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挫折と再スタート

こんにちは。以前も読んでいただいていたみなさん、お久しぶりです。

気がついたら、もう最後にnoteを書いたのは3年も前ということで、時間の流れの速さにびっくりしちゃうあたりが、歳をとったな、と感じる24歳です。

前回、こうして自分の言葉をあげたのは、「これからについて」というXでの投稿でした。
もしかしたら、そこから知って下さった方もいるのかもしれません。
たくさんの反響と応援のメッセージをいただきありがとうございました。

まだはっきり決めているわけではないけど、新しいことを始めたいと思い、考えていることがいくつかあります。
そのうちの一つが、note です。まあ再スタートですね。笑
大学院を卒業して、環境が変わり、大好きだったバスケットボールと、アメリカに来てからずっといたコネチカットを離れることになりました。よく聞くやつですが、ここからが僕の人生の新章突入です。
(少年時代が第一章、渡米後が第二章なら、第三章ってとこかな。)

今日は、タイトルにもある通り「挫折と再スタート」というテーマで、僕の経験と「今何してんの」ってところを書いていけたらと思ってます。


挫折

何かに本気で、長いこと打ち込んだことのある人には、共感してもらえるかもしれない。
それを取り上げられた時の、虚無感といったら、ない。
これは、経験しなくていいならしないほうがいい。

挫折って大きな括りでいえば、それは乗り越え方次第で、良くも悪くもなる。けど、同じ思いはなるべくして欲しくないとも思ってしまう。
振り返ってみて、あれがあってよかったとは、まだ言えるほど何も成し遂げていないけど、まあこれは僕自身がそう言えるようにしていけばいい。

僕にとってバスケットボールは、これまでの人生そのものだった。
実際その状況に置かれると、変な感覚だけど、不思議と自分でもわかるんです、「あ、これはヤバいやつだ」って。
自分の頭はまだい追いついてなくて、周りの反応で知るコトの重大さ。
随分と長い間、暗くて冷たい深海のようなとこを彷徨っていた記憶があります。

次の日、バスケができなくなった

大学ラストイヤーを万全で迎えるために、アメリカに残り、一日3セッションは当たり前、何十時間も体育館で時間を過ごしていた。
コーチとたくさんコミュニケーションをとり、主力としてチームを引っ張るメンタリティ(心)とシーズンを通して、トップパフォーマンスで戦えるフィジカル(体)、それからスキル(技)の向上を目標に、着々と準備した。
準備に終わりがないことは重々わかった上で、今振り返っても、いい準備ができていた。

極論、準備とは、「これだけやったから大丈夫。」と自分に言い聞かせるもの。これが自信。
誰よりもやった。だから大丈夫。そう思って臨んだプレシーズン。

思っていた通り、かなりいいコンディションで、チーム内でも、いい立ち位置にいた。

迎えた、Scrimage(練習試合)。
前半10分あたりだったと思う。接触から、頭を打った。

そのままERに運ばれたけど、あんまり覚えてない。

翌日、朝になっても左目が見えていなかった。あとは脳震盪。これはもう何度もやったことがあるから、感覚はわかる。
精密検査を受け、大きな病院を紹介され、たらい回し。

結論、左目が見えていない。
原因は不明。そして、回復の見込みはわからない。

崩れていくプラン

文字通り、音をたてて何かが崩れていった。

片目でもプレーできる、アジャストする、とトレーナーに話しても、目が戻るまでは、、と言われた。
実質、ここで僕の最後のシーズンが終わった。
夢を追って、アメリカにきて、たくさんのものを犠牲にして、たくさんの人に支えてもらって、大学最後にいいパフーマンスで先に繋げたいと思っていた。恩返しがしたい人がたくさんいた。

スラムダンク奨学金にチャンスをもらって、ここまできた。
過去の奨学生は、みんなバスケを続けて、僕だけそうならないことに後ろめたさを感じた。

夢半ばで諦めることは、自分には許せなかった。

常に逆算をして、計画通りになるように選択をして生きてきた。過去に挑戦することを選んだ自分を、ただのバカにしないために。応援してくれている人に恩返しをするために。夢を笑った奴らを見返すために。

お先真っ暗とはよくいったもので、まさにこの時はそうだったと思う。

再スタート

ここから、今の現状に至るまでに、再スタートのきっかけになることが何個かあった。

新しい挑戦をするという選択肢を僕に与えてくれた、僕の大切な言葉や、キッカケたちが何個もあって、それを少しだけ紹介できたらと思う。

井上先生からのハグと言葉

スラムダンクの井上先生は、スケジュールが合えば、スラムダンク奨学生の活躍を見に、アメリカに足を運んでくださります。

正直、僕は、合わせる顔がない、と思っていた。それでも、僕のためにブリッジポートに立ち寄ってくださるとのこと。
考えて考えて、気づいたら、到着の日。

先生が車から降りてきて、何も言わずにグッと力強くハグしてくれた。

「目、きつかったな。つらかったな。」

泣かないようにしていたけど、涙は出ていたと思う。
前回、ブリッジポートに来てもらった時は、大学一年。成長した姿を見せれる、いい機会になったはずなのに。

「プレーしているところをみせれず申し訳ないです」というと、

「全然いいんだよ。話せてよかった。」といってくれた。

その後、キャンパスや自分の部屋を案内した後、近くのローカルのピザ屋に行った。

映画The First のことから、先生の過去のアメリカ旅など、たくさん聞かせていただいたお話の中で、今の僕が大事にする言葉たちが何個もあります。

「良なら大丈夫。」

「道は続くよ。」

「良には器がある。」

「もう十分やってくれた。」

井上先生は、とにかくオーラがすごいんです。そして言葉の一つ一つがすごく力強くて、重みがある。

それぞれの言葉の文脈や、詳細は伏せるけど、このタイミングでもらう、この言葉たちは、僕に勇気と力をくれた。

当たり前のように僕はSLAMDUNKの大ファンなわけで、井上先生を独り占めしてお話を聞ける機会をもらえたこと、そしてスラムダンク奨学金という制度を立ち上げてくださったこと、それに関わらせていただいたことに感謝を伝え、
「またここから頑張ってみます。」と約束をした。

ここが、暗い深海に光がさした瞬間だったと思う。

僕は今、アメリカでFortune 500の企業の本社にてエンジニアとして働いています。

先の挫折の部分で、「バスケットボールが人生そのもの」だったといったけど、井上先生の言葉通り、「道は続く」わけです。

バスケットボールがくれた出会い。

バスケットボールが連れていってくれた世界。

バスケットボールが見せてくれた景色。

この全てが僕を僕たらしめる、アイデンティティになっている。

まだまだ道半ば。ここがゴールじゃない。逆算のアプローチは、バスケがくれた夢に教わったこと。今の仕事も、そのプロセスの一つです。

終わりに

少し、ダークで重たい内容だったなと、書き終えて感じています。笑
当時の心境を綴った自分のノートを見てみても、フラッシュバックする嫌な景色がまだ記憶に新しかったです。

バスケが嫌いになったわけじゃないし、関わることが終わりじゃない。
アメリカで経験したことや、学んだことを、僕だけのものにしておくのは勿体無いとまで思う。

チャンスがあれば、B.DUNK Projectのように、未来のバスケの力になれたらいいなと考えたりもする。

道は続く。だから、これを読んでくれているあなたと、僕の道が交わることがあってもおかしくない。もう一回交わってるなら、また何回でも。どんな形でも。

読んでくれてありがとうございました。

また次のnoteで。






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