2024年8月16日の見解(2024年8月17日の追記あり。更に2024年8月18日の追記あり)

岡本真帆のことを考えていたら買うべき豚肉を買い忘れたので見解をまとめます。なお、見解なので、すべて個人的な意見です。


■概要

岡本真帆の<平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ>という短歌から始まる、「<ごらんよ〇〇これが〇〇だよ>+画像」というミーム化したポストを、シャウエッセン(日本ハム株式会社)およびマクドナルドという大企業のx公式アカウントが、岡本真帆に断りなくポスト、それに対して岡本真帆が複雑な心境を漏らした2024年8月16日……。

■個人的な最初の印象(初動の雑感)

■大局的な状況判断

SNS上に散見される<ごらんよ〇〇これが〇〇だよ>+画像、の使用方法に関しては岡本真帆由来であることは、ある文脈のなかにいる人には明らかなことで、ここは絶対に否定できない(おれもその文脈の人として証言できる)。

→柊木快維のこの見解にとりあえず同意。

・岡本真帆の文脈をわかっている人の人数の規模は不明。少なくとも岡本真帆のxのフォロワー数3.6万人以上は確実。プラス派生して数十万人の規模なんだろうか。

今回の件をもって、本ミームがその文脈にいた人よりももっと外側の層までリーチし出した、と見ていいんじゃないか。

→外側の層から見たときには、栗原裕一郎のこの判断がいちばん良識的かつ無難な感じがする。

■個人的すぎる見解、企業サイドについて

・企業の名前で言葉を発するのはそもそもあんまりよくない。企業の広告アカウントだとしても、個人の名前で言葉を発する世界が良いと思う。言葉には個人で責任を負ったほうがいい。

・ミームをイージーに使う、というのは広告をする人間(言葉を扱う人間)としての矜持がない気がするけれど、どうか。あと、商業目的で言葉を利用すること(お金が絡むところで言葉をつかうということ)に対する繊細さが欠けている気がする(ここらへんは、宣伝をする人間の不文律みたいなのありそうだけどな)。

・結果的に、当該企業のイメージが多かれ少なかれ悪くなっているように見えるので、なんにせよ普通に気をつけたほうがよさそう。「宣伝効果<悪評」だったら意味ないぞ。

・「個人(の領分が大きそうな)ミームを企業がつかう」という、力関係に差がありすぎる構造になると企業側の非が大きくなりそう(こういうときに、企業側が匿名で発信しているのがあんまりよくないと思っちゃうな)。

■もっと個人的すぎる見解、岡本真帆サイドについて

・今回の岡本真帆の感情の吐露はもっともなものだと思う。

・そのうえで、ここまでくるともう既に言葉(ないしミーム)がある種の意思をもって独り立ちしたような状態になったように思えるので、これ以上の何かを主張するのは難しいんじゃないか、という気がする。岡本真帆が親で言葉(ないしミーム)が子だとして、もう子離れする段階に入った、みたいなイメージ。


■ツイッターもといxの過去ツイートを検索したところの印象(調査の時間)

・「(ほら)見てごらん、これが〇〇だよ」は2010年くらいにすでに散見。統一感がなくて起源がよくわからない(起源はないのかもしれない)。

→例えば、でテキトーに抽出したツイートです。今後のツイートの引用も適当です。引用されていやなひとは連絡ください。

・2013-2014年あたりから「ごらん、これが〇〇だよ」の言い方に少しずつ統一感が出てくる印象。〇〇にやや長めの言葉が入って、わりと自嘲するようなものが多い。

・以降、現在まで「ごらん、これが〇〇だよ」はかなりたくさん見られる(ソシャゲのスクショとセットで自虐的なことをいう、というのがひとつのトレンドっぽく見えるが何由来かよくわからない)。

→上が2017年、下が2024年8月1日

・対して「ごらん〇〇、これが〇〇だよ」はかなり少数派で、キャラのぬいぐるみと一緒に撮った写真と一緒にアップされるものもあるが、数としてはそこまでは多くはない印象(別のSNSだともっと多い、とか、文言が微妙に違って検索にひっかからない、とかなのかもしれない)

・「ごらんよ〇〇これが〇〇だよ」というツイート(「物+自然風景」という取り合わせの画像を伴うを含む)については『水上バス浅草行き』の発売以降(2022年3月下旬以降)に明らかに増えている(直後に同歌集を春の風景と一緒に撮影した画像とともに「ごらんよ歌集これが春だよ」とツイートするのがひとつの王道として流行った、っぽい)。

以降の「物+自然風景」という取り合わせの画像とセットで挙げられる「ごらんよ〇〇これが〇〇だよ」は、かなりわかりやすく統一感がある印象

・というところで、今回の企業のポストについては、物に風景を見せる感じも、画像の感じも、岡本真帆由来のものに見える

■2024年8月17日の追記

・上記の検索について偏りあり、との指摘あり。

・検索について、8月16日の段階では、x上で「ごらんよ これが だよ(+期間設定)」から検索を開始。情報足りてない気がしたので、加えて「ごらん これが だよ(+期間設定)」で、ばーっと見ていった感じでした。

ご指摘にそって「ごらん だよ(+期間設定)」で検索した感じ、たしかにキャラのぬいぐるみ、アクリルスタンド関係はちょっとだけ増える印象

・「ごらん だよ」の検索結果について、話題のツイートorメディア(画像)での検索だと、思ったよりは傾向に沿ったツイートが出てくるな、という印象なんですが、単純に「ごらんよ だよ」の文言を時系列で追っちゃうと関係ないツイートが多すぎて、検索性が悪すぎるな、と思いました。

・画像+「ぬいぐるみorアクリルスタンドに景色を見ることを促すセリフ」というミームについては、この検索で数が増えるので、ミームとしては確かに界隈にあったんだろうな、という印象。対して、このときの文言についてはバリエーションが多すぎて、構文としては統一感がそんなにないな、と思っちゃいます。

・ぬいぐるみ界隈のミームについては、画像が先行して強くあって、そこに「キャラに見ることを促すセリフ」が付け加えられていて、その代表格が「ごらん、だよ」だと想像します。

・ぬい界隈のやつについては、セリフのバリエーションがそこそこ種類があるような気がして、「ごらん」がキーワードっぽいとは思うんですが、構文と呼ぶにはちょっとだけ弱いかな、という印象。岡本真帆による「ごらんよ〇〇これが〇〇だよ」の構文の登場で、検索性が高まった、みたいな判断が無難な気がするが。

■最終的な雑感

■そして、最終的に思ったところ

・検索してみた感じ、ツイッター上では『水上バス浅草行き』の発売以降に「ごらんよ〇〇これが〇〇だよ」+画像のツイートが増えているので、岡本真帆がその構文の流行るきっかけであるというのは事実でよさそう。

・「ごらん、これが〇〇だよ」から「ごらんよビールこれが夏だよ」に持っていったのは明らかに岡本真帆のクリエイターとしての力だと思う。

今回は、構文の独自性の問題というよりは、岡本真帆を筆頭にみんなでつくったムーブメントに対して、企業が広告目的でフリーライドしたところがポイントに見えるので、岡本個人がなんらかの権利の主張するのは難しい気がする(ムーブメントそのものに岡本の権利はない)。

・対して、そのムーブメントをつくったひとりひとりが、今回のポストをした企業に対して不信感を抱くのはまっとうな反応だと思う(そもそも、岡本の最初の吐露については、ここの個人個人の代弁をした側面が大きいと思う)。

この構文が流行るきっかけをつくった人として岡本に対して、企業サイドがリスペクトを払う必要があると思う(言葉を扱う者として)。少なくとも今回の騒ぎで企業から岡本になんのアクションもないとすれば、リスペクトに欠けると判断せざるを得ない。

■本当に最終的に思ったいちばん悩ましいポイント

・そもそも「<ごらんよ〇〇これが〇〇だよ>というのが岡本真帆の短歌のフレーズである」ということより、「<ごらんよ〇〇これが〇〇だよ>+画像、が岡本真帆自身(ないしは岡本真帆の短歌や歌集)のコマーシャルになっている」という側面のほうが大きい、というのが今回問題の把握をややこしくしている気がする。

・岡本真帆自身が「<ごらんよ〇〇これが〇〇だよ>+画像」のムーブメントを肯定的に扱っていたのは、「みんなで楽しくやれたらいいね」という善意から来るものだったと思うけれど、そのムーブメントが歌集の売り上げやその他の仕事につながっていたことが想像されるので、そもそもそれがコマーシャルであったという側面を否定できない。

みたいなことが、今回、企業がそのムーブメントをオフィシャルにコマーシャルとして採用したことで、遡及的に明らかになったんじゃないか、というのが暫定な結論です。

 * * *

・それで、もしかして、もしかすると、今の短歌ブームっていうのは、<短歌>の流行じゃなくて、<短歌のかたちをした自分自身のコマーシャル>の流行という側面があるのでは……。

 * * *

■2024年8月18日の追記

・検索の仕方に偏りがある旨を指摘くださったあかぎさん(詳細は「2024年8月17日の追記」のところを参照)と、そのあとx上のリプライで何往復かやりとりあり。以下、やりとりを経ての石井の追加見解。

アルゴリズム的に属している集団によって検索結果が変わる可能性がある、というご指摘があって、その側面はあるかもな、と思いました(xがそのへんをどういじっているか、なんてよくわからんもんな)。

そのうえで、構文の発生数等の精査が必要ですよね、という指摘で、それも基本的には同意です(そこからぐーんと労力があがるので、ちょっと他力本願になっちゃうが)。

そんな感じのやりとりをしたうえで「ムーブメントの発生源が岡本真帆である」という自分の見解には大きく変化がなかった。というのが結構考えなくちゃいけないところだな、と思っています(客観的な事実判定ってめちゃくちゃ難しいよね、という当たり前の結論と、自分自身が偏屈になっているところって自分自身だとまったくわからんのだろうな、という怖い結論です)。

・なので普通人のレベルだとこういうときには「あなたの(主観的な)事実があって、わたしの(主観的な)事実がありますよね」という前提のうえで、「こちらからはこういうふうに見えています」ということを提示をするのが限界なのでは?と考えています。

・ということで、「あなたの言ってることは間違っている」みたいなタイプの言説があんまりよくないんじゃないか、という結論に持っていきます。

△「短歌界隈の人が言うほど岡本さんの短歌は知られていない」
→〇「短歌界隈ではないけれど、私は岡本さんの短歌を知らなかった」

△「あなたは岡本さんの短歌を知らないというけれど、少し調べてみればわかるでしょ」
→〇「自分はずっと短歌をやっていて、岡本さんの短歌とセットで<ごらんよ〇〇これが〇〇だよ>が流行るのをリアルタイムで見ていた。〔こんな感じ〕で検索をかけるとたくさん出てきますよ(素敵でしょ)」

・くらいの提示の仕方というか、言い方の配慮)を心がけるところが限界かな、と思います(というか主語が「私」になってない文言はそもそもあんまいり良くなさそう)。関係性がないなかで相手を説得するようなかたちで何かを述べるのはいろいろなもやもやを生むだけかなー、と。

(・自分が害されたと思ったときに、そういう少し棘のある、強めの言い方をついしてしまう、せざるを得なくなってしまう、ということもあるので、ここは難しいところだな、とは思います。)

 * * *

・あかぎさん、フォロー1フォロワー0の謎アカウントで警戒していたけれども、誠実でかつ適切な距離感をとりつつやりとりをしてくださったことに、改めて感謝します。色々な学びがあってよかったです。その他、x上でもリポストさせていただいたコメントを中心に、いろいろと考えさせてもらいました。各位にも感謝を。



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