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どんなラララ(週記:2025/01/04)

note 始めて一年が経過してました、で投稿200回、マジか。そんなラララ。



■ 【note】開設して一年が経ってました

 当初、緊張してたんですよね。総括はするなら別にやるとしてキブン的な話だけするなら、何をすればいいか右も左も(上も下も)わからず不安で、都度「まあ自分は自分でしかないしなー」と立て直しつつ、そろそろと歩みを進めて参りました。そんな感じです。ただまあ本当に記事の内容では、「これアップしていいんだろうか」と悩み続けたのが正直なところです。
 アップ怖いですよね。皆さん果敢に、よくやっておられると思います。

 あ、お世話になってます。(おれ遅えな!)よいお正月でしたか?


■ なかなか自分を出せなかった……あれそうでもないか、

 KP61様のマガジン「BREAK THE BORDER」に「スプリンターカリブ2代目」という記事を追加していただきました。ありがとうございます。

本当に初期の記事で、恐縮しつつ嬉しかったです

 初期の記事で、最初に買ったクルマの話に絡めて、若き日の一家離散、初めてでまだ物慣れなかった交際について書いていました。思えばカミングアウトしてないゲイは別れやすい、という話でもありましたね。もうニ度と会うことはない恋人が乗っていたのと同型同色のクルマを選ぶ――ウブで身もだえしそう。文中で触れたドラマ「ハロー張りネズミ」の主題歌はこちら。

 機会をいただいて読み返すと、おれ「なぜ20~30代と活動に傾倒したか」動機や理由ではなく支柱バックボーンを書いてたんですね。「昨日今日権利に目覚めてピーピー言ってる活動家と見くびるのはいいけど、おれアキレス腱強いよ」というギラギラでもあるし、「おれはゲイだからゲイの人権を言うのではない」という自分のなかにずっとある思いが漏れ出てた。まあ平気な顔でアホ記事も書いてますけど、note ってヘタに関連タグ踏むとヘイトで溢れてるという一面もあるなかでやっているので、たまにお漏らししてますね。


■ アメリカで苗字を変えるなら

オハイオ州でアメリカ人の同性パートナーと結婚されたヨシタカ様「苗字を変えようと(一瞬)思った話」という記事のなかで記事「30年、ふたり。結婚を求める家事審判」をご紹介いただきました。ありがとうございます。

フレッドちゃんの中耳炎がよくなりますように

 こうした機会を得て、さらに小浜耕治さんとパートナーの方、同じような立場の多くのカップルの存在を知る人が増えてくれるだろう。そんな希望をもちました。ありがとうございました。


■ Message In A Bottle

草冠 結太 様の記事「うつやらなんやらで色々あった2024年を七味五悦三会で振り返る」のなかで、ここでの二人の出会いについてスペシャルな言葉をいただきました。感無量です。全く同じ気持ちだからです。

おれ実はお連れ合い様のファンでもあります

 note を始めてのこの一年では、多くの人との出会いがあって。草冠結太さんに対しては、彼のテーマであるDiversity(多様性)、 Equity(公平性)、Inclusion(包括性)という部分で熱意に打たれながら、実は別の要素で共振するものを感じていた。人生が起伏の多い事件だらけの始まりだったこと? 
 現在の社会への向き合い? ――いや、真っ先に浮かぶのはユーモアだ。ユーモア精神の大切さはプリモ・レーヴィを読めば分かる。しかし感極まって涙がこぼれた次の一行でプッと吹き出してしまう体験をしたいなら「草冠結太」を読めばいいんだと思う。現在ひどく気分が沈んでて、うつかもと思いながらも病院に行くのを躊躇してる人にもぜひ読まれたい。


■ 割と早々に仮面は引っぺがされていた

 もちろんそれには何か行動すべきなのだが、探して歩けば多くの温もりに出会うことができる。それを知らなかったわけではないし、ここでも感じていたけれど、起きた途端に学校が楽しみでワクワクする子のように(いたなあそういうガキ)ここでの交流を楽しみにさせてくれた多くの人たちの存在抜きに、現在は語れない。気にかけ、見守り、隙あらば笑わせようとしてくる人たちのなかで、部分的にでも心を閉じていることは不可能だった。書くものは変わってきただろうか? 「もう何でも見てよ」と、思い始めたことは、確か。日々の思いを書いたり、そのなかでこっちも笑わせたいと思ったり。「週記」は気楽に書きたい、気楽に読まれたいと思って始めた。

たよろよろ図書館 DATABASE 様の記事「128 画像や文節やタイトルに惹かれる 記事さんや noteクリエイターさんや公式ページさん」に、記事「どんなラララ(週記2024/12/28)」をご紹介いただきました。ありがとうございます。

「チンパンジーはパンジーじゃない」と「してやったり顔」で書いたのが自分的ハイライトでした

KP61 様のマガジン「 BASAHIN MULI」に記事「どんなラララ(週記2024/12/28)」を追加していただきました。ありがとうございます。

この記事は雑多な内容なので、どの部分だろうと想像を巡らせています

KP61 様のマガジン「ラーメン・乾麺・カップ麺」に記事「どんなラララ(週記2024/12/28)」を追加していただきました。感謝しております。

こちらに追加していただけたポイントは分かりました。がなるテレビを横目に古い週刊誌とかめくりながら、ふと「あれ、ここの旨いじゃん」と気づいたりしたかった気がする、という部分か、と

 読んで下さる方々の体温を感じ始めるといろいろ書きたくなって、どんどんアップしてしまいそうで、短文で日々の雑事を伝える「週記」はとても便利なスタイルだと感じていた。日々何かあるとメモして、自分にとっても週末の楽しみになった。「今日こんなことあったんだよねえ、それでさ」と書いて、読んでくれる人がいると、日常が素通りするには惜しいものになる。小さな事物が輝き出す。「なんだこれは」と驚いていた。


■ 10の喜びを知ると、やっぱり8じゃ満足できなくなる

月のしずく様のマガジン「創造と想像 (creation & imagination) 」に友達についての記事「おれが磯辺巻きを好きだから」を追加していただきました。

柔らかく開いてみたら、それを喜んでくれる人がいたのだ、と。ありがたいです。

 友達なんて一人か二人いればいいもの。そう思っていたし、それはそうだろう。でも「来月そっち行くんですよねえ」と言えば、会おうよって言ってくれるのかな、なんて交流のなかで感じ始めた。書くのが好きな仲間同志という意味でも、「お互いに精神的支柱になれたら」なんて欲も出て来る。なんだこれは。
 長い月日を共に(という気持ちで)過ごしてきた一人の親友について書きながら、多くの人たちとの間にも始まった、これからの歳月を思っていた。

 おれのことだから、空回りすることも、多々あるけど。

耀興様のマガジン「気になるnoteをまとめてみました」に、記事「こういうの出版しろよなマジで。と思う」を追加していただけました。ありがとうございます。

セミ採り名人さんのことを書いた記事でした。

 世間じゃ「毎年4冊コンスタントに出版できれば食っていける」なんて言うけど、できるわけがない。そういうことができる(かつ)購買層を持ってる「完成された特別な人」に、いかにも売れそうな原稿を書かせることを続けたら、出版はどうなるんだっていう、本当に読みたくなる本が作れるのかっていうジリジリがあった。いや、それだってあれだって本だよ、何だってね。でも読まれるべき物語に出会うと、ジリジリする。――いつかセミ採りさんの本が出版されたら嬉しいなあ、「こういうの読みたいのに」って思ったわけですよね、おれは。

 書く側だって、「作家と呼ばれたいのか作家になりたいのかのちがい」は自問すべきだ。自分はどっちなのかって。フルタイムで働きながら書いてさ、手も入れられなくて、悔しいよね。泣くほど悔しい。結果、損してたりね。でもスティーブン・キングだって、仕事の合間にキッチンのテーブルでコツコツ書き続けたんよ。ゴミ箱に突っ込んだ原稿を拾い上げた妻が、「これには【何か】があるわ」と言った、それが「キャリー」だった。


■ おれが評論家じゃないことくらい、誰でも分かる

 映画を観ても小説を読んでも、おれから出て来る感想なんて「よかったあ」くらいなもんで。エクリチュールについて語りますか。やめときますね。何ズムですか。分かりませんね。もちろんアフォリズムを知らなければバカリズムという命名が理解できないわけではあるけど、ちょっと待って、おれ今たゆたってんの。おれはいつも「作品」の前で言葉も失って、作り手の熱にただ打たれてる。ああいいなあ、すげえなあ、カッコいいよって。「この手法がさ」とか教えてもらえば「あ、そなの? すげー」ってなるけど、それだけ。そんなで、いいすか。

たよろよろ図書館 DATABASE 様の記事「132 画像や文節やタイトルに惹かれる 記事さんや noteクリエイターさんや公式ページさん」で、記事「映画 アングリー・スクワッド」をご紹介いただきました。お礼を申し上げます。

いつも本当にありがとうございます

 でもこの映画では、主人公ふたりがついに手放せなかったものをただ思って、祝福する気持ちが自分にあることを確認して終わる、それでいいんだと思う。

耀興様のマガジン「気になるnoteをまとめてみました」でも同記事「映画 アングリー・スクワッド」を追加して下さいました。感謝しております。

嬉しいです。本当にありがとうございました

 この「アングリー・スクワッド」は元日に観て。それというのも急遽、元日の予定がガラ空きになってチャンスだったからなんですね。しかしその二日前にやはり騙し合いの映画「レザボア・ドッグス」について書いたばかりだったので、「あ、ヤバい被った!」って焦りました。

たよろよろ図書館 DATABASE 様の記事「130 画像や文節やタイトルに惹かれる 記事さんや noteクリエイターさんや公式ページさん」のなかで、記事「ヤバい時は話し続けろ。小話をやるか?」をご紹介いただきました。ありがとうございます。心から感謝しております。

「おかわりいただけるだろうか」と小ボケ入れたんでした

 記事のタイトルは一行(18字かな?)で収めたいと思っていて、その変なこだわりのせいでいつも苦労している。フォントのサイズ変えられたらいいのにね。この回も、タイトルで苦労してました。

KP61様のマガジン「上映・配信・放送・VHS・LD・VHD」でも、同記事「ヤバい時は話し続けろ。小話をやるか?」という記事を追加していただきました。本当にありがとうございます。

この映画は VHS で観たのが最初だったので、このマガジンにあることが嬉しいです

 思えば、この「レザボア・ドッグス」も信念や自分の性質を失わなかったふたりの物語であったのでした。結局そういう映画が好きなのかも。


 本当に沢山、マガジンへの追加や記事によるご紹介をしていただいた週でした。「スキ」やコメントにも支えられておりました。ご厚情に感謝しております。ありがとうございました。

■ とはいえ2024。そして2025。

 そういえば私生活では、2024年はあまりにも多くのものを未練なく捨ててみせた一年だった。ルーツにせよ人にせよ、一顧だにせず。人生に一度二度あるかどうかのような決断を迫られ、あっさりと。おれを幼少時から知っている者たちにはそうした冷淡が意外だったのではないだろうか。でも自分にとっては当たり前のことだった。おれ優しいわけじゃないんだよな。そして「優しさ」自体を人は誤解してるんだよな。

個人的な回想なんで、皆様には何のこっちゃです。それで間違ってないです

 12月はこの下の記事を何度も何度も読み返していた。よく分かる、と思いながら。おれはきっとまた何でも/何度でも捨てるだろう、と思いながら。

 そう、そういうものなら。「変化は怖くない」、確かに。「どんどん流れて行こう」――確かに。この方のために、変化を祈った。




 2025年、おれはどうしようか。笑顔の練習はします。

このパジャマ寝よだれついてたからカメラで隠したんすよwww

※ これは土曜日にアップしたのですが、時差で遅れました。すみません。


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