ウスターソース
焼蕎麦人(やきそばんちゅ)として、いままでどうして試みもしなかったのだ馬鹿者め。ウスターソース市販品の始祖たるリー・アンド・ペイリンズ・ウスターシャ・ソースのみで味付けをした焼きそば。
おおう、うんうん……うん、いいぞ、なるほど、ぜんぜんうまくない。焼き上がってひと口ふた口食べて、「味がしねえや」。具を先に炒めて横におろして、麺を炒めてフライパンにソース垂らして少し焦がしてと手順を踏んだはずだ。普段は面倒で具をフライパンからおろさぬまま麺を炒めるほうが多いが、きっちりやったはずだ。具はシンプルに豚バラと玉ねぎのみ、キャベツと悩んだが玉ねぎを選んだ、これで間違いないはずなのに、どういうことだこれはと後がけでソースを振り足したら果実酢をかけたみたいな味になる。なにごとも試行錯誤だ、これも経験だ、人生に無駄なことなど、なにひとつないと、なかったと、なかったはずなのだと……信じて──
なお、『お好み焼きの戦前史』(近代食文化研究会/Kindle)、『ソース焼きそばの謎』(塩崎省吾/ハヤカワ新書)に依ると、ソース焼きそばの前に、まず「お好み焼き」というモノが「天ぷら・西洋料理・中華料理のパロディ」として発生し、その「お好み焼き」の中で中華料理、戦前は支那料理と呼ばれていた料理の炒麺(ヤキソバ)のパロディとして「ソース焼きそば」が誕生したのではないか、それに加えて明治時代から国産醤油ベースのウスターソースは普及していたのだ、とある。つまり、ここでつくったリーペリンソース謹製ウスターシャソースを使ったソース焼きそばは原点回帰でも原初の味でもなく単なる思いつきなのであった。うまくない、しかしまずくもない、うまずくもない、無である。自転車のチェーン清掃をしチェーンオイルを吹きつけたあとにまったく乗り心地が変わらぬかのような小さな無である。だが知らなければよかったことなんてないのだと、無意味なことはあれど、実を結ばなかったこともあれど、これまで無駄なことなどひとつもなかったと信じたいのだと、誰かに伝えたくて、解けない愛のパズルを抱いて。