正論だけ言ってればいいと思っているようじゃ、POISON
「君は、物怖じせずに意見を言えるところが素晴らしいよね」
インターンしていた職場で言われたことがある。当時にしてはTwitterのフォロワーが多く、取材もしてもらったりしていた学生の私は、だれかに対して意見を述べることに人よりも慣れていた。
それからも、フラットで自由な会社に入り、1年目から自分の意見を求められる環境に身を置いていた。「ただの『決めてください』というレポートはナンセンス。自分は沢山調べてこういう選択肢があると発見し、その中でコレが良いと思いますがどうですか?と聞いてほしい」という上司の発言をどこかの記事で見かけたことがある。若いからという理由だけで誰かに黙らされた記憶も勿論ない。
"若いうちから、発言を許される"こと自体が羨ましがられるどこか奇妙な世の中で、「自分の意見がないと、仕事は進まない」と学べる会社にいることは私の幸運だと今も思う。
ただ最近思うのが「"はっきり意見を整理して発言できる"だけじゃ、全然不十分だなあ」ということだ。
「正論を言う」だけでは、何も解決しない
よくない雰囲気のチームで、会議中に誰かが「Aさんの今やっている役割が問題です。本来あるべき姿はこうだと思うんですよね」と言い放ったことがある。
「わかる」と私も思った。確かにAさんの役割はプロジェクトの進行において不可解で、効率をさげているところがあった。
静寂が続いて、そのうち会議が終わった。その次の週、またよくない雰囲気でAさんのよくない役割の実行が繰り返されていた。変わったことは、Aさんが、その場にいづらそうにしていることだけ。いずれAさんは会議を休みがちになった。
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これは誰かのケースだけど、私も同じような経験がある。うまくいっていないプロジェクトで「どうしてそうなるの?こうすべきでしょう」と、考えていた正論を言い放つだけ言い放ち、問題を解決しようとして失敗したことが。
しかし、プロジェクトの中での自分の役割が大きくなるごとに思う。「正しい理論を共有する」ことと、「問題を解決しようとする」ことは似ているようで全く違う。必要なアプローチも異なる。
正論で、人は動かない。
Aさんを非難したその人は、Aさんが正しい役割を行いやすいように役割を分解して一歩ずつ振り分けていき、自ら正しい役割へと導くことが必要だったのかもしれない。あの頃正論を言い放った私も、もっと具体例を細かく提示したり、具体的なしくみをつくったり、普段からコミュニケーションをしたりして、正しい姿に軌道修正する方法はいくらでもあったと後悔している。
ただ相手を非難するだけで、解決する行動に手を出さなかったのは、思い返せばただの「怠惰」だった。
「正しそうな論理」の誘惑のはなし
それはもしかしたら、北風と太陽の話に似ているかもしれない。「コートを脱がせたほうが良い」というお題があるときに、"服を脱がせる"という行為に向けて、自分が全力をかけて風を相手に吹きかけてコートを吹き飛ばそうとしても、相手の心に妨げられる。正しいのは、相手がコートを脱ぐように促すことなのだ。それがたとえ、力づくではできなくて、手間がかかったとしても。
真面目なわたしたちは間違いがちなのだ。筆記テストで解答用紙に正しい答えを書くように、正しい論理を相手にぶつければ問題は消え去るはずだと。難易度の低い課題においてはそうして解決することも勿論あるだろう。けれど多くの場合、正論を実現するためには、自分も誰かも行動を起こすことが必要で、その行動を実現するところまで実行しなければ問題は解決しない。
"評論するのは簡単で、実行するのはその数百倍難しい"というのはこういうことなのかもしれないと思ったりもする。「正論を言うこと」は気持ちがいい。だからその快感に酔いしれたくなるけれど、ただ問題が解決しないことに憤って、正論を誰かにぶつけて手や足を動かさない行為は、怠惰であり、"ホンモノの課題解決からの逃げ"なのである。
ホンモノの課題解決は、太陽のようにあたたかい
とはいえ、物事は簡単なことばかりではない。さきほど北風と太陽の話をしたけれど、実際の課題は「コートをいったん脱がせて、違う長袖に着替えさせよう」「靴下だけ履き替えさせよう」「ズボンのほつれに気づかせよう」みたいに複雑な話だったりする。
そんなときには、「じゃあ、一旦最初に太陽さん入ってもらって、その後北風さんからのもう一回下の方の角度から太陽さんいきましょうか」みたいなときもある。あの童話の中で、正解だったのは「太陽」ではなく「適温をつくること」だったのだから。
正論という武器でわたしたちは戦いがちだけれど、大きな敵を目の前にした時、仲間と敵に挑もうとその武器を周りに配っても、その人達がその武器を掲げてくれなければ一緒には戦えない。
あなたの脳内に輝く「正しそうな論理」の誘惑に負けてはならない。それは、仲間にぶつけることではなく、粘り強くだれかと協働してこそ現実に生まれ出て、強大な敵を殴ることができる。
美しい解決策をひとつひとつ、チームに築くことを楽しもう。その先にはきっと、一人では戦えない相手に対峙し、愛する仲間たちと、磨き上げた武器でともに戦うことさえ、楽しくなってしまう未来が待っていると思うのである。
このコラムは #いい感じにはたらくTipsアドベントカレンダー2019 に向けて執筆いたしました。