2024/8/9 金曜〈2024年8月マガジン〉

〈2024年8月9日 金曜〉

 79年前。1945年に長崎が核攻撃を受けた日。私は午前中から子とプールに行き、四時間そこで過ごし、ヘトヘトになる。プール帰り、団地の向こうにモクモクとわいている雲を指さして「あれすごい雲やな」と子に言うと、子は「なんか原爆の雲みたいで怖いわ」と答えた。夜は近所の盆踊りへ。

 はたして広島と長崎が核攻撃を受けたその日(広島は月曜日、長崎は木曜日)に、その日の夜や週末の盆踊りを楽しみにしていた子たちが1945年にいたのだろうか、と疑問が浮かびwebで検索する。


 日中戦争開始の1937年頃から盆踊りにも国威発揚の影響があったという。「軍国音頭」と呼ばれる楽曲だ。日独伊三国軍事同盟を祝う「三国音頭」というものもあったらしい。そして対米開戦以降は遊興禁止の時流の中で多くの盆踊りが停止するが、ごく一部では鎮魂の意味を込めて開催されていた場所もあるのだと。なお、1945年の玉音放送からの終戦、その日にも盆踊りが開催されたところもあったようだ。なお46年には早くも「マッカーサー元帥の食糧難援助に感謝」と横断幕をはった盆踊りが東京近郊で見られたという。

 盆踊りの帰りにスーパーへ寄る。生鮮コーナーには「盆踊り」「送り火」とPOPが並ぶ。子は「おくりびってなに?」と私に訊く。お盆にな、これまで亡くなった死んでしまったひとの魂が帰ってくると言われているんやけどその魂が天国とかそういうとこに戻るときに生きててくれてありがとうって意味で火をつけた紙の船を川に流したりおうちでロウソクに火をつけたり、そういうこと、と私は答える。

長崎新聞の平和企画サイトに感銘を受ける。
〈NO NORE NAGASAKI.NO MORE GENOCIDE.〉

ガザにも──いやガザに限らず、世界中で虐殺が行われている土地でまちで、今日の日本の私の住んでいるまちの「盆踊り」的な催しはあって、そこでは、同じ保育園や幼稚園だったけど、違う小学校へ行った友人と児童がひさしぶりに会ったりするのだろ。そしてそんな行事がなくなったり踏まれたりするのだろ。



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