気がついたら母が手芸をやめていた話、そして復活の呪文
私の母は手芸が好き。
小さい頃から気が付けばハギレで何かを作っていて、小さな人形や、パッチワーク、クッションなんかが家にありました。
子供が手を離れた今、さぞ好きなだけ作って楽しんでると思いきや最近は作っていないよう。
「最近作ってないね、針仕事難しくなってきた?」と聞いたんですよ。
歳をとって昔やっていた手芸をやめた人の多くは「目が見えなくなった」「指が思うように動かなくなった」「辛抱がきかなくなった」と衰えが原因なことも多いから。
で、帰ってきた返事がこれ。
「お母さんね、手芸は今も好きよ。好きなんだけれど次々作っていったら、死んだ後に処分することになるでしょう?処分されるのは全然いいのよ。でも、それを捨てる側の気持ちを考えたら、申し訳なくて作るのやめちゃったの」
おお…お母さん。あなたはなんて優しい人なの。尊い人なの。
捨てる側の気持ちを考えて、自分が好きなことを我慢するとか…優しさの権化か。息子の作品ですら「おー、凄い!よく出来たね!(こっそりぽいー)」とかする私とは大違いだ。
捨てる大変さと残さない覚悟
母は、家族を見送ってきました。曽祖母、祖母、祖父、叔母。彼らの遺品はほぼ母が片付けたといっていいし、祖父と叔母はものを溜め込む人だったので、片付けはとても大変だったと思います。祖父に至っては2トントラック2台分出たらしい。どんだけ。
その片付け、きっと大変だったんだろうなぁ。
自分の責任で他人のものを捨てなきゃいけないわけだから。しかもそこに協力する人や、相談できる人はおらず(父はあんまり頓着しない人)1人で頑張っていく中で「私はこんな思いを次の子達にさせない」と思ったのは簡単に想像がつく。
で、出した結論が「ものを増やさない」「自分のものは自分で捨てる」
手芸が好きな母としては、作ったものをさっさと捨てるのは忍びない。だったら作るのをやめよう、と思ったらしい。
今を楽しむことを優先してくれ
でも、でもね。私としては「将来のために今を犠牲にする」というのはとてももったいないと思っていて、そんなこと今すぐやめてほしい。今母が楽しく手芸ができるなら、母がいなくなったあと捨てる苦労なんてすごくすごく小さいもの。
そもそも私は「ものがある」ことよりも「ものにまつわる思い出や時間」の方が大事なので、捨てることにストレスを感じない。
もちろん物には思い出がありますが、あれもこれもに思い出なんて詰めてたら、息子の靴下だって捨てられやしないじゃないか、と割り切りが早いのです。
そんなことに気を取られて、やりたいことをひっそりやめてしまうことの方が悲しい。生きている間は好きなこと楽しいことをして欲しい。お母さんが私が幸せなのが一番と思ってくれるように、私もお母さんが幸せなのが一番。
とお願いして、手芸を遠慮するのをやめてもらいました。
母が亡くなったあと、1個か2個作品を残して処分することになると思うけれど、何もない片付きすぎた母の部屋を整理するよりは、そっちの方がずっといい。
「死んだ後に遠慮して、今を犠牲にしないで欲しい」
それが、母にとってのふっかつのじゅもんになりました。
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