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先手を打ってあいさつをする

町を行き交う人たちは、みんなマスクをしています。そのため、知っている人とすれ違ってもわからないことがあります。私の娘が、この状況について、つぶやいていました。
「良かった、学校(中学校)卒業してて。先輩とか会ってさぁ、気がつかなくて、あとでなんか言われるじゃん」

大きな声で先輩にあいさつを

娘の中学校では、道で先輩に会ったら大きな声であいさつをするということが伝統になっていました。

私が学生のころもそうでした。私の場合は、中学校だけではなく、高校でも同じようなことが伝統になっていました。私が高校に入学したころは、学校が荒れているころで、怖そうな先輩がたくさんいました。なめ猫がブームになっていたころです。

私は、先輩が怖いのでしっかり大きな声であいさつをしていました。

あいさつされてもあいさつしない

当時、私が納得できなかったのは、後輩があいさつをしても、先輩があいさつをしないことでした。また、それは、先生も同じでした。

先生の中には、あいさつをするとにこやかにあいさつを返してくれる先生がいました。その反面、生徒があいさつをしても一切、反応をしない先生もいました。まだ、先生が竹刀を持って廊下を歩き、黒くて硬い表紙に出席簿を持って歩いていた時代です。竹刀も硬い表紙の出席簿も、生徒を叩くための道具でした。

そんな先輩や教師を見て育った私は、あいさつができる人になろう、と心に誓いました。

おまえヘコヘコするんじゃねよ

私が上級生になると、下級生があいさつをしてくれました。私は、そのつど、「おはようございます」「こんにちは」とあいさつを返していました。また、気がつくと私からもあいさつをしていました

すると、強面の同級生に言いました。「おまえヘコヘコするんじゃねよ、なめられるだろう。」

私は、ヘコヘコしていたわけではありません。ただ、お互いに気持ちよくすごしたいと思っていただけです。また、あいさつを返すと、なめられるのなのかも不思議でした。

生きる術として支援者に合わせる

この現象は、私が社会人になってからもありました。私は障がいのある人が利用する事業所を経営しています。事業所の支援者の中には、利用者に対して自分からあいさつをしない人がいました。自分の立場とか、目上であるとか、そんなことを理由にして、こう言いました。「利用者になめられたらどうするんですか」

利用者は、支援者に対してなめてかかることはありません。ただし、支援者の言動をよく見て、その支援者にあわせた行動をとります。自分ひとりでは生きていけない、支援者に依存しなければいけないことがある、だから、生きる術として支援者に合わせてくれます

利用者が支援者にあわせてくれる、それが良い関係ではありません。また、あいさつは、どっちらか一方からするものでもありません。私は、先手を打ってあいさつをします

今となっては、高校時代の経験が反面教師となり、私の日常に役立っています。

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