僕がこうなったのは京都のせい
友達の家を掃除しだすと止まらなくなり冷蔵庫の棚まで取り外して洗ってしまうくせがあることをご連絡いたします。
今日は一風変わって僕が京都にいた時の話です。思い出話みたいになっちゃいますが僕の今を作ったルーツは京都です。地元は佐賀県の唐津ってとこです。
僕は京都の大学を卒業して最初はコーヒー豆などを売る小さな会社に就職しました。そこでは街の喫茶店やレストラン、市の職員が働くとこにコーヒー豆の卸、百貨店の催事出展や会社で喫茶業もやっていたので店内でも働いていました。
(↑こんな娘がいる喫茶店なら入り浸る)
『相手を思った必死さは伝わる』
その喫茶も当時30年以上やっているのでお客さんは地元の人ばっかり。地元が九州のりょーへー少年は京都弁なんて喋れなかったのですが僕の方言がきつかったのもありお客さんと会話がなりたたない。だから僕は京都弁を覚えるためにお客さんに話しかけては京都弁を教えてもらってました。
最初なんてめちゃくちゃな京都弁しゃべって思いっきり笑われてました。いじられまくり(笑)
ただ会話しないと英会話と一緒で方言なんて使えないし見よう見まね、手振り身振りでしゃべりまくったんです。それから働きだして2、3年ぐらいたってまだ京都弁も使いこなしてもないですが僕が急性腸閉塞で入院すると病院にお客さんが何人もお見舞いに来てくれたんです。
ただお見舞いに来てくれるのにいじられまくり。
「お前ナースのケツ見るために入院したやろ?」とか「なんや!死んでへんのか?」
もう言われたい放題。
でもその時の感覚は今でも覚えてますが不思議だったんです。
「そもそもお客さんってお見舞いに行くっけ?」
退院した後も復帰するとすぐお店に来てくれていじられまくるんですが「気にしてくれたんやな」と思ってました。その時に「お客さんを楽しませるためにお客さんに一生懸命の姿を見せると伝わるもんがあるんやなー」と心のどっかで気づいたんだと思います。
『何がなんでも大事な従業員を守れ』
それからいろいろあって会社を辞めるんです。そのあとは1年フリーターをして、あまりフラフラもしてられんな、でもこれと言ってやりたいこともない。その時に学生の時から通っていた中華料理の店のマスターに
「お前フラフラしてるんならうちで働けや」
特にやりたいこともなかったし、何よりその店のマスターのことが大好きだったので「とりあえずやってみよー」と軽い気持ちで料理の世界に入ります。
僕は本当に料理の世界のこと知らなくていざ入ってみると異世界でした。今ではあり得ないですが普通に殴る蹴るが日常茶飯事。中にはマスターにラーメン鉢で殴られて頭から血を流してるのに仕事を普通にしてるとか当たり前でした。
(↑マジでこんな感じww)
給料も朝から夜遅くまで働いて給料14万。
今考えるとよくやってたなぁと思います。
んで環境がオラオラだったので僕もオラオラになっていきます。
後輩やバイトが下手するとそれが女性だろうがお店の中だろうが大声で怒鳴り散らかすようになります。
あっ、僕は一度も手はあげたことはないですよww
ただ僕が後輩やバイトに怒鳴り散らかすと決まってマスターが僕に
「あんまり怒んなや!ビビって仕事できひんようになるぞ。」と言ってきます。
いやいや、マスターはラーメン鉢とかで殴りますやん・・・
そんなめちゃくちゃ恐いマスターもホンマにすごいなぁと今でも尊敬してますが中でも従業員を守ることは命懸けてました。
給料が少ないんで休みの日には飯を食わせてくれたり、「これやるわ」と財布から1万円くれたり。
『店の車を1週間で2台廃車』
僕が一番下手こいた事件。
1件目、配達中に人身事故を起こしてフロントガラスとボンネットが大破。
殺されると思いました。
でもマスターは事故したことはめちゃくちゃ怒られたけど僕と一緒に事故してしまった相手に毎日謝りにいってくれて、僕が「車は弁償します」と言うと「そんなんどうでもエエねん」の一言で終わり。すぐ新車に変わりました。
1週間後の2件目、通勤中の事故で新車を大破。
今でもその時の記憶はありませんが通勤中に電柱に衝突し、さらに横からマイクロバスに突っ込まれたそうです。気づいたら病院のMRIの中でした。何が起きたのか分からず僕の第一声は
「仕事行かなきゃ」
病院の先生に押さえつけられて状況を聞かされます。
殺される。もう2度と仕事できないと本気で思いました。
1日入院することになり冷静になって明日謝罪してすべて弁償してそのまま辞めようと思いました。
退院してそのままお店に行く途中に自分の事故した車を見ました。ぐちゃぐちゃの車。自分でも「よく生きてたな。」と思いました。そしてその車を見て「ホンマにアカンわ」と・・・
顔も見せれる状況じゃないと思いながらもお店につきマスターに謝罪。
「申し訳ないないです!」
マスターは怒鳴り散らかす声で
「お前はなにしとんねん!!!」
僕は働くことはできるわけないと思っていたしそのまま辞めることを伝えよう言葉を言い出そうとする間髪いれずに
「はよ、仕事に入れ!」
「(えっ・・・?)」
その後もマスターは事故のことも車のことも1度も僕に咎めることはありませんでした。
その時「この人のために働こう」と思いました。
マスターはお客さんもめちゃくちゃ大事にしますがそれ以上に従業員を大事にする人でした。
僕はそこからお客さんと従業員を天秤にかけた時どちらかを選ぶ時は従業員を選ぶようになりました。
『宣伝させて』
今でもその店は地元で長く愛される店です。
中華料理 紅華(こうか)
https://s.tabelog.com/kyoto/A2601/A260503/26007500/top_amp/
僕も1年に3、4回はマスターの顔を見に行きます。
もはや実家より帰ってます。
マスターは年齢も年齢だから昼から夕方ぐらいまでしかいませんが僕の名前をだすとめちゃくちゃ喜んで話しかけます(なんなら一緒に飲みだします)。
地元に愛される人の教科書みたいな人です。
僕もこんなおっさんになりたいな。ラーメン鉢で殴ったりはしないよ(^-^)v
んで明日は僕主催のイベントやりまーす。
「Ryo’sキッチン」
https://facebook.com/events/s/1870194423104550/?ti=as
いつもは僕が思いつきで料理を出しまくるんですが今回はプロの料理人を呼んであたかも僕が作ったかのように出しまくるという新手の詐欺イベント(笑)
かなりお得ってか損するのは僕だけのイベントでーす!
飛び入りOKだよ!
ちゃんちゃん♪
今日やること
打ち合わせ(毎日こればっかり)
原価の資料作り
仕入れ
女の子を探す旅(帰りたくない)