運動会時期に解散総選挙すな
ちらし寿司の横には永谷園〈松茸の味お吸いもの〉と決まっているのだ。
解凍して並べられた海老を見て、子が「これは外国からやってきた海老なんやろ」と言う。私は「そうやで、これはベトナムでとられて凍らせて運んできた海老やな」と答える。風呂に貼ってある世界地図を見ながらの会話で、最近はあの料理は元々はどこの国の料理だったのかだとか、あの食材はどこでよく採れて輸入されてきているのか、などという話をしていた。先日カオマンガイをつくったときに、ひと口食べてやたらと気に入り、「あれはカオマンガイといってタイの料理、シンガポールなどではハイナンチーファンと呼ばれている」と風呂で会話してから、「(いま食べているこれは)どこの国の料理なのか」を訊いてくることが増えた。先日はトムカーガイをつくった。子はココナッツミルクをつかった鶏料理は初めてだったし、パクチーも初めて食べた。「国が違うと味も違うんやな、おいしさは沢山あるな」と子は言い、「国の違いではなく、文化はいろいろあるということや。食べられるものが多いと、人生は楽しいことが多いと思うで」と私は言う。
ある時期の子は、偏食というよりも、食わず嫌いの時期が長かったのである。初めて食べる食材や、いつもと違う見た目や味付け系統への警戒が強かった。いまではむしろ食べたことがない食材・料理には関心を示すようになった──なったというか、私がそちらに少しずつ少しずつ舵を切った。自然になったわけではない。飯を食う前に、皿のひとつずつがどういう食材を使っていて・どういう調理をして・なぜこの味になったのか・事前にかけといてもいいソースなどをあえて別添えにして・更にはソースやつけダレは複数の選択肢を用意して・または挟んだり包んだりというアプローチが口に運ぶ際に必要な料理を増やしそれをどうやって食べればよいのか・などを説明するようにしたのである。テーブルにドンとお盆と皿を置き「さあ食え」で済ますのを意識してやめたのである。
子は「ココナッツにストローを刺して飲む……が、物語で知って想像していた味ではなかった」という経験もした。「うげぇー」と顔をしかめた子を見て《そうやろうな、おれもそうやったで》と、顔には出さずに心の中で笑った。
永谷園〈松茸の味お吸いもの〉。私が子供の頃からずっと定番品としてスーパーの棚に並び続けているというのは、すごいことよなあ。いま検索してみると、なんと1964(昭和39)年発売なのだという。東京オリンピックの年である。ビートルズ来日公演の二年前である。私が子供の頃どころか産まれる前の大先輩であった。
いまは「はま吸い」(2018年発売)という、より本物志向的な味の上位互換品みたいなものもあって、それもうまい(自分でお吸い物をつくるのがバカらしくなるくらいよくできている)のだけれど、やはり〈松茸の味お吸いもの〉をたまに飲みたくなるし、子には、ここから初めて欲しいという気持ちがあった。
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