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航空宇宙博物館(そらはく)

8月14日火曜日、晴れ

各務原といえば空自基地(この前のアニメ『ひそねとまそたん』は岐阜基地が舞台だと気がついたときには、「おお!」とおもったものだった)、もうひとつは航空宇宙博物館なんじゃないかとおもう。

はい。行ってきました航空宇宙博物館。(はじめて)

各務原市由来の航空機の、実物大の ……模型でなくて復元機や実機がひろびろとした館内にガン! ガン! ドカン! と展示されている。(スミソニアンだとか海外の博物館とも協力して展示品を公開しているのだとか)

現在の川崎重工岐阜工場は、もとは川崎造船(兵庫県)の各務原工場(岐阜県)だったそう。
展示されていた年表によるとライト兄弟が動力飛行に成功したのが1903年。そして14年後には各務原に飛行場がつくられ、追うこと4年後の21年に飛行機組み立て工場を設立したのだとか。

ライト兄弟だとかリリエンタールだとか、かつて歴史マンガだとかで読んだ偉人伝のお話が、そして人類が空を飛び回るようになったのが、わずか100年程度の前の話だったとは。(いや、浅学の至りとしか言えないんだけれど……)
そしてライト兄弟から60年そこそこで宇宙に手を伸ばしお隣の衛星、月にまで足跡をつけてくるんだから、なんというか人類の進歩って恐ろしいばかり。

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日本ではじめて動力初飛行に成功したのが、1910年、このハンス・グラーデ単葉機だという。ライト兄弟の快挙から、わずか7年で日本にも空への道が開いたんだ……!

そしてこのサルムソン2A2(復元模型)、陸軍乙式一型偵察機。22年に川崎が第一号機を製造、各務原飛行場で初飛行に成功。
ハンス・グラーデ単葉機からわずか12年でこの進歩。(サルムソンはフランスの機体だそうで、18年に川崎が製造権を取得したのだという)

陸軍からの受注により各務原工場で27年までに300機もの機体が制作され、これが各務原の航空機産業のはじまり。

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ここで初めて知ったのだけれど、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』の主人公船越二郎は零戦の設計者なんだって? そして岐阜では土井武夫が飛燕、陸軍三式戦闘機二型を設計した。

敗戦後、飛行に関する試作・実験・設計・製造すべてが禁止された航空禁止令も、例の特需を生んだお隣の半島の戦争をきっかけに取り下げになった。この飛燕も、二次大戦という戦争があって生まれた機体。
空を飛びたい・おもうままに駆け回りたいという夢があって、でも、その夢を支える資金は人と人が争うことでしか回ってこなかったという現実は、なんとも苦い味を覚えさせる。

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それにしても土井武夫が学んだとして展示されていたテキストがドイツ語と英語。昔の学生さんは、ほんとうに優秀だったんだなあ、とおもう。船越二郎も土井武夫も東大生。ひょっとして航空・宇宙関係の有名人は東大生ばかりなんだろうか?(コンプレックス)

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STOL 飛鳥。

僕が小学生の頃につくられた実験機で、だから折に触れ目にし耳にした。名前にも姿形にも愛着がある。
近所のパン屋さんの息子が記念のまんじゅうを作るんだけれど、それに捺す下絵を描いてくれないかなあ? と持ちかけてきたことを覚えている。(もちろん大喜びで申し出を受け、描いた。その頃から落書きを楽しんでいたことがわかるエピソード)

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ヘリコプターに関しては、すべての説明が BK117 に向いていた。

どの程度かは知らない。でも、父がこの機体を設計したんだと誇らしげに話していた。今回、母が誘ってくれた、そらはく(航空宇宙博物館)に来た目的のひとつでもある。

父は、なんとも言葉にしづらい。いわゆる秀才で、エキセントリックで、基地外のようで、純粋で。多分に僕を、兄を捻じ曲げてしまった人でもあって。そして彼に認められたくて。でも、僕が越えることを許さないままあっさりと死んでしまった。

叶わないことではあるけれどこの機体を前に、父から、なにを苦労し、どんなこだわりをもって仕事をしたのか、聞きたかった。

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航空宇宙博物館という名であるため、宇宙開発関連の展示もある。

これは国際宇宙ステーション ISS の日本の実験棟モジュール「きぼう」の実物大展示。

ねえ、これは『宇宙兄弟』でせりかさんがタンパク質の結晶化に取り組んだところだよね?!

こっちの壁面に固定されたラップトップと、足を固定するペダル! 見覚えがある! ほら!

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各務原を舞台に空から宇宙へ。
かかみがはら航空宇宙博物館、すばらしい展示が楽しめます。
(松本零士が名誉館長だそうですが彼のイマジネーションの仕事を一片も感じさせない、空・宇宙に対するストイックな展示品を集めた博物館でした)

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