孤高の超越者・VGH-257 NOVA 羽生結弦のECHOES OF LIFE 鑑賞メモ_2
12月11日(水)、さいたまスーパーアリーナ最終日の『Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd ECHOES OF LIFE』を現地で拝見した。
サイバーパンクなアニメ『攻殻機動隊』の楽曲『UTAI』の始まりで、光を背負った羽生。すんなりと伸ばされてアジアンな長衣から透ける両腕のラインが見事だ。
技術もさることながら羽生の並外れた骨格、肉体があってこその表現でもある。
ショパンやバッハから5つの曲をつないだピアノコレクションは何回見ても、経験したことがない感覚を呼び覚ます。
素晴らしくエッジの効いた音響がキラキラと粒だった音色でアリーナを満たす。羽生を取り囲んで意志あるもののように縦横無人に流れ、渦巻いては消えてゆく音符たち。
選り抜かれたフレーズが羽生の指先や軌跡から響いているかのようだ。
美しい音に重なる羽生の舞姿が次々と記憶の扉を叩いては忘れていた景色を蘇らせる。
岩にぶつかり砕けながら激しく流れ落ちる雪解け水の渓流
空と海の狭間、バニシングポイントに向かって真っすぐに進む帆船
嵐の後、鎮まり切らない荒波が果てしなく打ち寄せる浜辺
清冽、簡潔でありながら艶麗優美な舞は、詩、というより和歌のようだ。
張りつめた空気の中、リンクいっぱいにコンパルソリーのような紋章を描いていく場面。
嬌声の乱れ飛んだ初日とは違う空気感の中で羽生の動きはいっそう研ぎ澄まされ、エッジが氷を切る音、トレースの終わりの留め拍子がくっきりと響く。
競技の時とは違った緊張感がたまらない。
全編を通してスクリーンの中は最終戦争後のモノトーンの世界。果てしなく寂しいけれど荒んだ感じはせず、静謐さに満ちている。羽生結弦=NOVAは予感を体現する存在としてそこに立つ。光、音、動きに溢れた氷上のライブパフォーマンスとモノトーンのスクリーンが滑らかにつながり、物語の宇宙に観客を取り込んでいく。
鎮まった世界を躍動させるのは羽生結弦とイレブンプレイのパフォーマンスだ。
ICE STORYにおいて、従来の演劇やダンスと大きく異なるのはパフォーマンスの速さ、大きさ、そして鮮明なコントラスト。
スクリーンを囲む狭い領域でカプセルに封じ込められて機械的にも見える動きを繰り返すイレブンプレイ。一方で羽生は唯ひとり、視界に収まりきらないほど巨大なトレースで空間を切り取りとっていく。
その対比が、アルマゲドン後の世界を支配し、再生させる「VGH-257 NOVA」の力を際立たせる。めまぐるしいプロジェクションマッピングにも決して埋もれないインパクトはフィギュアスケートならではの高速・大胆な動きがあってこそ。高いジャンプ、精緻なスピン、高低差や緩急、そして何よりカリスマ性ほとばしる演技が5階席まであるさいたまスーパーアリーナの大空間、2時間にも及ぶステージを他にはない求心力、テンションで支配し、ラストまで息をつく暇もなく疾走させた。
今回は前回までの2つのICE STORY以上に袖や裾が揺れ、動きを強調してより大きく見せるような衣装が用いられていた。体に沿ってジャンプを邪魔しないことを重視する競技用衣装とは角度を変え 大空間、大掛かりなセット、目くるめく映像と光線の中で、演者をより大きく引き立たせることを意識して作られているようにも見えた。同時に大画面に映し出されるライブビューイングやスチール写真に切りとられた瞬間でもスキのないフォルム、繊細な装飾、質感が美しい。こうした細部までのこだわりもまた、写真家やデザイナーの創作意欲を刺激する源になっているに違いない。
演劇やオペラについて『総合芸術』という言い方があるけれど、羽生結弦のICE STORYは氷上で展開する新しく、すでにかなりの完成度に達した総合芸術であり、エンターテイメントだ。これについては『ECHOES OF LIFE』を観た多くの方にご賛同いただけることと思う。
改めて制作総指揮・羽生結弦と、すべての関係者様に敬意を表します。
ありがとうございました。
PS:
ECHOES OF LIFEさいたま公演に関して、2日目・12月9日のチケットはいったんリセールに出しましたが成立せず、最終的に何とか都合をつけて現地に行くことができました。結果論ですが、2024年のECHOES OF LIFEさいたま公演に全日参加できたのは子孫に自慢したいくらいスゴイことであり幸運だったと感じています。
3回の公演を見終えて、『鑑賞メモ_1』にまとめきれなかったいろいろを書きたいと思いながら、年末の忙しさと思いがけず行けることになった別のライブたちにかまけて年を越してしまいました。
2025年が明けての広島公演はCS放送で楽日を拝見しました。羽生選手ご自身もおっしゃっていましたが、お疲れの様子がうかがえて少しハラハラしました。一方で『疲労のあまりぶっ壊れかかって笑い上戸になった羽生結弦』には別のインパクトがあって、あの「危うさ」そのものが羽生選手の魅力のひとつでもあると感じます。
お正月も一段落し、今日は年末ギリギリまで働いて獲得した休日をボーッと過ごす贅沢を味わっています。
『ECHOES OF LIFE』の録画を見返して、「造られし者」ではあっても生きた人間でもあるNOVA君の行く末が気になってきました。
「案内人」さんはある意味NOVA君の投影、脳内の存在のようでもあるし、たった一人アルマゲドン後の世界に生きる彼はこの後どうするのでしょう?
植物などが再生しても人間はいない。仲間もいない。
システムを動かしてVGH-257.*を量産する?
ラストワンでありベストワンである自らのDNAを使って単性生殖?
クローン化?
そういえば最後に近いシーンで、NOVA君は何ものかの呼び声に誘われ、DNAの二重螺旋を彷彿とさせる果てしない螺旋階段を上っていました。
綺麗な羽生選手=NOVA君のコピーがたくさんいる世界ができるのかしら?
それ、1体ください。
先着や抽選でなく、受注生産(着せ替え衣装つき)
でお願いしたいです!
孤高の超越者・VGH-257 NOVA 羽生結弦のECHOES OF LIFE 鑑賞メモ_1