備忘録:祈り、想いについて考えた日
・朝、TVのドキュメンタリーにて
「原爆きのこ雲の合間に、一瞬、抜けるような青空が見えてとても綺麗だと思った」
「今思えば、あれは希望を失わないようにとの天の采配だったのかなと」
平和のために私達が出来ることは?の問いに
「色んな国に友人を作ること、それを1人1人が拡げること、友人の不幸を願う人はいないから」
・日中、母より少し若いくらいの年代の先達さんとのお話の中で
「生活のため、という思いで働くのはなんか違う。もちろん生活のためにはなるんだけれども、それを1番にするといい事ない」
「おかげさまで、好きな事させて頂いて、有難いな、と思っているから、ありがたい事しか起こってない」
押し付けがましくなく、そう思ってそうしてるからそう言った、という空気感で、私この人好きやわ〜、と思った
その方のお話の中で何回も出て来た「ご縁で」という言葉が響いた
・夜、友人とたまたまタイミング合い軽く夕食でも、の中で先日の諏訪大社めぐりの話を聞く
「何か大きなものを感じて圧倒された」
「いくら揉み消されても、DNAに刻まれた祈りの原型とも言えるものがあるんじゃないか?」
「神社にお参りした時、お願い事が何も浮かばなかった」
「無理に捻り出すのも違うし、と思っていたら欲しいものはもう既に持っている、と気づいた」
「ここまで来させて頂いて、お参りも無事出来てありがとうございます、しかなかった」
尊い何かが生まれた瞬間に立ち合わせてもらった気分、お誕生おめでとうというと、道中お宮参りの方々に2回も遭遇していたそう。笑
〜思ったこと覚え書き〜
・祈る事と願う事って似てるけど違いあるよね
願いは(自分にはそれが無いから)求める感じ
祈りは自分にそれがあるか無いかは別として、求めるという感じ
いや、求めるというか、なにかして欲しいとかではなく そのようであれ、とただ放出するような
・祈る事と想う事も似てるけど違いあるよね
祈りの方が方向性があるというか。何かに向けて集中してるかんじ
・ふわっと想ってる事が現実になる、は体感としてあるけど、そこに方向性を持たせるとどうなるんだろう?手は放してるのにコントロールする???
いやコントロール「する」とかそういう次元じゃない気がする コントロールしてないけどそうなっていく事を信じる的な?
いや「信じる」もちょっと違う
不安はそこに乗ってない感じ
「理解する」とか「ふつーにそうなるとわかってる」とかの方が近い気がする
えーでもそれって「想う」とどう違うん?
→中身は同じやけど、あえてわざわざ、時間と言葉を使って「祈る」事で、動きが出るんじゃないか?あたかも凪いだ水面に小石を投げ込むかのごとく。
あと自分が何を今「想って」いるのか、自覚する時間にもなるはず。
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というわけで、なんか興味深くなったので、時々適当にしっかり祈ってみようと思う。
あとやっぱり、自然に触れるのは大事。