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電車の発車時刻が見れるアプリ

「もう見上げなくても! お手元で!」(西武線)

 上を向いて歩こうと涙をこらえた時代も今は昔、もう見上げなくてもいいよ。涙も乾いたところで下を見て生きようよ。幸せだからと手を叩いたらハピハラと叩かれて、3歩下がって2歩下がりそうな気分には行き場もない。誰もが下を向いてスマホを見ている。うんうんそこに幸せがあるよね。足元を見つめたらつらいだけ、ならネットで下層を見ればいいじゃない。そんなあなたに「底辺発見アプリ」を――じゃなかった、西武鉄道のアプリをどうぞ。すごいね、「電車の発車時刻が見れる」んだって。夢みたいだね!  
 「電車の発車時刻が見れる」――そんなこと、今まであった? えっ電光掲示板? それってもしかして見上げるやつ?  

この看板が見上げる位置にある事実は、どう受け止めればよいのでしょうか

アプリ大号令と「歩きスマホ」

 広報や広告のため、鉄道会社がアプリを入れさせたいのは分かる。重要なのはどこまでアプリに頼らせるか、だ。スマホで発車時刻表を確認するために乗客の歩きスマホや急な立ち止まり、他人との衝突、無自覚な割り込みが増加しないだろうか。この看板を撮影した所沢駅でも歩きスマホや横入よこはいり(割り込み)をしないようアナウンスしているのを聞いたのだが、スマホアプリの推奨は禁止するそれら行為を助長するものでしかない気がしている。

 ホームや階段におけるスマホ歩きを禁止したいが広報/広告のためには是非アプリは入れさせたい。どこの鉄道会社も同じだろう。そこに疑念の余地はないのだが、時にそうした企業の大正義は公共マナーの徹底という公益より優先されるだろうか。しかしその争点で企業の事情を「利用客の利便」と言い替えれば、傍目には企業の自己矛盾としか思えない採択さえ、充分に射程範囲になるものなのか。

「見上げたくない利用客」像はファクトか

 しかしせめてもの話として「利用客の利便を考えた」というそのプロセスに嘘があってはいけないだろう。「見上げることは無駄だった」「見上げることは苦痛だった」とする打ち出しに嘘はないだろうか。広告は現実感リアリティをプロデュースするものだが、現実リアルを塗り替えてはならない。その一線を踏み越えたとき、人心は不信に覆われていく。構内における電光掲示板その他での「発車時刻や運行状況の告知」が正確で分かりやすければ、利用客はスマホをカバンから取り出し画面に見入る必要はない。スマホで調べたいのは「乗り換え」と「到着時刻」だけではないだろうか。

 「電車の発車時刻は電光掲示板じゃなくスマホで知りたい」という人がどれだけいたのだろうか。そういう声が多かったのなら、かまわない。ただ「発車時刻を知る」というその目的でのみ言えば、私は電光掲示板でよい――もちろんこれは母国語が日本語で健常者であるという立場からのみの発言だけれども。


 まあ、所沢駅でティガデザインの Chabacco 探すか。目的はそっちにあったのだった。タバコじゃないよチャバコだよ。

1番線の隅っこ(信じられないくらい隅っこ)で自販機を発見。ちゃばこだって面白いね!
700円を高いと思うかどうかはあなた次第です。私は高いと感じてます。中身はお茶の粉末です。
うん、まあ、カッコイイ……かな。ティガはな。

 西武線がこれをやっているからには狭山茶なのだろうかと思ったが、どうなのだろう。粉末茶スティック8本入り、700円。しかしそれより、スマホアプリのでかい看板に心をもって行かれるという経験が上回った。西武線、不思議な路線である。駅ホームの立ち食いそばは、「狭山そば」。西武新宿線「所沢」駅か、西武池袋線「清瀬」駅にしかないらしい。立ち食いそば、いいよね。大好きです。ここのも食べてみたい。やっぱ天ぷらそばかなあ。

 ウエスコって何? しかしこれが「狭山そば」の公式サイトらしいです。


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