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アニメ映画『プロメア』を子と観た

【2021/08/07】
日差しが強い。洗濯物を干して取り込んでとするだけで顔から汗が吹き出る夏の日だ。昨夜のうちにきっと明日は外出できぬだろうなと予測して子の昼飯や菓子は買っておいた。こういう日に家でゴロゴロして放っておくとYouTubeつけっぱなしになってしまう。

「何か映画みようか」とAmazonFireTVスティックのホーム画面に切り替える。アニメ映画『プロメア』(監督:今石洋之)がAmazonプライムビデオで配信されていた。私は公開時に劇場で観ているので見せても問題ない作品であることは把握している。「これ観てみる?」と子に訊くと──無理矢理なにかをこちらで選ぶということはしない。多少の誘導はすれど──「うーん、少し観てそれから決める」と答えた。

冒頭数分間続く作品舞台背景の説明場面で「やめようかな」と子は言いだす。「このアニメ、巨大ロボットが出てくるで」と伝えると「じゃあ、まだ観る」と答える。

111分の作品だが子は驚くほど集中して最初から最後まで観ることができた。本作でキーとなる炎のデザインがリアルなフォルムではなく幾何学的な形状と色なのは幼年者にとってはものすごくわかりやすかったようだ。とある英雄的な登場人物が実はドス黒いその本性を剥き出しにする場面では膝から崩れ落ちるほどショックを受けていた。

70分ほどの時点でようやく巨大ロボット「デウス・X・マキナ」が登場すると「ええ…….なんかあんまりカッコよくないね……」と肩を落とす(実のところそれを意図したデザインがされているはずだ)が、そのロボットがすぐに「リオデガロン」というフォームに変化すると「ええええ!!めちゃくちゃカッコええやん!」とご機嫌になってテレビの前で跳ね回る。

そして敵の大ボスが悪辣な笑い声を上げる(素晴らしい演技だ)のを見て、「◯◯くん、めっちゃ怒った!!」と立ち上がって目を三角にして怒っていた(◯◯は自分の名前)。物語中の悪役や敵役にこれほど怒るというのは初めてのことかもしれない。演出上で表現される喜怒哀楽がしっかりしていて──大人である私が見るとそれは良い意味で笑ってしまうほど大袈裟な表現に思えてそこは快感なのだが──幼年者が観ても人物に感情移入がしやすいのだ。

子はここ最近OVA『真ゲッターロボ 世界最後の日』と『真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ』、そして現在放送中のTVアニメ『ゲッターロボアーク』を続けて観ているので「ブッコロしてやりたいぜ!!」と石川賢マンガの登場人物のようなセリフと顔で怒っていたので妙なシンクロを覚えた──『プロメア』の脚本は出版社在籍時に石川賢先生の担当をされていた中島かずき氏なのである。子が誕生日プレゼントとして所望して唯一持っている超合金ロボットは「真ゲッターロボ」で、彼にとって現時点で最強の(最狂の)ロボットパイロットは流竜馬なのだった。



以下は2019年5月公開直後に私がガーッと書いた『プロメア』の感想。

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『プロメア』凄い。痺れてしまった。画面を彩る美しいルックとエモーショナルなキャラクター!  

しかし、まだ未見の人にもしや映画のトーンを誤解されてやしないだろうか。無論、楽しくて笑えてブッ飛んだ表現の快感に満ちた映画だが、同時に──「ウィンター・ソルジャー」「シビル・ウォー」に比肩するほどの──極めてポリティカルな要素を帯びたシリアスな側面をもつ作品だ。

ある日、身体から炎が溢れ出す人々が突如として世界各地に現れる。バーニッシュと呼ばれた彼らがテロリストとされた30年後の世界。主人公ガロは消防レスキュー隊員だ。バーニッシュがおこした火災を消火することに使命感を抱いている。

冒頭3分の舞台説明で「インターネット以降、SNS以降の、そこに生じた新しい戦争についての物語だろうか」などとも感じた。これは、主人公ガロが「炎上」を鎮火する職業ということが頭にあったのと、最近の私がダークウェブや暗黒啓蒙やオルタナ右翼という言葉に関心を持つようになったせいもあるだろう。

映像的な快楽と多彩なグラフィックの表情(自在な線と塗りと色で表現されたその美しさよ!)に身を委ねながらも、正直に告白すると、観ていて当初は一抹の不安があった。災害がおき→火を消し→人を救助して→放火の元凶と対決する主人公が熱血な正義漢ということもあり「一面的な正義が描かれたら嫌だな」と。

私の不安は杞憂だった。物語は20分を過ぎたあたりから、清濁、異なる正義、他者の排除……と複雑な、そして現代的なストラグルを描き始める。前述したアメコミヒーロー作品群がフィクションの力を借りて描いた現実、それに抗うヒーローたち……本作はそこと同じ地平で戦うことを覚悟している、そのことに私の大きな感動があった。

(あえて時期を明確にするのであればOVA『トップをねらえ!』88年以降の)日本のアニメマナーにならって、過去作からの爽快な引用も多々あるが、ヤマト、マジンガー、アキラといった日本の作品よりも、特にグラフィックの面でレネ・ラルーやロバート・エイブルなどワールドワイドな守備範囲からの影響のほうをより強く感じた──ここは観た人それぞれの受けとめ方だろう。ヴェイパーウェイヴとシンクロしたかのような表現もある。

「引用」でいうと、ガロの乗るバイクが、さりげなく『トップガン』主人公マーヴェリックが乗るニンジャと同型車種だったのにはグッときてしまった。体制のひとりとして平和を維持するために己の正義を信じてやまない人物が乗るバイクが、だ。その引用直後の場面で、ガロは自身の抱く正義の裏側に直面することになる。

(これほどの映画を他の作品で例えるのは失礼ではないか?とも思いつつ……私の言葉で表現するならば……)主人公のひとりガロは、ヒトのままで飛鳥了と対峙する不動明という感があった。あり得たかもしれないデビルマンのアナザーストーリーだとも感じた。

111分の尺のうち、70分以降はもうずっとひたすらクライマックスである。そのエモーションの怒涛は、あたかも前半で提示された──現実世界にも存在する──世界と人の困難を乗り越えるためには、それほどの描写と跳躍を物語に与えなければならないんだ!とフィルムが叫んでいるかのようだった。凄いよ、『プロメア』。
(2019年05月31日 記)

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