着飾るのをやめて、すっぴんの #オンラインを楽しもう
元来私は、刺激がだいすきな人間だ。
新しいレストランに出会うのが好き、背伸びした洋服が好き、頑張っている話を聞くのが好き、はじめましての人に会うのが好き。
Google Mapには「行ってみたいお店」がピンしてあるし、1~2週間くらい先まで割と予定が入っているタイプでもある。そのうち3割くらいは新しく知り合った人との食事だったりする。
だから、緊急事態宣言が出て家から出ることがほとんどなくなってからは、生活スタイルが大きく変わってしまった。とはいえ仕事も忙しくて、家に引きこもることも好きなタイプでもあったので、ネガティブになることはなかったが、まるで別人のように毎日料理を作ったり、ずっと見たかった90年代名作アニメを再視聴したりして、毎日を過ごしていた。
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けれど唯一、人とプライベートで話す予定としてぽろぽろと入っていたのが、仲のいい友人たちとのオンライン飲み会だ。
というのも、自粛期間に入ってから、昔からの友人たちからのなんでもない連絡がすごく増えたのだ。
「元気?どうしてる?」
「見てこの写真、懐かしくない?」
「オンライン飲みしようよ」
私自身もふいに友人の近況が気になって連絡をとってみたりした。仕事以外のなんでもない会話の返信に半日〜2日ほどかかる私が、だ。いずれの会話も、本当に、なんでもない会話で不思議なくらい盛り上がった。
大学時代の親友グループ、東京に来て知り合った友人たち、家族、会社の同期。
ある時は、京都の実家とつながったり、大阪や神戸に住む同級生の自宅につながったり、アイルランドにいる同期につながったりした。みんな懐かしい顔で、変わらなくて、オンラインで集まっているということだけでうっすらと嬉しい気持ちになった。
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慣れ親しんだものに、気を配れなくなるのはどうしてだろう。
大事だとわかっているのに、嘘じゃないのに、「いつでも会えるから」「いつでも仲良くやれるから」と、声をかけることさえ後回しにしてしまう。
思えば、経済合理性にひっぱられて何もかもが高速化し、沢山のSNSの通知によって細切れになった毎日をよくもあんなに慌ただしく生きていたなあと思う。そんなせわしい日々にまみれて、すっかり"もっと、もっと、前進すること"にばかり気を配っていた。
自粛期間はそんな私にとって、そんな「いつでも仲良くやれる友だち」「どれだけ前進しても変わらない居場所」の大切さを感じる機会だなあと感じる。彼ら彼女らとオンラインで顔を合わせるときはいつもすっぴんだから、「すっぴん友だち」と呼んでもいいかもしれない。
外に出て、毎日新しいことを探していた頃は、「もっと素敵に着飾れる時間、もっと楽しく着飾れる居場所」にばかり視界を専有されていた。もちろんそういう居場所は尊い。けれど、すっぴんの薄すぎる顔と、てろてろになったTシャツで映えないごはんを食べながらビデオ通話上でダラダラと話せるともだちとの時間の愛おしさを、この期間が教えてくれたのは事実だ。
見栄っ張りな私でも感じるのだから、もしかしたらみんなも感じているかもしれないが、"すっぴんな時間"というのはとても良いものである。なんというか、レストランに合わせた服や流行に合わせたメイクをしているときよりも、自分に素直になれる気がする。まあ、すっぴんは偽りようがないのだから、素直にならざるをえないからなのだけれど。
それにしても、文明の利器とはすごいものだ。コロナウイルスは史上最悪に凶悪だけれど、我々も積み重ねてきた知恵を活用して、これまでのどんな非常事態よりも、離れている中でこんなにも"つながっている"。
自粛期間はどうやら、もう少し続くようだ。
やらなきゃいけないこと、のいくつかができない今だからこそ、「ずっと話したかったけど、いつでも話せるから」とか言っていつまでも話さなかった友人たちとはなそう。「いつでもできるから」を言い訳にしていたけれど、やっぱり「話したかった」し、彼らが自分にとってとても大事な存在だと気づくから。