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スーパーで待ち合わせる
昨夜パートナーが電話してきて、まだ起きているなら後でかけ直していいかと言う。スーパーに行きたいからだという。それならおれも行こうかなと答えたときには、鍵やら財布やらの準備を始めていた。同居していないカップルがスーパーで落ちあい、一緒に買い物をしてそれぞれの家に帰るのは、他人からすれば理解できない習慣かもしれない。
でも時々は、日頃何を食べているか感じたい。元気に暮らしているのか感じたい。毎日それが分かる生活を実現したいと思っていた頃もあった。どうしてそうなれないのかと――最近じゃ待ちくたびれた気もする。生まれた子が高校卒業するような時間が過ぎたんだ。そりゃ、お互い年も取るわけだ。
10分後にスーパーに着くと、ちょうどパートナーも着いたところだった。井上雄彦の「リアル」最新刊を渡される。「リアル」に限っては、パートナーが二冊買い、一冊を私に渡してくれるシステムなのだ。こちらの習慣は私にも理解できない。いや合理性がないと感じるだけで理解はしている。二人の間には合理性も理解も必要としない習慣があっていいと、理解している。
レジでの会計を済ませると、商品を袋に詰める私の横にパートナーが並ぶ。商品を選別し、ふたつの袋に分けている様子。詰め終わると、その一方を私に渡して寄越す。私のための総菜などが入れられていた。
こちらも同じように、パートナー用に選んだ商品を分けた袋を差し出す。素焼きのナッツとか、やはり総菜とか。そこには家から持って来た、ユーハイムのクランツも入っている。
「こんなことまでして! この仕打ちには必ずお礼参りを……」
「言い方。言い方。おかしいっすよ。仕打ちじゃなく気持ちね」
こんなことも習慣。小さな習慣を増やしながらやって来たんだなと思う。
法的家族ともめたとき、この人と別れなきゃいけないと思ったんだよな、と顔を見る。それは去年一昨年という話だ。
「早く帰らないと、好きな人から電話かかって来るんですよねえ」
「そいつ、どこのどいつだ!」
そんな冗談で笑って別れるのも習慣。変わらない。
家で冷蔵庫に詰め込み終える頃、パートナーから帰着報告の電話がある。
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そういうわけで今日は昼食に、自分ではあまり買わない総菜を食べた。
「リアル」はまだ読むのをためらっている。次巻が何年後に発売されるか分からないから勿体ないのだ。おれたちが生きてる間に完結するのかな。
夕飯にひとり分のカレーを作りながら、なんだか億劫だった。
夜、電話でお礼を言った。クランツは気に入ったそうだ。よかった。
今日のおれは、パートナーが何を食べたか知っている。今日は。