。いじめやパワハラだって、何か欲望充足の期待がある。悪快セットじゃなく、喜ばせることでより満たせるということができればいい。説明なしに禁止しようとしたって、情の影響から始まるのだから止まらない。現象としてなくしたいなら、元を変える必要がある。

そして、自分のアウトプットで収益までつなげて、活動費として使っていきたい。文章でも、相談案件でも、人と組んででも。タネ銭がいっぱい欲しいです。

最終的には一般化と仕組みを後世に残すところまで行きたい。
事業化して、日常的に見るブランドとして人の間に当たり前になったらいいなと妄想している。キティちゃんイメージ。キャラクターを見るだけ、手元にあるだけで、内面の豊かさを与えているのは非常に素晴らしい。
もっと言えば、同一理念の多種業種のグループ企業が残れば非常にいいと思う。これはまだ夢物語レベル。

やれるだけやるにせよ、自分の成長と意思と努力、そして協力者が必要となる。資金、才能、能力が必要。これいいじゃんという同志を作りたい。

夢レベルも、内面や精神、人を活かす体系の研究開発、マーケティング・セールス、コーポレートの機能と資金をなんとかしていけば実現できるかもしれない。

きっと、「和の星地球」や、人の内面から日本を盛り上げたいという構想は、競争原理思考の人からは、どうしようもなく「甘い考え」に見えるかもしれない。ただし、こういう人にもいつか、メリットという観点でも伝わればいいと思っている。

単純にいいかもという賛同や、組める同志の輪を徐々に広げていくしかない。
夜中の火事で最も多くの人命を救いたい例え話を考える。
起こしやすい人を先に起こして、その人と一緒に、次に起こしやすい人を起こして、起こしてもなかなか起きそうにない人は後回しにせざるを得ない。
また、せっかく起こしても、自分だけ逃げて次を起こすのを手伝いそうにない人、これも後回しにすることが目的を果すために必要なのと一緒。

また、違う形で勝手にしてもらうしかない人々もいる。
「そんな私をできるなら救ってみろ」というずうずうしい態度を持った人や
「弱音、泣き言が助けの手を招く」はずだ、という幼児的期待による<泣きの習癖>から抜け出せない人。最後になる。
どんな変化にも恐怖する、内的なスイッチングコストが重すぎるラガード的な人は周りが完全に変わるまで待っていただかないといけない。

以上を注意しつつ、協力者、同志と繋がれれば、夢物語は十分現実になる。そのためにまずは自分でやれることをやっていく。

自分の活動で、日本ひいては世界の人の意思決定が調和的になり、続いてそれぞれの人が自分含め周囲と調和する。それが後世にも続いていって、子供たち以降の世代で科学技術がいかに発展しようとも、人と人が上限いっぱい幸福で過ごせる。ということを理念・志として活動します。

そしてそのビジョン、夢が「和の星地球」です。
ひとまず夢はでっかく、描きました。


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