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夜の無限

 昨夜わたくしに距離にしておよそ40キロメートルを追尾されたクラウンの方、充分に車間距離を取っていたしたまたま方向が同じだけだったのでしたが、なんというかすみませんでした。気になったと思うんですね。あれオプションなのかな趣向を凝らしたテールランプがきれいでした。


 リアデザインから、きっと昼間ちゃんと見たら型式の古い車。高齢者のマークも貼ってあった。しかし減り張りがありつつ安定した運転をされる方で、後ろを走っていて本当に気持ちよかった。周囲の状況をよく観察しているし、判断は的確だった。高齢者ドライバーは熟練ドライバーでもあると思った。運転歴の長さは強い経験なのだ。今日日高齢者の運転は社会不安を呼び起こすものとして語られるし、辞め時というテーマがあるだろう。「いつか」は来るし、客観的なテストが必要である。しかし避けがたく高齢者だらけの時代が到来する。労働の可能性を残す、増やすということをしなければならない。運転はその可能性のひとつであり得るだろうかと考えていた。――きっと、非常に厳しいけれど。


 道路は個性と人生で溢れている。前を走る車に呼吸を合わせると運転者がどんな心理なのか伝わって来て、そこにぴたりと合わせながら一切こちらのストレスにならないとき、共感しながらその人の物語を想像している。ひとり真夜中ドライブしなきゃならない事情しか共通項がない昨夜の伴走者は、他県で偶然みかけた東京ナンバーだった。行楽ではなく、三連休の始まりに、明らかに帰路であるという道順。じゃあ一緒に帰りますか、と独り言ちながら、山中の一本道という孤独なドライブに珍妙な追跡者が出現することに悪いなあとも考えていた。その人にとってみれば、やっとひとりになれた時間かもしれないのだ。信号待ちのたびにルームミラーに私の顔が見えていたはずで、長い道中それがストレスだったか、「お前もこっちかよ」と思うだけだったか。後続車にできるのは、あくまでリスペクトを感じさせる運転を心がけることだけだ。

 「ふふ。ついて来れるか青二才。見ておけこれがカーブの処理だ」とか、向こうさんも楽しんでくれていたならと思って、笑った。


 そのテールランプ、デコラティブでなかなかっすね。古いクラウンいいねえ。長く大事に乗って来たのかな。選ぶ車からして自分とはちがう人種だなと思うけど、同じ道を走ってて、あんたの運転は気持ちいい。おれは今SNSでつながってる人に教えてもらったキース・ウォーレン聴いてんすよ。なかなかいいすよ聴きますか? なんでこんな時間に長距離運転してんの。あ、おれもか。さっきのアパート、あれさ何であんなとこ建ってんのかな。どういう人が何を思って住んでんのかな。どう思います? おれ一瞬、強烈に羨ましくなっちゃった。誰も自分を探し当てられないところで暮らせたらいいのにって思ったんすよ。しがらみ要らねえよ。あんたどうなの。何かあるんだろどうせ。どうせひとりなら、きっぱりそうなりたいと思うことあるか。もう自分がどこに帰ればいいのか分かんないからさ、先導してよ。ああ、とっぷり、夜だねえ。夜はいいよねえ。フロントガラスにワイパーがつけた跡が光を拾うのを、そこにないノイズとして脳で処理しながら前を見る――そこだけが嫌だけどさ、でも雨じゃなくても昼間でもさ、絶え間なくそれを続けてるのが人生じゃないすか。やんなるけどね。もうすぐ東京に入るなあ。あんた無事に帰れよな。おれもそうする。


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