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にでもするか

「うどんにでも・・・ するか」が、よくある。特に平日の昼めしや、週末の朝昼兼用めしのときに。

この「にでも・・・ 」のことが、ようやくわかった。さもいろんな選択肢や未来があるカオスのなかで、仕方がなくだいたいのところの妥協点で自由意志で決めたかのように見えて、実のところ「うどんが食べたい」なのである。決定論だ。その日の昼間にうどんを食べるのは、ビックバンによる宇宙開闢以来運命づけられていたのである。眠れる奴隷なのである。

「我々はみんな『運命』の奴隷なんだ」
「運命とは『眠れる奴隷』だ……オレたちはそれを解き放つことができた……それが勝利なんだ……」
(『ジョジョの奇妙な冒険』,荒木飛呂彦,集英社)


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