#1 突如として始まった30代のビートルズ談義〜まずは2人のビートルズとの出会い〜
「レッツ!ビートルズ on note」では、ポッドキャスト版「レッツ!ビートルズ」のトーク内容をギュギュッと縮めた編集版でお伝えします。完全版はぜひ、PodCastを聞いてみてくださいね。
こんにちは。執筆役はライターの大塚です。今回は嬉野温泉にあるコーヒースタンド「おひるね諸島」にて収録しました。
突然のスタート
北川:こんにちは、大塚さん。
大塚:こんにちは。
北川:突然始まりました。ポッドキャスト版、レッツ!ビートルズ。
大塚:本当に突然でびっくりしてます。
北川:ぼく、テレビで(ビートルズの番組を)やってるでしょう。
大塚:そうですね。
「Let's after the Beatles!」テレビ九州で放送中
北川:ラジオ、FM佐賀でやってるでしょう。
大塚:はい。
「レッツ!ビートルズ on Radio」FM佐賀で放送中
北川:ポッドキャストまでやって。どんだけビートルズの話したいんだっていう。
大塚:全部出し切らないといけないんでしょうね、もうね。笑
大塚家の特殊なビートルズ環境
北川:大塚さんは福岡でライターとしてお仕事されてるんですけど、ビートルズのファンで。大塚さんは33歳。ぼくは36歳で、ほぼ同年代で九州に生まれて。ビートルズが好きという。そこの共通項です。
大塚:ぼくも、同年代でビートルズが好きという人に出会ってなかったので…。
北川:何歳から好きになったんですか?
大塚:……4歳。笑
北川:家族みんな、ビートルズ好きなんですよね。
大塚:そうですね。とくに母が好きで。ビートルズのCDが自宅にいっぱいあって。CDをいじっていると、自動的にそれはビートルズなので……。ビートルズが好きでしたけど、自分が「ビートルズ好き」という自覚はなかったですね。
北川:ビートルズしか選択肢がなかったっていう。
大塚:音楽=ビートルズ。
北川:北朝鮮の洗脳と一緒ですよね。情報統率されてますね。
大塚:ビートルズをビートルズとすら思えない世界。ビートルズしかないので、自分が「ビートルズ好き」だという認識もできない。何なら、音楽が好きという認識もない。自分がビートルズを好きだと認識する方法がなくて。
30代のビートルズファンってどこにいるの?
北川:このポッドキャストでは語りたいなと。30代のビートルズファン2人があれこれ、ビートルズを語ると。周りにビートルズ好きっていないでしょう?
大塚:いないですし、「好き」と言われても、多分、自分が求めているレベルではないんですよ。だから、自分は普段「話さない」です。実際に今まであったことがないから……。本当にいるんですかね?
北川:いるはずなんですよ。ビートルズは昔のアーティストの中ではかなり動きがありますし、再発されたらチャートインもしますから。マニアはいるんですけど、日本中に隠れているんですね。
大塚:Twitterとかみても、確かにいそうな気はするんです。でもなんか、どこかファンタジーみたいな感じで。
北川:たしかにね。有名なビートルズファンの人っているんですけど、ぼくらのような一般の人が「クラフトビールを語る」みたいには話せないですよね。
2002年のポール来日、何してた?
大塚:ぼくは2000年の「ビートルズ1」発売で、社会のビートルズに対する反応を目の当たりにして、自分が「ビートルズ好き」だと自覚しました。
大塚:そのあと、2002年にポールの来日があって。アリーナ32列のチケットがとれたんです。でも、ぼくそれに行ってないんですよね。
北川:なんで行かなかったんですか。
大塚:試験だったんですよ。
北川:11月でしたよね。
大塚:中3だったんですよね。ホント高校受験を控えた秋の期末試験の前日で。ほんとに悩んで……。
北川:2002年の時、ぼくは高校3年ですよ。それこそ大学受験を控えた大事な時期に学校休んで大阪まで行きましたよ。
大塚:あー……。
Wikipediaより(リッツカールトン大阪)
北川:当時は今のようにSNSがないので、2ちゃんねるとか見ながら。ポールがリッツカールトンに泊まるという情報を得て。リッツ・カールトンの1杯2000円のコーヒーを飲んで、ポールを待って。あとは手探り状態ですね。追っかけファンとしては。
大塚:そうですよね。
北川:2ちゃんねるの「ほぼ嘘」みたいな情報の中から、真実を見つけていく。一緒に行った父親に呆れられながら、寒い中ポールを待って。ぼくの自慢はやっぱり、会場にいた人みんなそうなんですけど、「Caliko Skies」を聞けたことですね。
大塚:そうですよ!!!!!
北川:初めて「Caliko Skies」をやったのが、あの大阪ドーム。
大塚:いやー、それが本当にうらやましくて……。「Back in the World」に大阪で演奏された「Caliko Skies」が収録されましたが、それを買いたくなくて。
北川:悔しくて?
大塚:悔しすぎて。ぼくは当日もライブの開始時刻から、先行発売されていた「Back in the u.s.」のアルバムを再生しながら、勉強していたんですよ……。
初ポールは泣いた?
北川:初ポールは何年になるんですか?
大塚:2013年ですね。あの時は福岡に来てくれたので。積年の想いが晴れた瞬間。
北川:どうですか、初ポールは。やっぱり涙しますよね。
大塚:いや、もうずっと笑ってました。楽しくてしょうがなくて。笑
スマホ撮影OKの会場で撮った当時の自撮り
北川:ぼくは2002年の初ポールで、1曲目から号泣で。父親は引いてました。もうヒクヒク言って。序盤はほぼ覚えてないです。「イエス・キリストが現れた」みたいな。
大塚:もうそんな感じになりますよね。
北川:宗教ってこうやってできていくんだろうなっていう。あのタイミングでポールに手をかざされて「ケガが治るよ」とか言われたら、治ると思う。
大塚:思うでしょうね。
北川:ポールのことを「神様」っていう人いるじゃないですか。いや、本当に神様なんだなと。「神」ってこういうことなんだなと、思いましたよね。
北川少年がジョージ・マーティンに託された使命
北川:ぼくは小6の時、ジョージ・マーティンに会った経験があって。
大塚:へえ!
ジョージ・マーティン(Wikipediaより)
北川:BCC(現・ビートルズ・クラブ)が主催していた「ビートルズ復活祭」というイベントの大きいやつがあって。石川県金沢市でトリビュートコンサートが開かれたんですよ。タケカワユキヒデが出たり、財津和夫が出たり。ビートルズのコピーバンドの大会もあって。その審査委員長がジョージ・マーティンだったんですよ。
大塚:すごいイベントですよね。
北川:当時はバブル絶頂なんで、お金あったんでしょうね。イベント会社とか。
大塚:なんで石川県なんでしょうね。
北川:なんで石川……。政治の香りがプンプンしますよね。それ知ってる人いたら、コメントほしいですけど。ジョージ・マーティンを石川まで連れてこようと思わないですよね。
大塚:思わないです、思わないです。笑
北川:で、ぼくは帰りの飛行機でジョージ・マーティンと出会ったんですよ。ぼくら家族は石川から東京に行って、ディズニーランドで遊んで帰る予定だったんです。だから、石川から東京行きの2階建てジェット。そしたら、ジョージ・マーティンが同じ飛行機で2階へ行くのが見えたんですよ。
大塚:おお。
北川:ぼくは1人で行く勇気がなくて、妹と2人で行ったんですよ。ビートルズ復活祭のパンフレットを持って「サインください」と。
大塚:へぇー。
北川:通訳の人がいて、快くサインしてくれたんですけど。そしたらジョージ・マーティンがイギリス人のジョークみたいな感じで「君じゃなくて、お父さんやお母さんが好きでもらいに来たんだろう」と言って。
大塚:まあ、そう思いますよね。
北川:「いや、ぼくが好きなんです」と言って。「テストで100点取ったら、新しいアルバムも買ってくれるって約束してるので、頑張って勉強してます」と。そしたら、めちゃくちゃ喜んでくれて。
大塚:へぇー……。
北川:「君たちの世代のビートルズの伝道師になってね」と言われて。それを真に受けて、今生きているんです。
大塚:夢みたいな話。
北川:それから、友達への誕生部プレゼントは「ビートルズのCD」と決めて。「Abbey Road」を何枚渡したか分からないです。
大塚:本当に伝道師。
北川:めちゃくちゃ嫌がられたりもしましたけど。でも、当時はOasisとかBlurとかRedioheadみたいなUKロック、オルタナティブ系のロックが流行ってて。そのルーツがビートルズだと、とくにOasisは公言してましたし。
北川:曲調からもはっきり影響がわかるので「ビートルズってすごいんだね」と言う友達はいたんですよ。
大塚:なるほど。
北川:その後のビートルズ・リバイバルの流れをつくったという面では、Oasisの影響も大きいですよね。それが「ビートルズ1」にもつながったと思います。
「ファンと語ってみたい」という欲望との付き合い方
Pixabayより
大塚:ぼくがビートルズ好きなのは母の影響が強いんですけど、母は「ビートルズと私」という感じで、あまり「誰かにおすすめ」みたいな他者が登場する世界観がないんですよね。
北川:そういうファンの人もいますよね。「私のバンド像」とか自分の世界を持っている人。
大塚:そうです。
北川:ぼくも、もともとそっちだったんです。2013年の来日をきっかけに「こんなに若いファンもいるんだ」とか「こんな情報を持っている人がいるんだ」と、だんだんファン同士がつながることの快楽を覚えました。
大塚:なるほど。ぼくも「話せる人いない」とボヤきつつ、実際は「あまり求めていない」とも思うんですよね。「これ」と思う人じゃないと話せないというか。若干の意見のズレとか、そういうものを受け入れられるんだろうかとか……。そんなこと、実際には起きないと思うんですけど。
北川:なるほど。
大塚:なにか否定されてしまうんじゃないか、とか。今まで大切にしてきたものが……こう…。
北川:わかる。何かこう、繊細なものというか。ぼくもそういう経験あって。大学生になったときに「ビートルズ研究会」ってサークルがあって。
大塚:おお。
北川:そのサークルに行ったら「きみ、ジョン派?ポール派?」って聞かれたんですよ。
大塚:うわ……。
※イメージ
北川:「無理!!」と思ったんですよ。
大塚:無理だ。
北川:そんな分けるような世界観は無理だと思って。「全部好きじゃん!」って。だから、ぼくはそういうのに入らなかったんですよ。
大塚:それ、ちょっとトラウマになりますね。
北川:2013年までずっと一人ですよ。でも、ファンのコミュニティに入るといいこともあって。チケットを譲り合ったりとか。いい部分もたくさんあるんですよね。
大塚:なるほど。
北川:だから今、ラジオとかもやってるじゃないですか。ビートルズを楽しく語れる風潮をつくらないと、次世代にビートルズが続いていかないと思うんですよね。
大塚:たしかに、ビートルズって嫌がられる側面ありますよね。「ビートルズおじさん」が、なんでも「ビートルズの影響があったから今がある」と。ビートルズ絶対論を若い音楽ファンに押し付けてしまう。
北川:ビートルズだって、周りの影響を受けまくってるんですよね。たとえば、60年代にはThe Whoとか、Creamとかが出てきて。そういったものの影響を受けて「Rubber Soul」とか「Revolver」はできてると思うんです。後期のジョージがThe Bandに大きな影響を受けてたりしますからね。
ビートルズの解散を語る
北川:ビートルズの解散の話で「ヨーコが解散させた」みたいなの、あるじゃないですか。それはどう思います?
大塚:ぼく、恥ずかしながら「EIGHT DAY'S A WEEK」(2016年公開)の映画を最近になって、ブルーレイを買ってみたんですよ。そしたら、当時のビートルズのツアースケジュールの表がついてたんですね。
大塚:ツアースケジュールがバァァァァッて書いてあって「こんな毎日送りたくない」って、心底思ったんですよね。それが3~4年続いているわけじゃないですか。
大塚:それまで、ビートルズって天才の集まりと思ってたんですよ。過酷なツアーの現実を見たときに、4人は力を合わせて、このつらい日々を乗り越えたんだなと思って。「よう頑張ったな……」と思ったんですよ。
北川:そりゃあ「HELP!」と叫びたくもなりますよね。
大塚:そうなんですよ。だからもう「解散」というか「走り抜いた」というか。
北川:いやーそうですね。本当そうです。あの映画はより、それ(ビートルズという過酷な日々)をはっきりさせましたね。
ぜひ見てください
大塚:ビートルズというプレッシャーと闘いながら、みんなの期待に応えて、あれだけスキのないアルバムを出し続けて終わったというのは。途中でプツッと切れたのではなくて、走り抜いた。
北川:本当は(ツアーを辞めたタイミングの)「Revolver」で終わったバンドなのかもしれないんですよね。
北川:当時、ライブをしないってあり得ないことだったので。ライブバンドじゃなくなるって。当時は職業作曲家か、スタジオミュージシャン以外いないわけじゃないですか。当時のステージは設備もひどいですし。シェアスタジアムに生のアンプどーん!って置いて、聞こえるわけないじゃないですか。
大塚:そうですよね。
PAシステムなしでスタジアムライブ
北川:ビートルズは見世物で、商売道具だったんですよね。ロックというもともとインディーで、メジャーではなかったものが、エルヴィスから一つの産業になった。そして、ビートルズがさらにロックをビッグビジネスにした立役者だったんだ、というのをあの映画で実感しました。
大塚:あのつらいライブを4人でずっと続けて。いつ空中分解してもおかしくない。大げんかになってもおかしくないと思うんです。そこをみんなで話し合って、ライブを辞めて。そのまま解散になってもおかしくない。でも、音楽への情熱があったから、4人ともスタジオにこもって、音楽を作ったと思うんです。
北川:そうですね。
大塚:バンドとしては、ライブの終了で一区切りついてると思うんですよ。それでも「自分たちはもっとやれる」と。それを残りの期間でちゃんと出したと思うんですよね。
北川:そうですね。
大塚:そこで「ヨーコが解散」というのは……。たまたま起きた出来事でしかなくて。たしかにビートルズの存続にとっては良くないことだったのかもしれないですが「解散」というレベルでは、ヨーコではちょっと語れないなと。
北川:夫婦の離婚と一緒で、いろんな要素が重なったと思うんですよね。ブライアン・エプスタインが亡くなったのも大きいですしね。
大塚:そうですね。
ブライアン・エプスタイン(Wikipediaより、ビートルズのマネージャー)
北川:それぞれが大人になって家族ができたこともそうだし、音楽性も違いも出てきました。あとは新しいバンドやミュージシャンが出てきて、ビートルズ自身も「限界」は感じてた気もします。
大塚:なるほど。
北川:旅館大村屋の湯上り文庫のキャラクターを書いてくれた本秀康さんの持論では「ビートルズはジョージ・ハリスンを成長させるためのバンドだった」と。そういう視点もあるわけです。
本秀康さんはジョージ狂として有名です
北川:(ビートルズが最後に制作したアルバムである)「Abbey Road」はB面のメドレーで語られがちですけど、曲単体のクオリティは、ジョージがピカイチですよね。
大塚:もうホント、突出してますよね。「Abbey Road」はジョージの卒業アルバムですよね。
北川:あれが卒業アルバム!「ようやった!ソロでいけ!」っていう。
大塚:ジョージは目の前でジョンとポールというとてつもない才能を見せつけられて。それでも、いつかきっといい曲を書くという気持ちを持ち続けて、最後ちゃんとすごい曲を書くという。とても感動的なストーリーです。
北川:なんか日本人っぽいですよね。我慢強いというか。
ジョージは「プライド」をどこに持っていたのか
北川:ジョージは「Taxman」とか自分の曲なのに、ポールがソロを弾いてて、相当悔しかったと思いますよ。
北川:「Revolver」の1曲目になるくらいのいい曲ができたのに。ソロがうまく決まらず。そしたらポールが「じゃあ、俺が弾いてやるよ~」で、決まっちゃうと、やっぱり「(ぇ……!)」てなりますよね。
大塚:なったんですかね、やっぱり。笑
北川:「Anthology」とか見てても、ジョージとポールの空気感って、ちょっとピリッとしてますよね。
我が物顔のポールにちょっとヒヤヒヤしちゃう
大塚:どんな関係性だったんでしょうね。ジョージとポールって。
北川:やっぱりポールが上から目線でしょう。
大塚:ですよね。
北川:で、ジョージがどんどん成長していって、反抗しだす。
大塚:うんうん、そういうイメージですね。笑
北川:「Anthology」のプロジェクト(1995年、解散後のビートルズ再結成プロジェクト)でも、ジェフ・リンというプロデューサーはやっぱり「ジョージ派閥」じゃないですか。
北川:やっぱり、そこでバランスとったらしいですよ。ポールが一人で突っ走らないように、スタッフでバランスとって。ポールって、ちょっと調子乗りがちじゃないですか。
大塚:そうですね。笑 ジョージの「プライド」って、どこにあるのかなあって思ったりするんですよね。
北川:ジョージのプライド。
大塚:ジョージのプライド。ぼくが「ん?」と思っているのは、エリック・クラプトンが「While My Guitar Gently Weeps」でギター弾くじゃないですか。
北川:うん。
大塚:あれって、クラプトンに頼んでいいんですかね。
大塚:「マイギターじゃないじゃん」と。
北川:(笑)「ぼくのギターがしくしく泣く」という曲をつくって、自分でギターを弾かない。
大塚:「どういうこと?」って思うんです。だって、ギタリストですよ。
北川:もう、そこのプライドはなかったんでしょうね。
大塚:ないとしか思えないですよね。「自分がプレイすべき」というところにプライドを持っていない。そこにジョージの「深み」を感じるんですよね。
北川:あー、たしかに。
大塚:でも「Let It Be」の映画の中で、ポールに「もう君の言うとおりに弾けばいいんだろう」というシーンがあるじゃないですか。「あ、やっぱりプレイヤーとしてもそういうプライドあるんだな」って。
北川:たしかに「While My Guitar Gently Weeps」は、リードギタリストとしてのプライドがあったら、何回録りなおしてでも、自分のギターソロを入れたいですよね。そういう曲ですしね。
大塚:「自分の泣いたギターを聞かせよう」という想いは無くて、クラプトンに……というのが不思議な発想だな、と思うんですよ。
北川:Your Guitar Gently Weepsですよね。発売当時はライナーノーツにもなかったはずなんですよね。
大塚:「While My Guitar Gently Weeps」をつくった課程というのは、ぼくは知識がないので、もう少し詳しく知りたいですね。当時のエリック・クラプトンって言ったら、もうミュージシャンの中では「あいつ、やべえぞ」って感じですよね。
北川:そうですね。話題だったはずです。
Cream(右端がクラプトン、Wikipediaより)
大塚:そんな「クラプトンが来る」ってなったときの、ビートルズを想像するのも面白くて。ポールなんかは張り切って「かっこいいとこ見せてやろう」とか思いそうじゃないですか。
北川:うんうん。今で言うと、これは「featuring」ですよね。なんか今、キテる話題のミュージシャンがどんなもんか知りたいという好奇心もあったと思うんですよね。当時はビートルズの雰囲気が悪くて、ちょっと友達のクラプトンを連れて行ったら、みんながピリッとしだして、曲がカチッと固まったっていうところもあると思います。
大塚:なるほど。
北川:でも、その考察はなかったなぁ。ジョージのプライド問題。奥深いですよね。
大塚:奥深いですよね。
北川:でも、ジョージってリードギタリストに流れでたまたまなった感もあるじゃないですか。ポールがジョンにジョージを紹介して、それでジョンに聞かせたギターがうまかったから、入っているので……。別にリードギタリストになりたかった、というわけではないのかもしれませんね。
大塚:なるほど。
北川:初期にはポールと共作で曲も書いているんですよね。「In Spite Of All The Danger」がそうでしょう。
なぜかリードヴォーカルはジョン
北川:だから、ソングライターとしてのプライドはあったと思うんですけど、リードギタリストとしてのプライドはなかったんじゃないですか。
大塚:「いい曲を書きたい」という想いの方が強かったのかもしれないですね。
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……などなど。1回目からかなり深く話し込んでしまいました。まだまだ「Please Please Me」のジョンの笑い声の話や「Free As A Bird」の衝撃の話などを話しています。初回はなんと1時間20分!やりすぎた。
「話し出すと止まらない」という欠点を把握したうえで、第2回はもう少しコンパクトにやれるように善処します。
それでは、See You Next Time!!