平成時代のJKの熱狂と私を走らせていたUFOパンの話
9月いっぱいで市川パンが店じまいするというので、懐かしさと惜しむ気持ちを半分ずつ携えながらいわき駅前本店に足を運んだ。
西日の差し込む静かな店内を見回すと、入口近くに並ぶ総菜パンの右端に「あのパン」があった。懐かしの「UFOパン」だ。わたしがニキビだらけの高校生だったころ、ランチ時に市川パンの校内販売があって、このパンは女子高生のあいだでピカイチの人気だった。
パンを買うと決めた日は2時限目の休み時間に弁当を食べる。そして、昼休みは売り場に猛ダッシュする。しかし、UFOパンは早々に売り切れてしまい、なかなか買えなかった。当時の売り場は校舎の2階。1年生のクラスは1階だったので、よほどの脚力で階段を上らないと先輩たちには勝てない。2年生になると、売り場が近くなるので勝率は上がるが、並び負けすることもあった。ある日は残り1個のUFOパンを巡って女子同士のケンカが勃発し、ややヤンキー気質だったAちゃんの飛び蹴りを目撃したというウワサが尾ひれをなびかせつつ、女子高の2階フロアを沸かせていた。
さて、そのUFOパン――表面にクッキー生地をのせたスイートブールに白いホイップクリームをたっぷり挟んだ、こってり甘いデザートパンである。いま食べるとなかなかパンチの効いた一品であるが、10代の健全な胃袋はあの甘さに恋い焦がれていた。
社会人になるとわたしもヘルシー志向になり、UFOパンを手に取ることは少なくなったが、時代が変わって令和のはじまり。コロナ禍の「おうち時間」とともに流行ったマリトッツォを口にしたとき、「あれ?」と思った。食べ進めるにしたがって疑問が深まっていく。「これはもしやUFOパンなのでは?」。その後、久しぶりに実物のUFOパンを買いに走り、「マリトッツォはほぼUFOパンだな」と思った。そうか、UFOパンはイタリア由来だったのか。
それにしても謎めいている。看板商品の「デンマークパン」(通称『わらじパン』もしくは『ぞうりパン』)と同じく、昔からの定番商品らしい。なぜイタリア? なぜUFO? ついでにどうしてデンマーク? 長年パン作りの現場を取り仕切っている専務や店番をしているその母親に聞いても、理由は分からずじまい。昔は社長が製粉会社が開く講習会に参加しながら新商品を作っていたから、講習会で何かヒントを得たのかもしれないねとのことだった。
今回、再びUFOパンを食べてみた。懐かしいこってりした甘さとともに当時の思い出がよみがえってくる。
あのころ、各高校には千人級の生徒がいて、いわき駅前は昼から夜まで高校生だらけだった。ファーストフードのチェーン店もあったけど、それ以上に魅力的な個人店がひしめきあっていた。そこで安くてうまいものをテイクアウトし、バスの待ち時間に食べ、友だちとおしゃべりする。立ち読みしたり、知らないだれかの万引きやケンカを目撃してしまったり、全体として駅前は今より猥雑で汚くてギラギラしていた。でも、私たちの青春はいつも現実の路上にあったのだ。スマホのなかではなくて。
いまは駅前を歩く人もまばら。昔より安全で清潔な駅前にはなったけれど、どこか閑散としていて、「商売が成り立たない」という声があちこちから聞かれる。もしかしたら、わたしたちは何か大切なものを失い続けているのではないだろうか。
つい感傷的になり、店番の女性に「昔はこうだった」「あの店やこの店があった」と語ってしまった。女性は大きくうなずきながら聞いてくれ、笑いながら「ほんとうに、みんなどこに行っちゃったんだろうね?」と言った。
わたしもそう思う。みんな、どこに行っちゃったんだろう?
これで最後かもしれないと駅前店でパンをたくさん買って帰った。校内販売からはじまり、大人になってからは市役所売店で手に取り、市川パンを細く長く愛してきた一人だが、学校の売店には売っていないシンプルな食パンがとてもおいしいということを今になって知った。わらじパンもいろいろな総菜パンも、ひと手間かけてリベイク(オーブンで温めなおす)すると、さらにおいしい。ノーブルなパンに、かつて近所で営業していた「富松のコロッケ」を挟む常連客によるアレンジ方法も、最後の取材で知った。
高校時代のわたしに教えてあげたかったなあと思う。
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