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〈2024年7月18日 木曜- 23日 火曜〉 〈2024年7月マガジン〉

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〈2024年7月21日 日曜〉
 子の友人Nくんが朝から家に来て、Sくんが昼過ぎから来る。三人でNintendo Switchをプレイする。990円で売っていた『ぶっとバード』というソフトをこの日のために購入・ダウンロードしていた。Nintendo Switchのコントローラーの「おすそ分け」というのは本当にいい機能だと痛感する。私の子供時代、「桃太郎電鉄」や「ボンバーマン」をプレイするには、コントローラーの接続コネクタを増やすアダプタが必要で、更に人数分のコントローラーが必要だった。学校ではあまり率先して目立つ方のタイプではなかったMくん──ナイスガイだった──の家にはそれがあり(または友人を呼ぶために買ってもらったのかもしれない)、毎週末はトライアングルという安酒を飲みながら桃鉄とボンバーマンとファイプロを朝までやり続けた。それは高校を卒業してからも半年ほど続いた。ゲームに飽きた深夜にはMくんが両親の車を運転して皆で遠出をした。路面がアイスバーンの街中で止まりきれずに前の車に衝突して車をオシャカにしたこともあった。
 その週末の遊びの時間が終わりを迎えたのは、私が実家を出る金を貯めるために深夜の工場で働き始めたのがきっかけだったろうか。いつものように部屋の窓を叩く音がして外を見たら車が止まっていたが何度か「ごめんこれから朝まで仕事」ということが続いた。そのうち部屋の窓は叩かれなくなった。携帯電話はあったがショートメールやLINEのような文字ベースでの、電話を鳴らさずにすむ気軽な連絡はまだ使われていなかった。それとも、みな高校を卒業したあとの生活が始まってそちらのほうのウェイトが少しずつ多くを占めるようになったからだったろうか。集まっていたのは高校の同級生や同じアルバイト先の子たちで、男女合わせて、ひとつ歳下やふたつ歳下を合わせて、累計で十三、四名はいたろうか。その中でカップルが生まれたり、失恋があったり、絶縁があったり復縁があったり、酒に飲まれたり警察の世話になったり、いろんなことがあった。それからもう三十年が経ち、私は携帯電話からスマートフォンへ持ち替えて、むかしの連絡帳はいつの間にか失われ、いまではひとりの連絡先も知らない。
 驚いたことに、どのようなアルゴリズムが働いたのか不明だが──私は出身地も出身校も入力していない──Facebookでその頃の友人がいきなり友人候補として画面に出てきたことがあった。高校生の頃の友人を検索したこともなかった。アカウントの画面には誕生日を祝う、そのひとの現在の友人たちからのメッセージが投稿されていて、それは今年の分もあって返信もされていた。良かっただとか、ホッとしただとか、懐かしいだと、そういう感情の揺らぎはなく、「おお、生きているんだな」とだけ感じた。いや、それは嘘だな。M、懐かしいよ、あの日々が、戻りたいわけでもなく戻りたくないわけでもなく、ただただ、シンプルに懐かしいよ。
 三十代に入ってからのことよりも、あのハイティーンの頃の、自分がまだ子供だった頃の出来事をやけに鮮明に記憶しているのは、脳の機能的にまだ記憶力が強かったからだろう。または初めて体験することや新鮮なイベントが多かったからだろう、それだけのことだ。だけれど、事実としてそれらの記憶は、まるで冷凍倉庫の奥のほうにあってもう誰も取り除けないし取らなくてもいいことになっている硬い霜みたいに壁にへばりついている。普段はあまりの寒さに早く休憩時間がこないかと思いながらホッホッホッと鼻の穴や肺が冷たい空気で痛くならない独特の呼吸をしつつ無理矢理に身体を動かす冷凍倉庫内作業の、少しの空いた時間に、その霜の壁が古い蛍光灯のチラつきで美しくみえる角度があることに気がつく。



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