ナポリタン
まだたしか二十歳を少し過ぎたくらいの頃だったと記憶しているのだけれど、歳上のひとに「いい店があるんだよ」と連れられていったのが高円寺のニューバーグだった。もはや誰に連れていってもらったのかもはっきりしない。霞のなかにいくつかの薄ぼんやりとした人影が立っていて、あの出来事を共にしたのは、あのひとだったかも、いや、あっちのひとだったかもと、そういう思い出が少しずつ多くなってきた。
私はハンバーグを「いいっすね」と食べながら「(ガストとかのほうが安くてうめえんじゃねえのかあ)」などと心の中で考えていたのは、はっきり覚えている。今となってはまったくもって恥ずかしい過去であり謎めいた行動であるが、その頃の私は、個人がやっている雰囲気の良い店だとか隠れ家的な店だとか長く愛される名店だとかそういった店を毛嫌いしていたのだ。なぜか外食は頑なに全国的なチェーン店・ファミレスやファストフードにしか行かなかったのだ──アレはいったいどうしてだったのだろう。上京して、あまりにもまちの規模が大きく深く情報量が過多で、至るところにあらゆるジャンルに「通」がいて、まるで大きな図書館に行き見通せないほどの深い棚の奥に「ここにある本をおれはすべて読むことはできないのだ」と絶望と諦観に捉われるのと似たかのような感覚だったろうか。チェーン店よりも安くてうまくて落ち着いた雰囲気の良い個人店が存在しているのはひとに連れられて食べに行ったり情報誌で目にして知ってはいたが、どうにも足が向かなかった。私が生まれ育った小さなまちでは、ラーメン屋といえばあそこの店、焼き肉ならあそこ、中華料理は焼き鳥はあそことだいたい決まっていて、選べるほど店がなかったから、選択肢が溢れているまちとそのまちの人々に嫉妬にも似た感情があったのかもしれない。
いま行ったら、どう感じるんだろニューバーグ。あのひらべったいハンバーグ、つけあわせのミックスベジタブルとスパゲティ。いま足を運んだらどう感じるだろか。あの頃はなんにもわかっていなかった。世のすべてが馬鹿馬鹿しくて同時に世の仕組みもわからないくせにわかったふりしつつも何もできない自分を憎んでいた。行きたいな。
ビリー・ザ・キッド(関東に何店舗かあるステーキハウス)のメキスープ(特製レシピでめちゃ辛いがとんでもなくうまい)を飲みてぇな!と頭に思い浮かべてたら急に思い出したむかしの話だ。
大阪でメキスープ飲めるとこないものかねえ! そういえばビリー・ザ・キッドも歳上のひとに初めて連れて行ってもらったのだ。だから思い出したのだ。「夜遅くにね、ひと仕事終えてから、このメキスープを一緒に飲むってのがいいんですよ」と言われて嬉しかった覚えがある。
今日の子のめしはナポリタン。私のも同時につくる。子は少し前まで目玉焼きなどとても食べられなかった。以前に書いたことがあるが、乳児の頃に卵アレルギーがあって、それを常日頃、耳にしていたので、食事療法を終えてアレルギーが治まってからも「自分は卵がダメなんや」という自己認識が強くなっていたのだ。特に卵の黄身が苦手だった。砂糖をたっぷりいれた出汁巻卵、溶き卵のスープ、そして先日は卵かけご飯まで食べられるようになったが、これまで目玉焼きはどうしてもダメだった。いつも週末の朝に食わせている大好きなランチパックの「ハム&チーズ」の代わりに、今朝は「ハム&エッグ」を用意しといて、「これ◯くんそろそろ食べられるような気がするんやけど、どうかなあ」と見せて促したら「たぶんいけんで」と言う。そして「うまいな」と食べた。昨夜のうちに翌日の昼めしはナポリタンだと決めていたので、朝食後に「なあ、相談なんやけど、お昼はナポリタンの上に目玉焼きのせてみてもええかな。ダメやったらすぐどけられるから」と子に話した。子は「挑戦してみるわ」と言った。
余裕をもって、目玉焼きはとりあえず固焼きにする。熱したフライパンに二個割り入れて蓋をして焼けたらまな板の上で包丁で二つに分ける。子の目玉焼きにはウスターソースもちょっぴりかける。ひと口食べた子に「いけるー?」と訊くと「うまいでー」と答えた。なんなら黄身から食べた。
ナポリタンは自分でウスターやケチャップでソースつくるのもいいけど、このソフトめんはよくできてる。2人前が入っているので子につくるとき自分も一緒に食べる。子がいつか目玉焼きをのっけたナポリタンを食べて懐かしいと感じた記憶の霞のなかにいくつかの薄ぼんやりした顔の定かじゃない人影が立っていて、その中のひとりは私かもしれないし、これから出会う私以外の誰かでもいい。