「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023“GIFT”」 Vol.2 溢れ出る言葉たち
Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023“GIFT”は羽生結弦の宝石のようなスケートとモノローグ、音楽と光、特殊効果、映像が輝くばかりで、誘発された観客の熱もバックファイヤーみたいに炸裂する途方もない公演だった。
不思議なのは、たいそう斬新な構成・演出なのに少しばかり既視感を覚えたことだ。既視感というより連想だろうか。約1年前の北京五輪がしきりに思い出されるのだ。“GIFT”前半の最期で北京五輪のショートプログラムである「序奏とロンド・カプリチオーソ」が試合さながらに演技されたこともあるかもしれない。サルコウジャンプでの躓きによってオリンピック3連覇を遠ざける原因となった、その因縁の演目を羽生はこの大事な大舞台で山場の一つとした。失敗すれば“GIFT”の評価に傷がつくかもしれない大きなリスクと引き換えに、東京ドームの真ん中に息詰まるような「見せ場」を出現させたのだ。この山場の緊張感をいやがうえにも高めたのはその直前の羽生のモノローグだ。平昌以降の様々な理不尽によってもたらされた悔しさ、辛さ、「癒えない傷」が語られたことによって観客は北京までの道のりの険しさに思い至り、この場にリベンジを賭ける羽生に心を同期させていった。シンプルな言葉の連なりをたくみに響かせる作りすぎない語りが心に沁みた。
表現者・羽生結弦は競技者だったころからすでに「言葉」の操り方を心得ていたように思える。2018年の平昌五輪の際、金メダルについてのメディアの煽るような問いかけに「誰がとろうが僕も取ります!」、「僕はオリンピックを知っている」とほれぼれするような決めぜりふで答えて見せた。しかし、いろいろな大会の前後に記録された言葉の多くは駆け引きとしての発言というより、自らの意志や心境の確認・分析であり、曲や構成の意図するところをよりアピールするためでもあった。
問われる以上のことを惜しみなく言葉として発していく姿勢はメディアにとっておいしいだろうし、言葉尻を捉えて批判したがる連中の餌食にもされる。自身も「しゃべればしゃべるほど嫌われる」と語ったことがあったが、それでもスケートに関する問いかけにオープンであろうとするスタイルは変わらなかった。
自らを分析し、追及し、掘り下げる手段として晒すこと、語ることをいとわない羽生。真実を伴うからこそ人の心を動かすその言葉たち。彼は曝け出すことの力を知る真性の表現者であって、もしかしたらフィギュアスケートはその多岐にわたる表現のひとつに過ぎないのかもしれない。
2022年北京五輪において、羽生はメディアに一番多く取り上げられたアスリートだった。羽生についての多くの報道の中で演技そのものに劣らないほど刺さったのが競技後、メディアから殺到したリクエストに応えて設定された記者会見だ。
広い会場は報道陣で埋め尽くされ、壇上にはサッカーチーム全員が座れそうに長いテーブル。その中央にたった一人で羽生が居た。白っぽい大空間の真ん中の真っ赤なジャパンジャージ姿を印象深く覚えている方は多いのではないだろうか。
羽生は、司会者が「質問のある方は挙手をお願いします」と云い終えるよりも早く手を挙げ、真っ先にライヴァルを気遣い、製氷関係を含む大会関係者に感謝する言葉を述べた。内容も口調も穏やかなものだったけれど、「その場を支配するのは誰か」を明確にする見事なアクションだった。
続く30分ほどの間、記者たちの様々な質問に丁寧に言葉を探しながら答えることによって、傷付き、疲れてはいても打ちひしがれてはいないこと、フィギュアスケートから撤退せず、羽生結弦であり続けることを明白にした。
連覇が潰え、玉座を退き、競技生命さえ危ぶまれる元王者の風情ではまるでなくて、理想を追い続ける底知れない意志の強さがひしひしと伝わってくる会見であった。
「羽生結弦の北京五輪」はショート、フリーからなる競技やエキシビションに加え、敗北後になじみのインタビュアーに応えようとして涙を抑えきれずに背を向けた姿や、エキシまでの間に練習リンクで報道陣を前に滑った過去のプログラムたちまでを含めて、まるで1つのドラマのようだ。その核にこの会見があってこそ、巧みに章立てされた物語のようにすべてが際立ってくる。“GIFT”を見返していて、しきりに北京五輪の羽生が思い出されるのはこの「言葉」の重要性が共通するからかもしれない。
“GIFT”で彼はスケートに加えて言葉、音楽、光、映像、さらには観客の歓声や拍手やシンクロライトの輝きまでも取り込み、自分のこれまでの物語を壮麗な叙事詩のように織りなして見せた。とりわけ「言葉」においては幼い日の希望に始まり、歩みを進める中での失望、孤独、渇望、苦しさ、戸惑い等を執拗に、と言っていいほど語り続けた。もっとスマートで無難なまとめ方はいくらでもできたと思うが、彼はそうしなかった。邦楽の語り物にも匹敵するような厚みで語ることを重んじた構成としたのだ。
彼が見せたかったのは一刻のエンタテイメントに終わるものではなく、記憶と心に、そして時代に刻み込まれるような強いメッセージ性を持った羽生結弦そのものだ。そのために魂の最奥から絞り出すようにして言葉を紡ぎ、書き連ねて“GIFT”の芯に据えたのだと思う。
2023年に織り上げた物語に過去20年間のプログラムたちが違和感なく美しくはまったのは、競技生活を通して常に真摯に自身の心に添った曲を選び、伝えるため、響かせるために技と表現を磨いてきたからだろう。観客の多くは彼の長い物語を多少なりとも知っている人々だ。さらに、それ以外の、初めて見る人にも強く訴えかけるだけの率直さと、時代の先端を行く助っ人たちによる加勢が“GIFT”にはあった。贅沢すぎるほどのメンバーを結集させ、この日、この時、このメンバーでなら、過去のあらゆるショウを超えるような何かを作り上げられるかもしれないと信じさせ、力を尽くさせたのは羽生結弦の天性の魅力であり、たいそう滑らかに動く聡明な頭脳や肉体とは裏腹な不器用なほどに一途なハートであり言葉だったのではないだろうか。
“GIFT”の残響は当分消えそうにない。これまでのどんな枠にも収まろうとしない羽生結弦とはいったい何者なのか。それがわかる日は果たして来るのだろうか。
PS:
“GIFT”の夜から1カ月ほどもたちますが、私の耳の奥にはいまだにあの夜の音楽や歓声、羽生の挨拶の言葉が響いています。オリンピックでのジャンプ失敗さえ伏線にしてしまう怖れを知らない構成。目もくらむばかりのパフォーマンスと演出、効果。東京ドームが野球やほかのイベントの時ほど広くは感じられず、むしろエネルギーが満ち満ちてはちきれんばかり。羽生選手の圧を体感した2時間半でした。
「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023“GIFT”」Vol.1 羽生結弦の神技スペシャリテ
「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023 “GIFT”」直前 夜明け前の思い
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