E2か、さよなら。
E2か(いつか)、さよなら。と言うタイトルで、
E2系に対するお気持ちを表明する。
みんなが好きだから。
みんなの投稿で改めてその良さに気づく。
杏仁さんと言う新幹線の写真が素敵なフォトグラファーの方が
Twitterで #AlmightySuperexpress_E2 と言うハッシュタグで
E2系新幹線の写真をアーカイブさせていて、興味深く見守っている。
そのタグに影響をだんだんと受け始めている。
E2系はそこまで人生に深い関わりはないが、山形新幹線のE3系が好きな私は、連結相手なので、そこはかとなくE2系が気に入っている。
平成アーリーな車両、車業界で言うところのヤングタイマーな車両は
平成一桁生まれの人間は大体好きだ。
209系0番台、キハ110系、E2系、E3系、500系、701系、207系、223系、東武スペーシアとか。
この時代の車両はどれも、カッコつけるためにデザインされたと言うよりは、機能を求めているうちに、カッコつけないかっこよさが滲み出てしまっているとも言おうか、そんな魅力がある。と個人的に思っている。
私はメカニックオタクではないので、機能とか性能で鉄道を語れないので、
自分の感性で好き好んでいるだけである。思い出とか。
E2系のオールマイティな上越・東北各新幹線での活躍ぶりをもってこのハッシュタグを作られたと思うが、最適な解だと思っている。
幼少期
E2系と私の忘れられない絡みと言うか、思い出は、J51編成の見学をさせてもらったことだ。
私は当時古河に住む小学生で、隣町の栗橋に住む親戚のおばさんの知り合いに新幹線の技術者の方がいて、ご好意で見学させていただいた。その方はたまに、ファステックの写真をくれたりしたこともあった。車で小山の電留線に連れて行ってもらい、E2系の運転台やグリーン車の椅子を体験させてもらった。自慢話みたいで嫌われるかもしれないけど。
制帽を被らせてもらってご満悦そうである。
これ以降、しばらく新幹線とは遠ざかっている。家族旅行で新幹線に乗る機会もないし、学生時代は専ら在来線での移動が主だった。
2014年北陸旅行の帰り
記憶の限りだと、その次のE2系の思い出は、北陸本線の特急はくたかと北越を乗りにいった帰りに、磐越西線を乗り継いで郡山から宇都宮まで乗ったときだ。
2014年のことだった。期せずしてJ51編成だったようだ。
新幹線に感じる個人的なフェチズムがあるとすると、ホームの蛍光灯が、肩のラインにハイライトとして映り込む様子が好きかもしれない。
この旅の模様はこちらのサイトに旅行記的な写真を載せています。
とある年越し旅行
2021年から2022年の年越しに新潟の方に行ってきた。
大晦日に東武線と野岩鉄道、会津鉄道を北上し、会津若松で一泊、
元日に磐越西線で新津に出て、そこから長岡に行き、上越新幹線で帰路についた。
長岡から乗った新幹線はE2系だった。
長岡から節約のために高崎で降りた。TR12と言う車内チャイムが私はとても好きだ。
J63編成も廃車が始まったようだ。
この旅の旅行記はこちらから
I need (the) que.
今年の1月にE129系に乗りに行った。
1月28日と29日に。
E2系には大宮ー高崎間と 浦佐ー長岡間で乗った。
ショートスパンな区間で乗ることは、日常的に新幹線を使う人の気持ちが理解できたのかもしれない。
そしてE2系にはこれ以来乗っていない。
セレンディピティな200系カラー
2022年の6月にJ66編成が初代東北新幹線の200系カラーにリペイントされて登場した。これはかなり胸がワクワクする事件だった。
シームレスな帯の連続性、銀つばの復活
2023年にE3系2000番台が登場時の銀色に塗装されて復活した。E2系とE3系の帯が連続性を持って連結する姿が懐かしく思えた。JR東日本は鉄道ファンを喜ばせるのがうまいが、鉄道ファンだけでなく、沿線の人にも山形新幹線に注目してほしいのだろう。この記事はE2系の話題なのでE2系に話を戻す。
過去を振り返る
未来へ
どことなくE2系の面影を感じる、E7系が北陸新幹線・上越新幹線で走っている。
E7系にE2系の塗装を施した車両が走ればいいなと妄想している。
7の時代を楽しむ。
ご覧いただきありがとうございました。