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「とりあえず腐す」のやめないですか
おれって毎日プリプリ怒ってるじゃないですか。でも何に怒ってるかってモゴモゴ言っててわかんないから、「あ、また顔むくんでる」とか、そんな感想しか持てないじゃないですか。おれが怒ってるのって大体2パターンで、「また誰かの悪口ネットで書いてる奴がいる。ヘタクソめ。もっとちゃんと息の根とめろや」というやつと、「あーまたどっかのバカが家庭菜園の害虫駆除する程度のことで世界を焼き払ってんだけど何なの」という2パターン。今日は後者の「腐すのはいいんだけど(よくはないが)大事なものまで燃やすのやめろ」というやつです。
今日のお題はこれです。下のやつです。
「あの人、安全欲求強くてみっともないよね」
あ、まちがえたコレ「承認欲求」で言うやつだ。どっかのマズ郎って奴がヒトには五大欲求があると提唱したのが、下位から順に「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」で、のちに「自己超越欲求が頂点だわメンゴwww」と言ったわけだが、「六大欲求」は六大学野球の言い間違いだと思われてスルーされ「五大欲求」とされている。マズ郎どんまい。
ヒトには生命維持に欠かせない「食べる」「寝る」「着る」「息する」「飲む」があるよね。いや確かに着なくても死なないけど全裸のおっさんにチュールくれる奴なんかいないのはRYOJIって奴が実験して証明されたから。
ヒトはある程度「健康」であり「安全」が確保されていることが安心につながるんだよね。いつボコられるかわからないとか、いつお金が尽きるか分からないとか、常に心が脅かされている状態って先を考えられないじゃん。
これ「所属と愛の欲求」とも言うけどさ、ヒトは群れを作る生き物。誰かとのつながりを求めるし「ここに帰属している」という何かが欲しくなる。集団を作る、家族を作る、友達を作る行動はこの欲求で説明できるんだよね。
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より高次なレベルに自分の能力を高めたいっていう気持ち、尊いよね。これも大事な欲求なんだ。目標を達成したいというのもそうだね。ここまでの低次/下位にある欲求と並行して、あるいはそれらが満たされた後に、ヒトは思うのよ。その環境から先を見て、「より良い自分でありたい」って。
「自我を超越して他者を幸福にしたい」「より良い社会になればいい」「社会全体の利益とは何だろう」と考え始めるのもヒトだよ。これも自然に発生する欲求なんだ。でも「出過ぎた杭」「足並みが揃えられない人」「自分がエラいと思ってんのか」と叩かれ足を引っ張られるのが日本社会だったヨ。
こうした五大欲求のひとつであるところの「承認欲求」の扱いについて観察していて分かるのは、以前は「目立ちたがり屋さん」「構ってちゃん」と言われていたような類型の方が現在ではこの用語をもって説明されているということだ。「何でも度が過ぎれば病気」であって「もちろん程度問題」なのだが、基本的な欲求であるところのものを、それが悪しきものであるかのように印象付けられるのは、後がやりづらい。個人面で言えば、おれこの「承認欲求」と裾野を同じくする(頂も同じくしてる)セルフ・エスティームが重要なテーマなんだよね。自分を尊重すべき存在と認めることは、やっぱり生きる上で獲得し直さなければならないものだったし、世の中のことを学ぶうちに自然と生じた欲求でもあったわけよ。プラス性の健康テーマでも性感染症予防施策でもトップで大事な考えだから、ほぼ仕事でもあったんよ。
それをよ。それがよ。それがなあ。
どこかの似非インテリが単に他人を腐すのにさえ素敵ワード使いたくなっちゃって言い出したんだろうけど(おれと腐し勝負しようぜ)、そういうこと多いけど、「承認欲求」それ自体は成長に必要なものでさえあるかもしれなくて、少なくともココロの大事な部分が育ち、その上に段階的に育つものもあるとすれば、たかが「目立ちたがり屋さん」を腐す程度の目的で使う言葉ではないかも、と思ってる。おれ含め、SNSなんかで何らか発信している人は「承認欲求」が育った人だし、注目されなければガッカリもするだろう。でもそれ自体はきっと悪じゃなくて、何に転じてゆくかなんよ。目標設定がしっかりあれば、自分を高めていく動力として働くわけよな。多分。
つまりどーゆーことかっていうと
「あの子ってさ、バンジー怖いアピとか強めだよね」
「わかる! 安全欲求モンスターってカンジだよね。うざ」
って感じの(正中ではない)使い方をしてる現在だと思うんすよね。
でもねバンジージャンプなら茨城県。湖面から100メートルの高さだよ!
note なんかやってると、「こんな記事を書くことに意味があるのか?」「こんなの誰が読むんだ?」と自問することも多くて。まるで自分のみっともない欲望であるかのように、恥ずかしくなったりな。でも他者目線でみれば、誰かの日々の記録に「あああの人今日も元気だ」といつしかホッとしていたりもする。それで「おれも仕事行くか」とかね。だから続けて欲しいと誰かに対して思うなら、それと同じ言葉を自分にもかけることがさ、―― note 運営会社の収益につながっているんじゃない?
マジすみません、ふざけました。ごめんなさいそういう病なんです。
でもなんでそういう「強め」類型の人って嫌われるんだっけ。
それとは真逆のさ、あの、マンガで「超絶美少女が自分の可愛さに気づかない設定」ってあったじゃん(今でもあるのか?)。「なんで男子は全員(RYOJI以外)告白してくるのかな……いつもビックリして泣いちゃうんだ……どうしてなの? みんなの方が可愛いのに」みたいな。ああいうのが日本人の思う美徳なのか? 「カワイイなんて自分では思ってないんですけどー、ゴミ虫から石油王まで私に夢中なんです。どうしてなのかなっ☆」みたいな。「RYOJIは親友扱いにして聖人設定入れとくかめんどくせえな野郎が野郎追いかけてどーすんだよ」みたいな。「みんなどうして? RYOJI君だって人間なんだよ! アレでも人間なんだよっ!」みたいな。……あれ書いてるうちに好きになってきたな。それくらい黒いトコ出してくれれば、好きです。分厚いアクリル板越しに観察していたいです。「はーこっち毎日スポットライト浴びてて疲れんだよな」って首をバキバキ鳴らしていてもらいたい。何が言いたいんだっけ。「三方六、うまいけど小さくない?」ってことのほかに言いたいのは……
「権利をもとめて立つ」みたいなこともさんざ揶揄され腐されてるけどさ、大事なことだし、後から誰もそれができなくなるような貶め方はしない方がいい。それと同じで、人の根源にあって、本来は人生を豊かにする性質であるところのものを、「クソどうでもいい誰かを揶揄するために」使ってしまうのはきっとよくないね。……と、そういうことでした。
おれ「叩くな」とは言わないんだよね。割とね。