アフター3.11から、アフターコロナを考える。
9年前。僕はまだ20歳の大学生だった。
地震の速報を知ったのは鳥取の実家。弟の高校入試不合格という家族の一大ニュースが一瞬で吹っ飛んだことを覚えている。
西日本にいた僕には、地震の怖さも、津波の悲惨さも、原発の混乱も、多くの人が味わったほどには体感体験しておらず、まるで映画のように映る画面の向こうの景色を眺めながら、ただただ自分の無力感を噛み締めていた。
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それからだったと思う。僕が大学の授業を真剣に受けるようになり、経済や経営、そして起業、ビジネスに強く興味を抱くようになったのは。
まだ全然無知で無能で何者でもなかった僕は、ただ噛み締めるしかなかった無力感の正体もわからないまま、とにかく「チカラを身につけよう」と空虚に必死にもがいていた。きっとそうなんだと思う。
あのときの僕の心にあったのは、「もし将来自分の身近な人の元に同じような災害が起きたとき、強く手を差し伸べられるチカラを持ちたい」という若くて青臭い純粋な気持ちだけだった。
それが巡り巡って「まちづくり」や「自営業」という形に繋がり、今のこの僕がいる。
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あれから9年。あのときと同じような空気になりつつある。
ひとつの天災が大きく波及し始め、日本全体を自粛ムードが覆い尽くし、政治家の後手後手の対応が「経済」をジワジワと絞め殺していく。
僕は「あのとき」を画面越しにしか知らないけれど、経済が停滞することの恐怖はきっとあのときと同じなんだと思う。経済活動が止まれば人が死ぬことを、いよいよリアルに感じ始めてきた。
売上は急減し、設備投資を控えて、泣く泣く従業員を解雇する。長期戦略よりも短期的な対処療法に追われ、挙句の果てには事業を畳む選択に迫られる。これらはすでに目の前で起き始めていて、東京五輪どころか、GWにすらも無事に迎えられるかわからない人がいる。
この局面で、いま僕にできることはなんだろう。
この間に僕が手に入れた武器は使えるだろうか。
ただ自分の無力感を噛み締めることしかできなかった僕にも、いまなら出来ることがたくさんある。この目に見えない大波から大切な人たちを守りながら逃げ切る方法を、考え抜いていきたいと思う。
出来ることからひとつずつ、やっていこう。
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というわけで、今日の記事は以上になります。
いろんな意味で世の中は結局「カネ」だと感じる今日この頃です。
では、またあした〜!
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