信号
信号無視ができなくなった。
元々は、子を自転車の前席に乗せていた頃──あれは二歳半までだったろうか──信号待ちの際に「青信号になったら走るから教えてや」と会話をしていた。それは来るべき「子の手を引いて歩く時」そして「子が歩いて自分ひとりでまちを歩く」ときのために、交通事故に遭う可能性を1%でも、0.1%でも少なくするために行っていた会話だった。
子と一緒にまちを歩くときも、「青信号になってもこの道は横から自転車がいきなりくるからちゃんと見てから歩き出さなあかんで」と、近所で車や自転車の運転が下手に加えて予測運転ができないアホが、たわけた動作をする場所に関して、口酸っぱく言ってきた。
少し話はズレるが、〈予測運転〉というものがある。〈かもしれない運転〉という言葉でも知られる。車だと、視界の悪い道を曲がった先に歩行者や自転車が車道の真ん中にいる「かもしれない」と予測して曲がる、交差点が近いので前をゆく車が急に車線変更や速度を落とす「かもしれない」と予測して走る。自転車だと狭い道から優先道路に出る際に左右から歩行者が来る「かもしれない」と頭に入れて走る。この〈予測運転〉をする/しないで、運転の疲労度は倍以上違う。子連れで歩いてまちをゆく、電車に乗る、何処かへ外出する際にもまったく同様に〈かもしれない〉が頭に多く浮かべば浮かぶほど、疲労度は変わる。トラブルに出くわす可能性を1%でも、0.1%でも少なくするために、五感のセンサーをどれだけ高出力で働かせるかで、疲労度は変わってくる。
具体例はいくらでも挙げられるが、たとえば〈子連れでバスに乗り、子が先にバスから降りようとしたとき・バス内から降口付近の歩道の左右をあらかじめ視認しているか、電動キックボードや自転車が来ていないかを即座に確認しているか〉を「必ず」やっているかどうか、だ。
以前に、単車で走っているときに突如として「ああ、もうおれは白線の上を走ってのすり抜け無理だな」と、わかってしまったことがあった。それまでは全く普通に行っていた。だが、その瞬間にそれがリターンのないリスクだと感じてしまったのだ。もともとリターンがあるわけではなかったが(都市部の一般道でどれほどすり抜けをしようが目的地に到達する時刻などさほど変わりはしない)、バイクによるすり抜けを否定するわけではない、速度差のあるところでのジグザグ運転も否定しない、高速道路でのアクセル全開も否定しない、スリリングな快感を求めることを否定しない──ただ自分にはもう必要がない。これまではスリルが必要だった、いまはもう必要ないというだけである。オートバイの楽しい乗り方は、右へ左へのワインディングを少しでも速く駆け抜けるのではなく、高速道路をただひたすらにまっすぐ走ることへと変化した。変性意識へのきっかけがアドレナリンからチルへと置き換わったのである。
話を戻す。信号無視ができなくなったのは、子と一緒に行動する際に、規範を示すというのがまず先にあった。集団登校にマスクをしてきる児童がいたら、自分もマスクをするかのように。規範に加えて、子連れではなくひとりで歩いたり自転車に乗っていたりする際に、信号待ちで横に児童がいたときや、道路の向こう側に児童がいたとき〈自分に釣られて児童が赤信号で飛び出す可能性〉が常に頭に浮かぶのである。もし信号無視で走り出した大人の自転車に釣られて飛び出した児童が車に轢かれたとき、先に信号無視で車道に出た大人が何かしらの責任を問われることはないのだろうか。法的な根拠は知らねど、同義的な責任は問われて然るべきだと考える。
──いや、違う違う、違うんや、書いててなんか変なことになった。いまここで書きたいのは、信号無視ができなくなったのは、最初は《子が真似して事故にあわんように》だったのだが、最近になって、〈自分の判断力に疑いを持つようになった〉のである。何か、こう、いつ、どんなタイミングだったか不明なのだが、急に反応速度や動体視力や咄嗟の回避能力が落ちたと実感したのだ。なので、もはや信号に従ったほうが楽なのである。信号無視ギリギリで曲がってきたり狭い道から出てくる車に対応しにくくなっている。深夜の対向二車線道路の横断歩道も信号もないとこをパーっと歩いて渡ることなど、いまの私にはもはやできないのだ。守りに入っているだとか落ち着いたとかというよりも、生物としてのスペックが落ちていることを自認できる能力が向上した。信号無視免許返納である。
以下は上記とは無関係の日記。
〈2024年8月マガジン〉です。購入したときの金額で〈2024年8月マガジン〉に収録の記事がぜんぶ読めます。無料公開範囲は予告なく変更します。更新頻度、記事本数は未定です。
本記事の冒頭右上にある「P500」「¥500」ボタンを押すと記事単品購入になってしまうので、マガジンを選んだほうが読める文章数は多いです。
記事単品よりマガジンのほうが安価なので(マガジン購入価格は予告なく変更します)マガジン購入をお勧めします。自動更新ではなく「その月のマガジン」買い切りです。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?