護身術教室
8月29日水曜日、晴れ
仕事がひけたあと、御殿山地区に入居するグループ会社向けに開催された、品川警察署署員による護身術教室に参加。
護身術はいざというときに、逃げるための隙をつくる手段。そんな状況に追い込まれることがないよう、まわりに注意を払って危険を避け護身術を使わずに済む行動をとることが大事。
後半の護身術実演と体験は、ふだん縁遠い暮らしをしているので楽しかった。
* * *
仕事を片付けきれず遅れて会場についたところ(よくやってしまう……)、照明を落として啓発用映像を上映中。空席を見つけて座りスクリーンに目をやって、……ズドンと来た。上映していたのは、いかに女性が男性から理不尽に狙われているかというものだった。
帰宅時の女性を後ろから羽交い締めにする男性。ナレーション、人通りの少ない道を歩くことは危険です。人目のある道を選び、自分の身は自分で守りましょう。
エスカレーターで女性の後ろに立つ男性。スマホを取り出しスカートの下に差し入れようとするところでナレーション。
アパートの鍵を開ける女性。被せるようにナレーション、家についたと安心したときが危険…… もうここで目をあげるのが無理になり逸らす。
場面が変わりアパートの壁をよじ登る男性、そして二階の窓からパジャマで眠る女性を映すカメラ。心臓を締めつけられるような痛みを覚える。
気まずいとか、そういうのでなく。
人が人を食い物にする状況、
食い物にされようとしているという感覚、
男が女を襲おうとしているというその映像が、
とにかくダメだった。
たぶんあれでもソフトに漂白してあっただろうとはおもう。
けれどダメだ。
これから壊されようとする日常、
踏みにじられるだろう尊厳と、
続きがありありと浮かんできて、消せない。
体力的にも性別から考えても、僕は壊す側だ。
よくわからない。
でも、これから壊されるという想像が、これに介入できないことが、止めようがないことが、見ていることしかできないことが、そして、この悪趣味を見ることを義務づけられているだろうことが、目を逸らさず最後まで見ることを求められているだろうことが、なにもかもが、心を押しつぶすような重石に感じられる。
戦争映画で、銃弾に撃ち抜かれたり、ぼろ雑巾のようになったり、手足が吹っ飛んだり。そういうのにはほとんど痛みを覚えない。(うわっ、とか言って目を逸らすくらいはする。けれど、心の痛みはさほど覚えない)
死んでしまった体を切り刻むだとかのゴア描写も、平気だ。
でも、男性が女性に向ける暴力は、あるいは大人が子供に向けるものは、ダメだ。とにかく異様に削られる。
* * *
という、護身術教室の経験談。
座学で、吐きそうなめまいを覚えて、席を立ち帰りたくて仕方がなかったという話でした。
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