冬来たる。

それは季節の変わり目というにはあまりにも激し過ぎた。速く、予告もなく、重く、そして大雑把すぎた。 それは正に鉄槌だった。ほんの少し前までは11月にも関わらず昼間ならTシャツで自転車に乗れたのに、たったひと晩の豪雨が、翌朝から空気を塗り変えてしまったのだ。それが起きたのは先週末のことであった。急ぎダウンジャケットと長袖股引など肌着を引っ張り出す。冬来たる。

低学年児童たちは5月に新型コロナが5類に移行してからマスクをしていない。なぜならコロナ禍を小学生として過ごしマスクでの学校生活に慣れた高学年中学年児童たちとは違い、低学年の彼らにとってのマスクとは、もはや給食の配膳時にするものだからである。高学年の児童たちはマスク生活が長かったのもあって「マスク外すの恥ずかしい(ノーマスクだと同調圧力など他人の目が気になるという意味ではない)」と5月以降もずっとマスクをしている児童が少なからずいた。女児にその傾向は強く出ていたように感じた。多感な時期──というか、否応なく様々なことに鈍感にならざるを得ない年齢に達するまであと最低十年はかかるだろう歳──を自粛とマスクで過ごしたのだ。そのメンタルへの影響は計り知れない。

そして、登校の際に咳をしてる児童が増えてきたなと感じたその翌日には発熱で休む子がチラホラと出始めたのが今週頭。私は家から集団登校の集合場所までと更に学校の校門まで子集団の横について歩いてゆくので、児童たちが厚着を用意されるのはどのくらいのタイミングなのかだとか、いくつかある集団登校の組ごとに、どの学年の子たちがだいたいどのくらいの割合で児童の数が休んで列から歯抜けしているのか知ることができる。

私は先週末に「ああ、これは危険だな」とセンスが働き、今週月曜から子にはマスクをつけさせ登校させていた。とうぜん100%安心ではないが数%でも0.1%でもしんどい思いをする確率を下げてやりたかった。子の数度目のコロナワクチン接種は先週、インフルエンザワクチン接種は1回目と2回目のあいだである(13歳未満は二度に分けて打つのだ)。

少し前に、校門で子が出てくるのを待っていたとき、四年生くらいの児童が休んでるクラスの誰々は明日来るかなあ?という話をしていて、その途中で「ダメ!それは言っちゃダメだからね」という言葉が聞こえた。それを指摘するのは児童たちのあいだでタブーとなっているのである。その言ってはならない言葉は、もちろん「◯◯はコロナに罹ったんやろ」を指しているだろうことは明白であった。私が知らない昨年や一昨年の小学校でそういう指導があったのだろうと想像する。悪い指導ではないな、と思う。あの頃は「あそこの店でコロナが出たって」だとか「あの学校で陽性の子がいて」だとかそういう話を噂話大好き大人が街角での挨拶のついでにしてきて嫌な気持ちになったものだ。

もう記憶から薄れたひともいるように思えるが、2020年には新型コロナに罹ってしまったひとの家に「コロナが出ました」などという貼り紙がされたり、感染した教職員が復職しようとしたら学校にクレームがあったり感染したひとの卒業写真がネットで拡散されたりと誹謗中傷されたのだ。「コロナに罹ったひとにああいうことしてた連中っていまどんなツラしてまち歩いてんでしょうね、平気なツラしてんですかね」と、先日は子の学校の保護者と話していた。

そして──今週は発熱して休む児童が急激に増えバタバタとドミノ倒しのように学級休業(学級閉鎖)が始まったのであった。だがあくまで感染防止の理由としては新型コロナではなく「発熱を主症状とする風邪疾患」なのである。単なる季節の変わり目の風邪かもしれないし、本格的に流行りつつあるインフルエンザでもあるかもしれない。生きねば。

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