料理人≠料理が上手

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美味しいものが作れる人は料理人であるべきだと思うが、私は料理が上手いから、出来るからと言って料理人の適性があるとは到底思えない。
寧ろ私が見てきた世間一般に言う料理人の肩書を持つ人たちの中で料理人としての適性がある人は皆無だったように思える。
こと料理人の世界において「美味しいものを作れる」というのは絶対的な戦闘力なので、そこが秀でた人達がヒエラルキーの上部に立ちがちなのだが、美味しさに特化するためになりふり構わなかったおかげである部分が致命的に欠落しているような気がしている。

レストラン勤務者のことを「料理人」という機会が多いが、一般には「料理をする人。料理を|業≪なりわい≫にする人」(引用 https://kotobank.jp/word/%E6%96%99%E7%90%86%E4%BA%BA-659625 )のこと。しかしここでは「料理活動において収入を得る人」を全て「料理人」と呼びたいと思う。総菜屋もパン屋もケーキ屋も民宿も料理人(の分人を持つと言ってもいい)。みんな仲間ということにする。

話が少し逸れたが、前述の「その部分」というのは所謂「算数力」である。所謂と書いたのは「本っ当はもっと基礎的なところだけれど、算数力と呼ぶ以外にこれ以上どのように噛み砕く方法がある!?」と思っているから。論理的思考力や分析力などはもちろん欲しいけれど「売り上げが少ないなら、営業時間を延ばせばいいじゃない」などと現代人らしからぬ言動をする奴らにどう反論したらいい。あくまでこれは私の予想なのだが、奴らは絶対タイムリープしている。18世紀くらいのフランスあたりから来たに違いない。

かくいう私も「お盆休み(定休含め三連休)を作るために二週間、普段やっていないランチ営業をしよう!」などという無茶苦茶な計算式にぶち込まれたことがある。特に後の一週間は人件費を上げずに(バイトなし、サービス早出)という注釈も入っていた。誤解を招かぬよう言うが、これは大変さを嘆いているのではない。その式大丈夫?という話である。結局ほぼ(ゼロよりキツイ)ノーゲストだったような記憶がうっすらある。

閑話休題。何かを美味しく作れるなんてことはギフトみたいなもので、まあ最悪出来なくても生きていける。料理人としての価値はそこではない。でもその活動でお金を得て自身を含めた労働者を養ったり、誰かを豊かにする料理を作る(食べ手だけではなく生産者など諸々)、などという目的があるのならば、計算をしなければならない。

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