弁当の冷凍食品

〈2024年5月某日〉
 明日、子は弁当が必要なので、弁当箱と弁当用食器と保温バッグが破れていたり壊れていたりしないかを確認し、すべて洗う。サーモスの保温バックの中はキッチンペーパーで水気を拭き取ったあとに台所用消毒スプレーを吹く。そのあとにスーパーへ弁当に入れる冷凍食品を買いにゆく。保育園時代から弁当に入れるものは、なるべく〈手作りのモノを少なくする〉が基本コンセプトだった。「愛情たっぷりの手作り」? 人間の味覚には〈愛情〉という数値はない。料理によっては手間をかけたほうが味に直結する調理法もあるが、手間を愛情と言い換えるのは欺瞞が潜んでいるのではないか。

 毎日弁当が必須だとか頻繁に習い事や学童保育に持ってゆくならともかく、遠足などたまの外出イベントにつかう弁当に必要なのはむしろ〈食いやすい〉だとか〈手や口周りを汚しにくくて片付けやすい〉というスペックだし──コンビニ弁当をそのまま弁当箱に詰め替えてもいい──普段の食事にしたって、毎回毎回と凝った料理を手作りして、それを児童が口にしなくて心を削られたり折られたあげく「そんなんじゃ大きくなれない」などと叱責して自己嫌悪に陥るくらいならば、別に食わんなら食わかったでもええわくらいに考えて、百通りのレシピで毎日手作りより、冷凍食品や出来合いのお惣菜や弁当屋で二百種類の料理を試してみたほうがいいのではないかと感じる。

 ひとつこれは付記しておく。〈自身が子の毎食の用意をしていない〉ポジションにいるひとが、「できあいのものばかりじゃなくたまには手作りで──」などと〈子の毎食の用意をしている〉ひとに告げるその言葉は、はっきりと決定的な〈呪い〉である。その日以降、呪いをかけられたひとが毎日十時間かけて食事の用意をし、そのうち味噌汁は鰹節を削るだけではなく味噌から手作りを始めカレーはスパイス二十も三十も用意し鉢で擦り毎朝午前二時から起きて市場へ魚や野菜を買い付けに行くようになって……などと「こち亀」みたいな展開になったとしても文句は言えないのである。


 閑話休題。

 弁当に冷凍食品をつかうのは、手間のコストを下げるだけではなく、雑菌の繁殖を防ぐためでもある。手作業が介入する回数が増えるほど食あたりの可能性が上がる。


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