祈りの力_1 羽生結弦の能登半島復興支援チャリティ演技会
羽生結弦の能登半島復興支援演技会を拝見した。
まだまだ傷跡が生々しいであろう被災地にできる限りの経済支援と癒し、励ましを贈るために真心を尽くした構成。地元の方たちによる書道や太鼓等のパフォーマンスからも作りものではない悼み、感謝、決意が響いてくるようで不覚にも涙目になってしまった。
そして羽生結弦とスケーターたちの演技の素晴らしさは言うまでもない。華やかな照明もなく、小さめに感じられるリンクで演じられた「春よ、来い」は力強く清冽で、カメラが近いせいもあるかもしれないけれど羽生の動きがくっきりと鮮やかに見えた。
一段と揺るぎないキャメルスピン。右手はしっかりと天を指しつつ左手で、やがて全身で地を鎮めるかのようなハイドロブレーディング。
とても言葉にしきれない。
カオスと化した世界に境界を引きなおし、天と地をあるべき位置へと戻そうとする祈りのようだ。
悲しくて、楽しくて、癒されたくて、分かち合いたくて、思いを届けたくて、人は歌い、踊り、祈る。
奏でること、舞うこと、物語や歌を紡ぐこと、新しいもの、美しいものを創りだそうとすること、そこには無意識のうちにも祈りが含まれている。
一見して役にたつとは思えない、具体的に何の効果も約束しない、そう見えるかもしれない「祈り」であっても、祈る人の明日、それを見聞きする人々の心を揺さぶり、変えていく測り知れない力が宿っている。
遥か電波越しの私でさえ感じるのだから、演技会に関わったり間近に観た方々はどれほどの想いを受け取られただろうか。
PS:
2024年1月1日、私は娘とふたりでニューイヤーコンサートを聞くために赤坂に居ました。美形のサービス担当が揃ったレストランでランチをいただいき、洒脱なウィンナワルツを堪能してホールを出た直後にスマホのアラートが鳴り響き、娘は元旦から子守と留守番を引き受けてくれた連れ合いに非常呼集がかかるかもしれないとあたふたと帰っていきました。
何年ぶりかの心華やいだ日の、あっという間の暗転。
今でも整理する言葉は見つかりません。
まして家族が集って元旦を祝っていた能登の方々の衝撃はどれほどだったでしょうか。
能登半島復興支援演技会を開催いただき、協力の機会を作ってくださってありがとうございました。
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