「食っていく」とは
天川村に来てから一年が経った。
吉野林業界のオーソリティにしてイノベーターでもあらせられる岡橋清隆先生に師事する僥倖に恵まれ、修行に励んできた一年間なわけであるが、先日宴の席でそのお師匠さまから、
林業に未来はない。林業では食っていけない。
即ち、いかに林業をせずに林業をするかを考えなければならない。
という酔余の放言を聞かされ、はてさてどうしたものかとのんべんだらりこしている今日この頃である。
しかしこれは、よくよく考えてみれば自分の賢しらに問題があったと言わざるをえない。
十年で半人前とも言われるこの世界で、数年身を置いたくらいで生計を立て、あわよくば功成し名を遂げてやろうというのが浅慮というほかなかったのである。
こういうときは、将来の身の上を案じてうろたえるよりも、やりたいことを思い切りできる今現在の身の上をありがたく思うべし、というのが先人たちの教えである。
つまり、コツコツと修行に励めばいつかきっと「いいこと」があるのではなく、コツコツと修行に励むというのが今しかできない「いいこと」なのだ。
そのうえで天稟と天運によっては身を立て功成ることも可能なのであろうが、それはまさに「天」が決めることであって、わたしの預かり知るところではない。
そもそも、なぜこんな事態になってしまったのか。
「人生は一回きりのフィールドワークである」
それが私のモットーである。そして、
「人が人として『食っていく』とはどういうことか」
これが私の研究課題である。
だから、ただでさえ「食っていけない」と言われているこの過疎地で、輪をかけて「食っていけない」と言われているこの斜陽産業をそのフィールドとして選ぶことになったのは、当然の帰結だったのかもしれない。
つまるところ、この先たとえ食っていけなくなったとしても、その「食っていけない」という事況そのものが貴重な研究データとなるゆえ、そもそもそれを案じる必要など微塵もなかったのである。
しかし、これまでの人生を思い返せば、「食っていく」を追究しておきながら、「食っていけない」能力ばかりを習得する羽目になっている。
食っていく上でもっとも役に立つだろうと農業経済学を志して大学の門をくぐった矢先、アメフト部に拉致監禁され、気がついたときには相手の膝元に突き刺さる凶悪(だが悪質ではない)タックルを身につけていた。
これではいかん、とにかく英語と情報技術でも学んでおけば間違いなかろうと大学院の門を叩いたが、あろうことかスワヒリ語を覚えるために英語を「1、2のポカン」できれいに忘れ、訳の分からぬうちに現地の鉄工職人たちに混じって溶接技術を修めていた。
こんな調子で、有用有用と嘯きながら、実際には天下無用の道をひた走ってきたのである。
「食っていくとはどういうことか」
それを究めることと当の本人が食っていけるかどうかということは、どうも別の問題のようだ。
さて、いかに研究をせずに研究をするか。
いまは山で道をつくる仕事をしている。
山の道は少しずつ見えてきたが、たずきの道はとんと見えぬ。
だが、究めるというのは、どうなるか「わからないけどやる」のではなく、「わからないからやる」ものである。
山に道をつくるには、決して自然の理に逆らわず、しかしあくまでもそれは作為による道である。
たずきの道もまた、天道と人道のあわいに拓けるのだろう。
おひねりはここやで〜