原体験ランキングTOP3
「全ての人々にキッカケを与え続ける」
なんかカッコよくて耳障りのええフレーズやな、と自分でも思います。
けど、これがこの1年くらいずっと頭にあります。これをオレの人生で描いて生きたい、実現したいと思ってから、良い流ればかりきているように感じます。
こう考えるに至った経緯とか語り出したらほんま三日三晩喋れます。
だから、今回はこれに至るデカ原体験3つ紹介しますね。
3位:本田圭佑のプロフェッショナル仕事の流儀(小4)
「なんだこの人。」本田選手に対する第一印象。
外見めっちゃ派手だし、W杯優勝とか言うてるけど絶対無理やん。
現実見ようや。
父親から「公務員はいいぞ、何より安泰やからな」と言われていた小4だったため、夢も希望もない現実的な視点から、彼を変な人認定していた。
けれど、南アフリカW杯での初戦ゴールを皮切りに、無回転FKも決める姿を見て、「こいつ半端ない。カッコ良すぎる。ビックマウスやけどめちゃくちゃ結果残すやん!!!」となった。
その後に兄の録画していた、彼のプロフェッショナル仕事の流儀を見て、
「成功にとらわれるな、成長にとらわれろ」「オレならできるって何度も言い聞かせてました」といった本田語録にビビビっと来るものを感じ、鳥肌がたったことを覚えている。
この時に初めて、夢・目標を持つ、チャレンジする、ということを真剣に考えたのではないかなと思う。
サッカーも勉強も上には上がいて限りないなあと思っていた当時、それをより理解しているはずの大人が、周りに批判されながら笑われながら、こんなに大真面目にデカい夢語っている姿が、輝かしく見えた。
「自分もこんなこと言える大人になりたい」
漠然と思った。
2位:高校受験合格(中3)
中学校に入ってからは、完全に本田選手を崇拝していた。
ブラジルW杯行きを決めるど真ん中PKのおかげで、彼のインタビュー動画を見ながら筋トレしていたし、思春期特有の病である中二病にもかかっており、言動をマネるという末期症状にまで発展していた。
そんな感じで中3になり高校受験を考える時になった。
自分のサッカーの実力と将来歩みたい進路を考えた上で、勉強中心の進路選択をしようと決めた。
最初の志望校は、県内でそこそこ頭が良くて・サッカーは真面目にやっているが別に強くはない。そんな中途半端な高校だった。
そのまま普通に勉強していたらいけるっしょ、くらいの高校だったため、毎日怠惰な生活を送っていた。
そして、夏が明けて秋に近づいた時、「お前の行こうとしている高校のサッカー部クソやぞ!」と高校選手権の予選を観戦しに行っていた友達から聞いた。試合会場に私服で来るレベルで、態度から試合内容までボロカスだったらしい。サッカーが好きだったから、真面目に取り組みたい、と考える私にとって最悪の環境だった。
そんな時に、県で1番頭の良い高校に、当時県内の中体連で活躍していた選手を中心にクラブチームの選手も集まる、という話を聞いた。
その高校は県リーグ1部に所属していて、僕が入学する数年前に選手権予選で準優勝していたそこそこサッカーの強い高校でもあった。
担任に志望校を↑のところに変えたい、と伝えると、「絶対無理やで」と強烈なカウンターを食らった。
しかし、ここで本田圭佑メンタルが発揮されて、「オレならできる」精神に包まれました。
ちゃんとサッカーも勉強もしたい気持ちが強かったこともあり、
結果、そこから猛烈に追い上げてなんとか合格することができた。
この時の過程を見ていた先生方からは、「マジでめちゃくちゃ頑張ってんなあ」と言われ、担任からは「正直、入試前日に話した時に受かる思ってたで」と手のひらを返され、友達・家族からも「よくやったなあ」「行ける思ってなかったわ」、と色んな祝い方をされた。
小4から蓄積されてきた本田メンタルがなければ、この高校合格はなかったと思う。
自分の行動やマインドが変わるきっかけを他人からもらい、それが結果に繋がったことを実感した、初めての大きな経験だった。
1位:前十字靭帯2回断裂(高2高3)
高2の10月(選手権予選直前)に左足の前十字靭帯を断裂した。
高3の総体で負けた瞬間、大学受験ライフに移行する母校だったため、高2の冬を前に全治半年〜1年の怪我を負う=引退勧告だった。
末光少年は考えた。
高校選手権の試合に1回も出ずに高校サッカー引退したら、
「死ぬまで後悔するな」
そう思い、担任・顧問・学年主任の3人に来年(高3)の冬までサッカー続けさせてくれと直談判。
普通の高校サッカー部にとって高3選手権まで続けることは普通だが、全ての部活動が高3の総体で引退する母校にとっては異例のこと。過去を遡っても数えられるほどしかいなかったそうだ。
浪人を覚悟した上でやり切れよ、
サッカーだけして終わってから勉強するから、とかなしやからな。
と念を押されて、なんとか部活続行。
同級生が総体を終えて引退してからは、毎日放課後に3年生が自習室や予備校に足を向ける中、1人だけ部室棟に向かった。練習後、部室でおにぎりを食べながら「おれだけ何してるんやろ」と思うこともあったが、
本田選手をはじめとするサッカー選手やアスリートの動画、アーティストの楽曲、などから、勉強・部活・リハビリの合間に力をもらってなんとか復帰できた。
待ちに待った選手権。
モチベMAXで、やってやるっていう気持ちしかなかった。
しかし、初戦の前半5分で相手とクロスプレー。
右膝から、前年度も聞いた「プチっ」という音が聞こえて終わりました。
そこからは意気消沈し、生きてるけど生きてない、みたいな抜け殻みたいな毎日を送っていました。
この時ばかりはお得意の本田圭佑メンタルも発揮できず、
鬱に近い状態だったのではないかと思い返す。
怪我したからといって、人生続くし、受験目前だし、センター試験受けなければならない=勉強しなくちゃ。って感じだったけど、
意外とオカンが冷静で、「ちょっとゆっくりしたらえんとちゃう、映画でも見たら」と促された。
そこで、前から興味のあったワイルドスピード全シリーズをTSUTAYAで借りて5日で全て見た。
ワイルドスピードの大筋として、仲間と協力して車乗って家族・世界守る、っていう世界観(めちゃくちゃ説明雑)で、仲間=ファミリーって考え方が強調されている作品です。
当時メンタルボロボロでやられてた僕にとって、行き場のないグチを聞いてくれたり、ただ一緒に時間を共にしてくれた家族をはじめ友達、当時の仲の良くて好きだった女の子とかの存在はめちゃくちゃデカかった。
「1番大切なのは仲間の存在だ。 ここにいる、今ここに。ファミリーに乾杯。」
個人的に、MEGA MAXの終盤で放たれた、このドムの言葉がぶっ刺さった。
2度目の怪我から、思ったよりも早く立ち直れたのは、紛れもなく環境のおかげだと考える。
周りの人々の支えのおかげで、サッカーの次にあった、勉強=大学入るっていう目標を再認識でき、怪我か数週間で徐々に勉強にも力を割けるようになった。
環境は、自身を取り囲むすべての人々によって形成される、と考える。
良い影響も悪い影響も全部ひっくるめて、他人から受けるパワーが絶大なものだと再認識できた。
1人ではなんもできん
年齢が二十歳を超えて、新しいことを学んで自分の無力さを痛感するたび思ってきたことが、最近自分なりに言葉できた気がします。
「自分1人の力だけでは何もできん」
個人競技の最高峰?とも言えるフルマラソン走り切って改めてそう思いました。たくさんの人に助けられてここまで大きなれたんやなあと、恥ずかしながらも22歳で気づくことができました。
そんな環境に恵まれたことに感謝すると同時に、自分もそんな環境を提供する側に回りたい、というエゴを抱えています。
誰かのきっかけでありたいし、その気づきを与える場や機会を提供できる人間になりたい。そう強く思います
これから
自分の好き(サッカー・スポーツ・HIPHOP・音楽・お肉・ごはん)を通してキッカケ届けまくることができれば最高やなと思います。
で、このきっかけ与える、みたいなことしたい人ってめっちゃ多いんっすよね。
おれサッカー好きすぎるんですけど、それ公言していたら、〇〇好き度が高すぎる方々に最近会うことが多くて。
韓流とかアイドルとか、やっぱみんな自分の好き押し付けたいし、それで誰かに笑顔になって欲しい、何かのきっかけになって欲しいって人おるんよなあ。
そんな人たち集めて将来なんかおもろいことできたらな、と漠然と思ってることだけ覚えてもらると嬉しいです。。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?