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調和の生活
共同生活にも夫婦の共同生活、親子の共同生活、軍人の共同生活、友達の共同生活、いろいろな共同生活がある。
人間の体には頭あり胴あり手あり足があって、よく調和した共同生活をしているんです。国というのも県というのも、これは共同体です。
ところが人間というやつは自分だけ偉くなろうと思う。自分だけうまい物を食おうと思う。全体のことを一遍も考えない。
もし全体のことを考える人があれば、それは聖者です。全部のことを考えなければならぬ。自分のことばかり考えておったら、それはつまらぬ男です。
あの二宮尊徳の一代を通覧するというと、人間全体のこと、村全体のこと、家全体のこと、日本全体のこと、百姓全体のこと、いつもそれを考えてやっておった人です。あれはまあ偉いもんですな。真の悟りというものはあんなものですな。決して自分自身のために努力したことは一つもないのです。
その折にふれ時に応じて人に説いて聞かせた一口々々が、自分のことばかり考えることのいけないことを戒めている。
例えば、風呂に入れば風呂に入るで、「自分の方へ湯を搔き寄せても自分の方は深くはならないのじゃ。まああんたの方が浅かろうで、あんたの方が深うなるようにと、搔きやっても搔きやるそばから自分の方にかえってくる。なに貴様の方にやるものかと自分の方に搔き寄せても、搔き寄せるそばから向こうの方へ逃げて行く」とその言い方の総てがこうなんです。
この全体のことを常に考えているという洋々たる気持ちが、つまり我々のあらゆる階級、あらゆる層、あらゆる団体の和の根元となるのです。
出典:「禅談【改訂新版】」著者:澤木興道 出版: 大法輪閣